第54話 黒騎士(1)

 こちらの世界で目覚めてすぐ、スマホの電話帳をチェックしたことがあった。

 なくなっている連絡先、追加されている連絡先。

 事故の直後だったこともあり、無事の報告ついでに登録されている相手の状況も確認するためだ。

 知らない世界の情報を、すこしでもいいから集めるという意味合いもあった。

 本題はここから。

 電話帳からなくなっていた――たぶん、はじめから登録されていなかったというのが正解だろうが――連絡先の中に、おれの親友のものがあった。

 中学の頃からの腐れ縁で、こっちの世界でも深い関わりがあると思ったのに、その居所はおろか、存在するかどうかすら、とうとうわからなかった。

 自身の秘密を打ち明ける相手すらなく、不安でたまらなかったあのときに、もしがいてくれたら――

 いまでもときどき、そう思う。


   ◇


「わたしが思うに、昔の男に間違いないよ」


 食堂でおれの淹れた茶をすすりながら、美凪は自信たっぷりに自説を述べた。

 いかにも自分は経験豊富な大人の女性だとでも言いたげな表情に、腹が立たなかったと言えば嘘になる。


「諸々の状況を鑑みれば、そう考えるのが自然だ」

「でも、モルテはそんなことひと言も……」

「相手は数百年を生きてる美女だぞ。元カレのひとりやふたり、どころか10人や100人いたっておかしくないって」

「100人マジか……」

「やめて姉さん! 兄さんの脳が破壊されちゃう!」


 陸が割とガチ目のトーンで止めに入った。


「いやわかる。わかるよ? 初めてできた恋人の、昔の男関係なんて知りたくもないだろうよ。けど、現実はきちんと受け止めなきゃ。つまりはいま、試されてるのさ。お前の愛の深さがね!」


 ノリノリで台詞を並べ立てる美凪。

 ぜったい面白がってるだろコレ。


「こっちは向こうの状況もわからず、黙って待ってるしかないんだぞ。不安を煽るようなことばっか言うなよ」

「おいおい、ただ待ってるしかないなんて、いったい誰が決めたんだい? 気になるなら幻界だろうとどこだろうと、迎えに行ったらいいじゃないか」

「おれがそう決めて、モルテに約束したんだよ」


 約束したからには、こちらから破るわけにはいかない。

 おれはモルテにもらってばかりだから、こういうところで返していかなければ。


「それに、行きたくても行けないんだ。おれは姉さんとちがってマナに耐性がないんだから」

「そうだっけか?」

「前に魔染領域に入ったとき、派手に酔ったからたしかだよ」

「ちなみに、わたしとシノはいけるけどね」


 横から陸が言った。

 海にいった前後から、陸はプラスィノとずいぶん仲良くなり、“シノ”という愛称で呼ぶようになった。

 プラとかスィとか言いにくいから、だそうだが、原型「ノ」しか残ってないじゃないか。

 まあ、呼ばれた当人はまんざらでもなさそうだったし、呼びやすいのはたしかなので、今度おれも真似してみようかな。

 いや、それより。


「本当なのか、陸?」

「うん。なんたってこのボディ、フィラトさんの最高傑作だし」

生き人形リビング・ドール、いよいよ人間の上位互換なんじゃないのか?」

「子供が作れたら完璧だよね」


 おい、そこでじっとおれの顔を見るな。


「兄さんが心配なら、わたしが姉さんとようすを見にいってもいいよ。たぶん、シノもついてきてくれると思う」

「いやでも、姉さんといっしょとか、お前はいいのか?」


 不安げなおれに、陸はいたずらっぽく微笑む。


「兄さんに恩を売るチャンスだしぃ。それに、一度幻界も見てみたかったんだ。夏休みの思い出としても、いいと思うんだよね」

「そんな観光気分で来られても困るな」


 突然、男の声が響いた。

 次の瞬間、食堂の庭に面した側の壁が粉々に吹っ飛ぶ。


「姉さん、大丈夫か!?」


 もうもうと立ち込める煙でなにも見えない。

 怪我ひとつないのは、とっさに美凪がかばってくれたからだ。


「痛ったぁ~……けど、へへ……今度はあんたを守れたぞ」……ちゃんと目の届くとこにさえいりゃあ、姉ちゃん、ちゃんとやれるんだ……」


 美凪の身体が、がくりと脱力しておれに覆いかぶさってくる。

 壁の破片を受けたのか、背中や頭から血を流していた。

 嘘……だろ?

 自分が留守にしてるあいだにおれが事故に遭ったこと、ずっと後悔してたっていうのか。


「どうだ……ちゃんと目の届くとこにさえいりゃあ……姉ちゃん、やれるんだ」

「馬鹿! もうしゃべるな!」


 とにかく安全なところへ運ばないと。


「陸、無事か?」

「うん! 姉さんを連れて、早くいって!」


 壁にあいた大穴と、おれたちのあいだに陸は立っていた。

 じゃり、じゃり、という足音がして、煙の中からひとりの人物が現れた。

 黒騎士――という単語が頭に浮かぶ。

 そいつは、全身を漆黒の鎧に包まれていた。

 ただし、鎧といっても中世の騎士が着るような甲冑ではなく、メタル系のヒーローが身につけるようなバトルスーツに似ている。


「邪魔をするな」


 さっき聞こえた男の声だ。


「邪魔ですって? なんの用か知らないけど、いきなり人んち壊すような奴に、勝手させるわけないでしょ」


 陸のやつ、戦うつもりなのか?

 たしかに生き人形リビング・ドールになって運動能力は上がっている。

 爆発でも平気なのも、その頑丈さゆえだろう。

 でも、相手はいかにも武装してますって外見で、どんな能力を持っているかもわからない。

 なにより、一番下の妹を置いていけるかって話なんだが。


「なにしてんの兄さん! 迷ってる場合じゃないでしょ!」


 ああ、くそ!

 おれは美凪を背負い、食堂から出ようとした。


「逃がさん」


 黒騎士が、身構える陸の脇をすり抜け、おれの行く手に立ち塞がる。

 なんて速さ!

 こいつ、人間か!?

 その手には、杖のようなものが握られている。

 杖の先端が、おれの鼻先に突き付けられた。

 先端には赤い宝石が嵌められており、まるで内部から燃えているかのように、ものすごい光を放ち始めた。

 瞬間、悟る。

 壁をぶっ壊したのは、この力。

 さしずめ爆発を起こす魔法の杖といったところか。

 ヤバい。これは、死ぬ。


「霧矢さん!」


 ごうっ、という音とともに、横合いから巨大な棍棒のようなものが飛び込んでくる。

 幾本ものツタをよじり合わせた腕で、プラスィノが殴りつけたのだ。

 数メートルは吹っ飛ばされた黒騎士だったが、姿勢は崩れず、ダメージを受けたようすもない。


「ありがとう、シノ」

「は、はいです……って、ええええ!? き、霧矢さんまでワタシをあだ名でぇ!?」


 あわあわと狼狽えるプラスィノ。

 あれ、おれがこの呼び方しちゃマズかったか?


「来たか、裏切者め」

「う、うるさいです! また誰か来るんじゃないかと思って、ま、待ち構えてやりましたよ!」


 プラスィノは声を振り絞って叫ぶ。


「シノ、ないすぅ!」


 陸が黒騎士の背後に回り、シノとふたりで前後から挟んだかたちになる。


「こ、降参するならいまのうちですよ……!」

「面白い。やってみろ」


 笑みを含んだ声で、黒騎士は言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る