第52話 不死王の城
マナの濃淡は五感でわかる。
マナの濃い場所に踏み込むと、全身の毛穴から入り込み、神経や毛細血管すべてが満たされていくような感覚が味わえる。
耐性のない人界の者であれば、5分ともたないだろう。
しかしそれは同時に、モルテのような生粋の幻界人にとっては、胎内に回帰し羊水に浸るかのような安らぎをももたらす。
たった数カ月、幻界を離れていただけでも、もどってきたのだという感慨は深かった。
(でも、いまのわたしにとっては――)
ここは、還るべき場所ではない。
1秒でも早く厄介事を片づけ、霧矢のもとへもどりたいと願うばかりだ。
モルテは固い意志を籠めつつ、前方の城を見あげた。
鋭く屹立する岩山にも似た、冷たく堅固な白亜の建造物。
いま、その門は開け放たれ、深淵にも似た闇色の口腔をモルテに向けている。
「どうしたんですか?」
先導する右良が、足を止めたモルテを振り返って怪訝そうな顔をする。
「いえ。ここを訪れるのは何百年ぶりかと思っただけです」
「懐かしいですか?」
「さて……あの頃のことは、よく覚えていなくて」
思い出したくもない、苦い記憶だった。
「緊張しなくても大丈夫ですよ。あの方は、モルテさんを歓迎してくれます」
「わたしは平気ですよ。むしろ、あなたがたのほうが――」
モルテは右良と、すぐ後ろを歩くパルウムの顔を見やった。
「お前らのご主人様って、そんなにおっかねーのか?」
リナが意地悪く微笑みながら訊ねる。
「パ、パル、こわくないよ」
「そうですね。わたしもついています」
モルテは、震えるパルウムの親指に手を添えた。
「う、ウチもついてるから!」
右良が対抗するように、反対側の手を取って言った。
横に3人並んだ構図を見て、リナが呆れたように顔をしかめた。
「ダンスでも始まるのか、こりゃ」
「リナもどう?」
「やらんわ!」
差し出されたモルテの手を、リナはぺちんとはたいた。
そのまま全員で城門をくぐる。
巨人族のパルウムがいても余裕があるほど門は大きく、城内はさらに広かった。
幅、奥行、高さ――謁見の間へと続く通路はそのどれもが途方もなく、この城の主の強大な権力と強烈な顕示欲をうかがわせるものだった。
「よくぞ来た。久しいな、モルテ・リスレッティオーネ」
玉座に座るその人物は、威厳に満ちた声を発した。
「ご壮健なようでなによりです、不死の王よ」
モルテはぴんと背筋をのばし、微塵も臆することなく返答した。
その態度を好ましく思ったのか、玉座の人物はうっすらと笑みを浮かべた。
まっすぐに垂れた銀髪に瘦せ型の体躯。端正な顔立ちの青年王といった風貌だが、肌は蝋のように白く、眼光は異様に鋭い。
男の名はエーヴィヒカイト。
永遠の刻を生きるとされ、あらゆるアンデッドの頂点に君臨する
「こうして来てくれたということは、我が願いに応えてくれると思ってよいのかな?」
「我が君、その前に――」
それまでひっそりとエーヴィヒカイトの傍らに控えていた人物が声を発した。
茨に似た額飾り、動きやすさを重視した金属鎧、長いマント、腰には長剣を身につけ、それらすべてが漆黒で統一されている。
剣士とも魔術師とも判別しがたい、美しい女性だった。
「そこな2人の不始末について、裁可を仰ぎたく」
女は、なんの感情もうかがわせぬ冷たい視線を右良とパルウムに向けた。
「そんな! 命令通り、こうしてモルテ・リスレッティオーネを連れてきたでしょ!」
「しかし、そのために
「そ、それは……」
右良は蒼白になって狼狽える。
「さらに、そこなパルウムは神聖なる任務を放棄したと報告があった」
「それに関しては、ウチの監督不行き届きで――こ、こいつはまだ子供で、任務の重要性とかわかってなかったんです! だから――」
「それだけか?」
「ヒッ……!」
エーヴィヒカイトの重々しいひと言に、右良は雷に打たれたように身を震わせた。
「実に見苦しい弁明であった。リムよ、罰はそなたに任せる」
「かしこまりました」
リムと呼ばれた美女が手のひらを向けると、右良とパルウムは全身をこわばらせたまま床に倒れ込んだ。
そして苦悶の表情を浮かべ、声もなく床をのたうち回る。
魔法――マナの流れで、モルテにはそうと判った。
言うなれば、不可視の大蛇がふたりの身体に巻きつき、おそるべき力で締めあげているような状態なのだ。
「これ以上は危険です」
モルテはリムに警告したが、彼女は構わず術を行使し続けた。
「死んでしまいますよ!」
「もうよい、リム」
エーヴィヒカイトの言葉で、ようやくリムは術を解いた。
右良は激しく咳き込み、パルウムは大声をあげて泣き出した。
「なんてことを……」
右良はともかく、幼いパルウムにまでこのような仕打ちをするエーヴィヒカイト主従に、モルテは不快感を禁じ得なかった。
玉座からモルテを見下ろすエーヴィヒカイトが、くつくつと笑い声を発した。
「優しいことだ」
「なにを言うのです」
「かつて厄災の二つ名をもって畏れられた女が、ずいぶんと変わった」
「そういう貴方は、なにも変わらないのですね。心根も、物言いも――この城にあるすべてが、まるでカビが生えたよう」
「変化など苦しみしかもたらさぬ」
エーヴィヒカイトは子供を諭すような声音で言った。
「思い出すのだ、モルテよ。我とそなたは同類。そなたの安らぎは、ここにしか在り得ぬ――我の妻になれ……! 我とともに永遠を生きるのだ」
「妄言を……」
「答えは急がぬ。時間はたっぷりあるのだ……ゆるりと過ごし、考えてみるがよい」
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