第51話 知らない姉

 婚約者が無から生えてくるというのは、まあわかる。

 しかし、年上の肉親がおなじように現れるなんてあり得るか?


 ――いや、どっちもないだろ、常識的に考えて。


 そんな非常識を受け容れてしまっているのは、おれがある種の転生者だからなわけで。

 まさか、こっちのおれ、家族構成までちがってるなんてなー。

 その、新しくできた姉は、向かいの席でおれの用意した食事をむさぼり食っている。

 買出しに出る前だったので、あり合わせのものしかなかったが、彼女は至福の表情を浮かべ、時に涙さえ流していた。


「うまい! うまい! 2年ぶりの人界の食事! 五臓六腑に染み渡るわぁー!」

「タイミングが悪かったな。ここにはもっとずっと美味い食事を作るメイドさんがいるんだけど、ちょうど昨日から留守にしてて」

「そうなの!? ……でもダメ! そんなに美味しいものをいきなり食べたら内臓が耐え切れずに爆散しちゃう」

「いや、さすがにそこまでは……」


 真名井美凪。

 陸の話では、本当におれたちの姉らしい。


「でも、一度も話題に出さなかったよな?」

「いきなり家を飛び出して2年も帰ってこないような人を、家族とは思いたくないし」


 え? な、なんか思ったより辛辣なセリフ。

 そんな感じなの……?


「悪かったって。でも、元気そうで安心したよ」

「さっきも言ったけど、兄さんは事故で記憶喪失、わたしに至っては死んじゃってるんですけど」

「死――!? ま、まさか……」


 さすがにショックを受けたらしく、呆然とする美凪。

 ……って、口にものを詰め込む手は止めろ。


「そうだったか……すまん。幻界からでは連絡手段がほとんどなくて……まあ、なにを言っても言い訳にしかならんか」

「幻界って……姉さん、向こうの世界に行ってたのか?」

「ああ。私はマナ酔いをしない特殊体質でね。政府はそういう人間を集めて幻界に送ってるんだ」

「ああ、探索者ってやつ?」

「他にも外交官や荒事専門の連中なんかもいるけど、私はそうだ。あっちの世界は未知の資源の宝庫だからな。持ち帰れば、そりゃあ、カネになるぞ」


 美凪は親指と人差し指で輪っかを作り、ゲスい笑みを浮かべた。


「お金はあるのに、なんで行き倒れてたんだよ?」

「こ、こっちじゃ必要なものを力づくで奪うわけにはいかないし……あと、マナが薄すぎて、なんかフワフワするんだよ」


 要するに、身体の不調に気づけなかったということか。

 いろいろな意味で、向こうの世界に慣れすぎた弊害だな。


「それより、もうすこし詳しい話を聞かせてくれ。死んだっていうなら、ここにいる亜陸はどうなってるんだ? あと、この邸……なんかスケルトンがうろついてるし」

「陸は、人形の身体に魂が入ってる状態。この邸はモルテっていうダークエルフのものだよ」

「モルテ? どこかで聞いたような……お前とはどういう関係なんだ、霧矢?」

「えっと……」

「兄さんの彼女。ついでに婚約者よ」


 口ごもるおれに替わって、陸が吐き捨てるような口調で答えた。


「婚約者!? お前、いつの間に……いや、まてよ。モルテ、モルテ……そうか! 昔、近所に住んでたあのダークエルフか。そういや、お前たちと仲良かったもんなあ」


 美凪とも顔見知りだったか。

 それなら話は早い。


「姉さんとはあまり交流なかったのか?」

「あの頃、私は花の女子高生だぞ。青春に忙しくてご近所づきあいとかやってられなかったんだ」

「ああ、そう……」


 美凪の自由な気質は昔からだったらしい。


「モルテって人の評判はそれなりによかったってのもあるがな。……ただ、ある時期から霧矢のことをねっとりした目つきで見るようになって、それだけは気になってた」

「はは……」


 そこに関してはなんとも言いづらい……というか、下手に擁護しても変な感じになりそうだ。


「とにかく、だ」


 食事をたいらげた美凪はナプキンで口許をぬぐうと、おれと陸に向かって手招きした。

 美凪は椅子から立ちあがり、近づいたおれたち2人をまとめて抱擁する。


「苦労をかけたな。しばらくはこっちにいられるから、困ったことがあったらなんでも言ってくれ」

「姉さん……」

「それじゃあ、さっそくいい?」

「なんだ、亜陸?」

「お風呂に入ってきて。臭いから」


 妹からの鋭いナイフのようなひと言に、美凪は「んーーーー……」と虚無の表情になった。






 美凪に着替えを渡したあと、改めて買出しに行ってきた。

 帰宅し、冷蔵庫に食材を詰めていると、背後から美凪の声がした。


「霧矢、牛乳はあるか?」

「うん。飲むんならコップの場所は――」


 振り返ったおれの目に飛び込んできたのは、全裸にバスタオルを首にかけただけという姉の姿だった。


「ね、ねねね姉さん!? そ、その格好は!?!?」

「いやー、いいお湯だった。ここの風呂は広くていいな」

「そうじゃなくって! なんか着てよ!」

「はー? 姉弟なんだし、恥ずかしがることないだろ」


 そうは言っても、おれにとっては今日はじめて会った女性なんだよ!

 しかも美凪は、陸が成長して、ちょっとガタイが良くなったような見た目なので、その――身内の贔屓目とか抜きにして、美人の範疇に入る。

 青少年の健全な育成という観点からも、ちょっと刺激が強すぎるんじゃないですかね?


「まったく。霧矢は真面目だな」

「デリカシーの問題だっての」

「そんなもん、幻界に置いてきた」


 美凪はガハハと笑い、腰に手を当てて豪快にパックの牛乳をがぶ飲みした。


「そういうところが陸に嫌がられるんじゃないの?」

「え!? や、やっぱり嫌われてるのかなあ……」


 動揺するんだ、そこは。


「とにかく、久しぶりに会って距離感がつかめてないうちは、気をつけて接したほうがいいと思うよ」

「お前は大人だなあ、霧矢」

「いいから、まずは服を着て」

「えー。暑いじゃん」

「わがまま言わない」


 どうしよう。

 妹より手のかかる初対面の姉とか処理しきれんぞ。


「ところで、ここの家主はどこにいるんだ?」

「幻界だよ。ちょっとトラブルが発生して、それを収めにいったんだ」

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