第39話 SUNNY GREEN
「名前以外わからない。記憶喪失、ということでしょうか?」
カタカタと震えながら、プラスィノはモルテを見上げている。
脅えているのか、元々こんな感じなのか。
いちおう会話はできているが、話している内容は本当か。
どうにも判断材料に乏しい。
モルテの表情を見ると、彼女もそう考えているだろうことが窺えた。
「た、たぶん……そうです……そうかな?」
「ドライアドは肉体を失うと種子と呼ばれる形態になるのですが、その際に記憶も失われてしまう場合が多いのです」
「とすると、この子は種子の状態でここにきたってこと?」
「その可能性は高そうですね。いずれにせよ、このような怪しげな人物を、わたしの家に留めておけるかという問題が」
モルテは悩ましげにため息をついた。
「そそそ、そんな! ここ置いて下さらないのですか!? み、右も左もわからないのに……」
奈落の底に突き落とされた人の顔というのはこういうものか。
プラスィノは天を仰ぎ、哀れを誘う泣き声を放った。
「ですがあなたも、よく知らない相手とすごすのはつらいのではありませんか?」
「た、たしかにそれは……! ど、どうしよう……退くも地獄、進むも地獄……!」
「おい。おれたちを地獄扱いすな」
初対面の相手にずいぶん失礼な奴だ。
……いや、逆に初対面だからこそか?
彼女にとってここは異世界、警戒してしすぎることはないのかも。
「怖がらなくていい。おれたちは敵じゃない」
「だ、騙そうとする方は、だいたいそういうんです……!」
「ならどうしろと」
だんだん疲れてきたぞ。
「に、庭のすみっこでも貸していただければ、か、勝手に自生しますので」
「駆除の大変な雑草みたいだな」
「わかりました。あなたが我々の生活を脅かさない限り、ここにいることを許可しましょう。ただし――」
モルテがプラスィノの肩に手を置いた。
「この先には薬草園がありますので、そこには立ち入らないように」
「も、もし入ったら……?」
「ただではおきません」
「ひゃ、ひゃいいィっ!」
え、なにいまの声。こっわ。
裁定者たちをどつき回したときよりも怖いんですけど。
たぶん……本気だよな?
リナにも許可を取り、プラスィノは中庭の片隅に居着くことになった。
作物の養分を取られるとよくないので、菜園とも離れた場所で、庭木の一部になってもらう。
ぞんざいな扱いのようだが、本人がいいといっているので大丈夫なのだろう。
ふつうの食事も摂れるというので、誰かしらいるときは一緒に食卓を囲んでいる。
「敵じゃあねえだろうな?」
はじめのうち、リナは露骨に警戒していたが、それで仕事の手を抜いたりはしない。
さすがは何百年もモルテに仕えた、メイドのプロフェッショナルだ。
「お、おいしいですね……これ」
プラスィノが、サラダを頬張りながら言った。
共食い、という言葉が浮かんだが、植物にも当てはまるのだろうか?
リナが気を遣ったのか、プラスィノの分にトマトは入っていないが。
「そうかそうか! おかわりもあるぞ、じゃんじゃん食え!」
「い、いただきます」
料理を褒められれば、リナも上機嫌になる。
山盛りになった皿を見て、プラスィノは目をぐるぐるさせた。
「他にはどんな料理が好きなの?」
陸が訊ねる。
「あ、熱すぎたり冷たすぎたりしなければ……だ、だいたいイケると思います」
「そっか、記憶がないってことは知識もだよね。それなら、これからいろいろ勉強していこう」
「あ、ありがとうございます、亜陸さん……お、お優しいんですね」
にへら~っ、という笑みを、プラスィノは浮かべた。
どうやら彼女は、この邸の住人に受け容れられたようだ。
おれとしても、みんな仲良く、平穏無事にすごせるならそれでいい。
そんな感じで、翌日も、翌々日も過ぎていった。
さらに次の日の朝、おれはプラスィノのようすを見に庭に出た。
この日は3日ぶりの快晴。
まだ早い時間だというのに、顔を上げると目に痛いほどの光が降り注いでくる。
雲ひとつない空に向かって、大きく伸びをした、そのとき――
「おっはようございまァーーーーすゥ!!」
耳をつんざくような大声が背後から発せられた。
何事かと振り返ったおれの目に飛び込んできたのは、まっすぐな姿勢で両腕を天に突き上げたプラスィノの姿だった。
「すんばらしい天気ですねェ!! 光合成が捗っちゃいますゥ!!」
「プ、プラスィノ……なのか?」
「はい!! プラスィノ・エルバですゥ!! 霧矢さん!! 昨夜はよく眠れましたかァ!?」
う、うるさい……なんだこの声の圧は?
「どうしたの? キャラ違いすぎない?」
「そうですかァ!? きっと天気がいいせいでしょう!! 身体中になんかこう、パゥワーが漲っている感じですゥ!!」
「そ、そう……」
ひょっとして植物だからなのか?
日光の量でテンションが変化する、と。
そんなことある? と思いたくなるが、プラスィノのようすを見るに、そう考えるのが妥当という気がしてくる。
「あまりにパゥワーが満ち溢れているので、邸の周りを何周か走ってきたところでェす!! 霧矢さんもいかがですかァ!?」
「いや、遠慮しとくよ」
「そうですかァ!!」
レスポンスまで大音声とは。
どうしよう。このままでは耳がもちそうにない。
「おいおい、なんだァ朝っぱらから。バニラトラックでも突っ込んできたのか?」
不機嫌そうに目をこすりながら出てきたのはリナだった。
「リナさァん!! おっはようございまァす!!」
「なんだテメー、プラスィノかよ。馬鹿みてーなテンションしやがって」
「はい!! おかげさまでェ!!」
「こっちゃなんもしてねー。音量絞らねーとその口ねじ切んぞ」
「こわーい!! そんなことされたら、ご飯が食べれません!!」
怖いと言いつつ、めっちゃニコニコなんだが。
「なめてんのかテメー」
とうとうリナがキレた。
巻き込まれてはたまらないので、おれはさっさと邸の中に退散した。
その日の朝のおかずは、リナのイライラを反映したのか、野菜を豪快に刻んだだけのサラダと殻の混じった目玉焼きだった。
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