第38話 rainy green
陸が友達を連れてきた翌日は、また雨だった。
今日はモルテと出かけようと思っていたのに、これでは延期せざるを得ない。
「雨はお嫌いですか?」
おれのため息に気づいて、モルテが訊ねた。
テーブルには、彼女が手ずから淹れてくれたくれた紅茶が湯気をたてている。
「ジメジメしたのは苦手かな」
「それはつまり、わたし全否定ということですか?」
「え?」
一瞬なにをいわれたかわからず、おれは訊き返した。
「だってそうじゃありませんか。わたしといえば地下室。わたしといえば湿気。使う魔法は暗いイメージのものばかり。わたしからジメジメを取ったら、いったいなにが残るというのです」
「いや、ジメジメ以外にもあるだろ! だいたいそれって
「ほら、やっぱり」
「ち、ちがうから!」
「じゃあ、ジメジメ以外にわたしの好きなところ、10個挙げてください」
「なんで!? え、ええと……」
美人で髪がきれいで目が魅惑的で――って、全部見た目だし、それはこの場合悪手かも。
事実より、モルテの望む答えを当てるんだ。
考えろ考えろ考えろ。
「はい時間切れです」
「ええっ!?」
「まさか、ひとつも出てこないなんて……わたし、悲しいです」
「ち、ちが――思いつかなかったわけじゃなくって」
必死に言い訳するおれを見て、モルテはこらえかねたように噴き出した。
一度タガが外れるともう止まらない。
モルテはテーブルに突っ伏し、肩を震わせた。
落ち着きかけたところで紅茶に手を伸ばすが、おれと目が合うとまた笑ってしまい、紅茶はぱちゃぱちゃと跳ねた。
「またからかったな?」
「ごめんなさい。反応がおもしろくて、つい」
はーっ、と息をついたモルテは、紅茶をひと口含んで席を立った。
なにをするのかと思っている間に彼女はテーブルを迂回し、いきなりおれの顔を両手ではさんだ。
「なっ」
気づけばもう、額がくっつきそうな距離にモルテの顔がある。
「……なに?」
「キリヤ君は、
「まるで、おれが悪いみたいな言い方だな」
「その通りです。キリヤ君がそんなだから、わたしも見せたくもない加虐心を刺激されてしまうんです」
獲物を前に舌なめずりする肉食獣のような表情。
先ほどの紅茶で湿ったくちびるが艶めかしく光る。
気づけば心臓がバクバク鳴っており、思考は沸騰しかけていた。
ああ、マズいなこれ。
顔の熱さ、ぜったい気づかれてる。
「や、やめろって! またそうやってからかう!」
「うふふ。ごめんなさい」
こちらの動揺をたっぷり堪能したからか、モルテはおれの抗議をあっさり受け容れ、顔から手を離した。
謝罪の言葉も、どこまで本気かわからない。
「あんまり子ども扱いするなよ」
「そうですね。恋人になったからには、わたしたちは対等。気をつけます。でも――」
おれを見つめるモルテの目が、すっと細められた。
「また、暴走してしまうかもしれませんから……そのときは、叱ってくださいね」
「う……うん」
まだ顔が熱い。
ぱたぱたと手で仰いでいると、モルテが「外に出ませんか」と誘ってきた。
「雨の日は雨の日で、楽しいこともありますよ」
「そうだね」
一本の傘をふたりでさして、おれたちは庭に出た。
昨日バスケ勝負が行われた場所からすこし進むと、リナが管理している菜園がある。
幻界にも彼女の菜園はあったそうだが、マナの少ない人界では幻界の植物は、種類にもよるが大半はうまく育たない。
なので、ここではトマトやブロッコリー等、人界の作物が植えられている――はず、なんだけど……
「なにこれ?」
「さあ……なんでしょうか」
トマト畑の真ん中に、草とも木ともつかない植物が生えていた。
ツタを縄のように
高さは邸の二階に余裕で届くほど、先端部分はいくつかの枝葉に分かれていた。
前に見たときは明らかに生えてなかったぞ、こんなの。
「雨の影響かな。まさか、ひと晩のうちにこんなものが?」
「几帳面なリナが、トマト畑に他の野菜を植えるとも思えません」
モルテの手の中にまさかりが現れた。
アンデッドを召喚する要領で、彼女は様々な道具を取り出すことも可能なのだ。
「切ってしまいましょう」
「わかった」
俺はモルテからまさかりを受け取り、大きく振りかぶる。
気合を込め、一気に刃を突き立てようとした、そのとき――
「ま、ままま待ってください!」
激しくどもる声――それは、前方から聞こえた。
「お、お願い……ですっ。き、きき切らないで……!」
目の前の木だか草だかが、みるみる縮んでゆく。
やがてそれは人のかたちになり、おれたちの前にひれ伏した。
女の子だ。
足許まで届きそうな深緑の髪に緑がかった肌という、なんだか健康に良さそうなカラーリングだが、紛れもなく人間と同じ姿をしている。
しかも美少女といっていい。
問題は、彼女が服を着ていないこと。
隣にモルテがいることも手伝って、おれは慌てて横を向いた。
「き、ききき君は誰!?」
「わわわ、ワタシはそそそそ……その……」
なんだこのやりとり。
ふたりして振動マッサージでもやってるのか?
幸い、モルテだけは落ち着いたようすで、会話を先に進めてくれた。
「ドライアドですね」
「ど、ドライアド?」
「木の精霊です。他の精霊と同じく本来は物理的な肉体を持ちませんが、植物に憑依することで人間のような形態に化けることができるんです」
「な、なるほど」
「あなた」
モルテが呼びかけると、ドライアドの少女は「ヒィッ」とかすれた声をあげ、額を地面に擦りつけた。
「顔をお上げなさい。――あなた、名前は?」
「プ……プププププププ、プ……」
お腹の具合が悪い、わけじゃないよな?
「プラ、プラスィノ……エ、エルバ、です……それがたぶん……名前」
「プラスィノさんですね。どうしてこんなところに生えていたんですか?」
「わ、わかりません……気がついたら……ここに」
「ここに来る前はどこにいましたか?」
「そ、それも……わから、ないです……すみません」
いまにも泣き出しそうな顔で、プラスィノと名乗った少女はそういった。
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