第31話 笑顔

「おかえり!」


 帰宅したおれたちを満面の笑みで迎えたのは陸だった。

 おれ、モルテと順番に抱きつき、モルテの手を取って瞳を潤ませる。


「よう、色男。なんていってお姫様を口説いたんだ?」


 ニヤニヤ笑いを浮かべて訊ねるリナに、おれの傍らに寄り添うモルテが微笑みかけた。


「ありがとう、リナ。キリヤ君の背中を押してくれたそうですね。あなたの心配りに、また助けられました」

「は、はあ!? べつにアタシはなんもしてねーし!」


 リナはゾンビなので血色が悪いが、そうでなければきっと耳まで真っ赤になっていただろう。

 ふたりにもいずれ、本当のことを話す必要がある。

 特に、陸にはショックが大きいだろうから、慎重に……でも、なるべく早いほうがいい。


「んじゃ、ほっとしたところでメシでもつくっか!」

「おれも手伝うよ」

「兄さんがやるならわたしも」

「いっそみんなでお料理しましょうか」

「薬の匂いがつくからモルテは駄目だ」

「そんな、ひどい」


 邸内に明るい声が響く。

 みんな笑っていた。

 裁定者を退けたとはいえ、問題はこれからも降りかかってくるだろう。

 それでも――いまはこの、ひとときの安らぎを噛みしめていたい。


「あっ」


 モルテがおれを見て、小さく声をあげた。


「なに?」

「キリヤ君、いま笑ってました」

「本当に?」

「はい。久しぶりに見ました」


 ダークエルフの彼女がいうのだから、相当長いこと笑っていなかったのかもしれない。

 駄目だな、おれは――と、今度は自嘲の笑みが浮かびそうになった。






 それから数日後。

 おれとモルテは、おれの以前住んでいたアパート近くの公園にいた。

 芝生には親子連れや犬の散歩をしている人の姿があり、池のほとりでは鴨が毛づくろいしていた。


「このあいだ、アリクちゃんとここに来たんです」


 そういって、モルテが腕を上げて指さした。


「あそこの道で、キリヤ君は事故に遭いました」

「覚えてないな」

「アリクちゃんは、うっすらと記憶にあったそうです。キリヤ君に取り憑き、周囲をほとんど認識できない状態ではありましたが、それでもなんとか、思い出してくれました」


 モルテは小さく微笑んだ。


「近所のおばあさんが飼っていた猫ちゃんを、助けようとしたそうですよ」

「ああ……おれの世界にもいたよ。たしかにそれは、身体が動いちゃうかもしれないな」


 そのおばあちゃんの優しそうな顔を、おれは思い浮かべた。

 たぶん、こっちのおれも、おばあちゃんの悲しむ姿を見たくないと考えてしまったのだろう。


「どの世界でも、キリヤ君はキリヤ君なんですね」

「でも、どうだろ。いざとなったらビビってなにもできないかも」

「そんなこといって、魔染領域まで追いかけてきてくれたじゃないですか」


 モルテが手を伸ばし、指と指がふれあう。

 おれが逃げずにいると、彼女は素知らぬ顔で指を絡めてきた。


「……おれで、いいの?」


 おれは、この人と約束を交わしたおれじゃない。


「人界に戻ってから、ずっと一緒に暮らしていたのは、あなたです」


 モルテが目を伏せる。

 長いまつ毛が影を落とすその頬には、かすかに赤みが差していた。

 一度だけ、彼女が泣いているのを見た。

 部屋にこもったまま、なかなか出てこないことがあったので、ようすを見にいくと、暗い部屋の隅で肩を震わせていた。


「“あの”キリヤ君の魂は……もう……この世界のどこにも……いないのですね」


 おれに気づき、そういった後で、モルテは子供のように声をあげて泣いた。

 死を隣人としながら、ある意味もっとも死と遠い存在――そんな彼女が、喪失の痛みに打ちのめされていた。


「ごめんなさい。こんな姿、見せるつもりなかったんですが……」

「いいよ、そんなの」


 その夜は、ずっと彼女のそばにいた。

 この人と同じ道を歩んでゆきたい。

 おれの胸に、新たな願いが生まれた瞬間だった。


「これからも――末永く、よろしくお願いします」


 照れくさそうに、でもはっきりと、モルテはいった。

 なら、ちゃんと応えないと。

 心の中で気合を入れ、おれは彼女に向き直った。


「こちらこそ、よろしく」

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