第27話 ベルデ・エメロンド

「追っ手はいないか?」


 しばらく歩いたところでベルデが訊ねた。

 抱かれたままのおれは、彼女の肩ごしに後方を確認した。


「大丈夫みたい」

「そうか」


 ベルデは足を止め、長々と息をついた。


「よかったあああああああああああ」

「え? なにそれ」


 心底ほっとしているらしいベルデのようすには、さすがに仰天した。

 うっすらと涙まで浮かべて……さっきまでの凛々しさはいったどこへ?


「あれだけビビらせてたんだから、てっきりあいつらより強いのかと」

「1対1なら負ける気はしないが、さすがにあの人数ではな。それに、べつに奴らは、私の強さを恐れたわけではない。裁定者同士の私闘にはペナルティがあるのだ」

「とにかくありがとう。でも、どうしてここに?」

「よそから集まってきた裁定者の動きが気になって、リスレッティオーネ邸を見張っていたんだよ。そうしたら案の定……」

「さすがは見守りのベルデだね」

「妙な二つ名をつけるな」


 ベルデはふたたび、今度は風のような速度で走り出した。

 うっかり落下しないよう、ベルデは腕に力をこめ、おれもベルデにしがみつく。

 なんか照れ臭い。


「礼もいらん。むしろ、こちらが謝罪すべき事態だ。裁定者などと大層な肩書を名乗っていても、内情はあの通り。ごろつき、とまではいわんが、身に着けた力を試したい者、合法的に暴力を行使したい者、功名や栄達が目的の俗物――そういった輩も多いのだ」


 そうなのか。

 裁定者はベルデしか知らなかったから、みんな崇高な使命に身を捧げる意識高い系なのかと思っていた。


「異世界との摩擦軽減のため、場当たり的に作られた役職だからな。特に初期メンバーは、能力重視で素行は二の次だった事情もあって、おかしな連中が混じりがちだった」

「大変なんだね……なんて、他人事みたいにはいえないか。実際、こうして巻き込まれてるわけだし」

「本当にすまない」

「いいよ。助けてくれたし」


 それに、改めて友人といわれたのも嬉しかった。

 モルテのことで、ベルデにはずいぶん不義理を重ねてる気もするのに、変わらずそう思ってくれていることが。


「戦うなら止めないっていってたけど、やっぱりモルテは助けてくれないの?」

「他の裁定者が有罪と判断したなら、私にできるのは異を唱えることくらいだ。そして、それで止まる連中でもあるまい」

「ちなみに裁定者同士で戦ったときのペナルティってなに?」

「状況にもよるが、魔法を封じられた上で禁固刑。我々エルフなら百年といったところか」


 そ、それは……気楽に助太刀なんて頼めないわ。

 というか、おれを助けに来るだけでも相当危なかったんじゃないか?


「やっぱりお礼をいわせてよ、ベルデ」

「律儀な奴だな、まったく」


 ベルデは呆れたようにいった。


「今回のことは、我々の統制の甘さが原因といっていい。裁定者には、知性、魔力、戦闘技術のすべてに秀でた者が選ばれることから、必然的にエルフが多くなる。だが、そもそもエルフという種族そのものが組織に向かんのだ。個人主義傾向が強すぎてな……」


 やたらと実感のこもった嘆息には、若干の自嘲も混じっているように思えた。

 自由な集団にひとりだけ、ベルデのような規律を重んじる者がいれば、それは煙たがられるだろう。

 そして、そんな公正さすらも、個人の我儘といわれれば、それまでなのかもしれない。

 でも――


「ベルデは間違ってない」


 すくなくとも、正しくあろうとするその姿勢は。

 大合から20年。

 それは長いようで短く、ふたつの世界の関係は、いまだ危ういバランスの上に成り立っている。

 裁定者のような組織は必要だし、正しく機能していないのであれば正すべきだ。

 ベルデは前を向いたまま沈黙していたが、やがて小さく「ありがとう」と呟いた。

 周囲の景色が見知ったものになりはじめた辺りで、ベルデは足を止めた。


「よか……った……キリヤ……君……!」


 前方で息を切らしているのはモルテだった。

 裁定者の残した痕跡を辿り、慌てて追いかけてきたのだろう。


「ひとりか?」

「……ええ……相手の狙いがわからないので……リナは邸に」

「狙いはお前だ。私がいたからよかったものの、うかつが過ぎるぞ」

「返す言葉もないですね」


 ベルデがおれを差し出し、モルテが受け取った。

 なに? このお姫様抱っこリレー。


「じ、自分で立てるから!」


 降ろしてもらったと思ったら、今度は全力のハグが待っていた。

 腕を背中に回し、額を胸に押しつけ、もう二度と離すまいとするかのように、強く、強く抱きしめられる。


「心配しました、キリヤ君……物音がしたので部屋に行ったらもぬけの殻で、窓だけが開け放たれていて……ほんとうに、なにかあったらと……」

「ごめん……」


 震える肩。嗚咽まじりのか細い声。

 まるで、初めて病室で出会ったときのようだ。

 華奢な身体。壊れないよう、優しく抱きしめ返す。

 自然とそうしていた。

 そうすることが、なにより正しい行為なのだと思えた。

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