第26話 敵
目をあけると、狭い部屋だった。
埃っぽく、カビ臭い。
電気はついておらず、天窓から差し込む月明りが足許を照らしていた。
身動きは取れない。
木でできた椅子に荒縄で縛りつけられていた。
周囲を探ろうと首を動かしかけて、やめる。
闇の中に気配がある。
人……だと思う。それも複数。
おれはもちろん武の達人とかじゃないので正確なところはわからないが、おれを取り囲み、じっとこちらを窺っている視線は感じられた。
す……と、気配のひとつが動き、暗がりから明るい場所へ――要するに、おれの前に出てきた。
足許まで覆う純白のコート。
フードを深くかぶっているので顔はわからない。
カチャカチャという音は、たぶん、剣かなにかを身に着けている。
「な、何者だ?」
情けなくも声が震えたが、無抵抗でさらわれている身だ、今さら取り繕っても仕方がない。
生殺与奪は、完全に向こうの手の内にある。
「お前はエサだ」
若いんだか年を取っているんだかよくわからない、男の声だった。
こっちの質問を無視して勝手にしゃべっている感じは、正直かなり腹立たしい。
「モルテ・リスレッティオーネをおびき出し、戦いを挑む」
「こらこら。一方的に話すものではないよ。彼が困惑している」
背後から、こちらは若々しい男の声がして、おれの肩に手が置かれた。
優しげな口調なのに、妙にねばっこい響きがある。
横目で確認すると、前の男とおなじ袖口と白い手袋が見えた。
なんだこいつら、お揃いの白を着てるのか。結婚式の帰りか?
「まずは僕らの立場を説明しないと」
「あ……当ててみようか。裁定者だろ」
「驚いた、正解だよ。どうしてわかった?」
「……なんとなく」
というのはまあ、半分嘘だが。
ベルデから事前に聞かされていたところに、どう見てもこっちの人間とは思えない不審者が現れれば、そんなところじゃないかとあたりはつく。
わからないのは、裁定者ならモルテに対して「裁く」とか「捕まえる」とかいいそうなものなのに、どうして「戦いを挑む」なんて言い方をしたか、だ。
「邸からおれを拉致ってこれるくらいなら、いきなりモルテを捕まえてもよかったのに。あいつが逃げたらどうするんだ?」
「それはない、といいたいところだが、そうなったらそうなったで構わない。要は、奴のホームで戦う不利を避けたかっただけだからな」
やっぱり。こいつら、モルテを捕まえたいんじゃない。戦って、そして――
「殺すつもりなのか?」
「結果的にそうなるかもなあ」
正面の男が、笑いを含んだ声でいった。
「ふざけるな。あんたら法の番人だろ?」
「言葉に気をつけなよ。君はこっちの人間だが、僕らの裁量で処分は可能だ。罪人の協力者だからねえ」
背後の男が、おれの喉を指先でなでた。
恐怖と嫌悪感で背筋がぞわっとなる。
だが、彼らに対する反発心がそれらに勝った。
「一方的に決めつけやがって。モルテは、罪人なんかじゃない!」
背後の男は、馬鹿にしたように長々とため息をついた。
それから、身を乗り出してのぞきこむように、おれに顔を近づけた。
「やれやれ。僕らの正体を言い当てたから、多少は賢い坊やかと思ったが、そうでもなかったな。いいかい? 彼女が罪人か罪人じゃないかなんて、そんなこと、どうでもいいんだ」
くそっ、こいつら!
ぶん殴ってやりたかったが、おれを拘束している縄は丈夫で、必死にもがいても椅子がガタガタいうだけだった。
そんなおれのようすを、裁定者どもは愉しそうに眺めている。
モルテ。モルテ。
彼女はいま、どうしてる?
おれがいないことに気づいて慌てているのか、それとももう、こっちに向かっているのか。
おびき出すとかいってたから、痕跡は残してあるんだろう。
冷静であれば罠と気づくか……いや、モルテのことだ、それでもおれを助けに来るんじゃなかろうか。
だめだ、来るな!
なにか、そう伝える手段はないものか……
「なに?」
背後の男が突然、緊張した声を発した。
「誰が来ただと? 追い返せ……なに!? ええい!」
焦っている。いったい、なにが起こってるんだ?
そうこうするうちに、下の方でなにやら騒がしい音がしはじめ――
そして。
いきなり床がぶち抜かれ、ひとつの何者かが部屋に侵入してきた。
「おおい! ちゃんと階段を使って入ってこい!」
「屋根裏部屋なんて、こじゃれたところに隠れているからだ。面倒くさい奴らめ」
「えっ!? あ、あんたは!」
その人物は、おれの姿をみとめると、柔らかく微笑んだ。
「よかった、真名井くん。怪我はないようだね」
「ベルデ・エメロンド! どういうつもりだ、これは!」
「どういうつもり? それはこっちの台詞だな」
暗がりから、さらに数人の白装束が現れてベルデを取り囲んだが、美しきエルフの裁定者は不敵な笑みを浮かべつつ、彼らを睨めまわした。
「真名井霧矢は私の友人だ。それを迎え来るのに、なんの文句がある」
「迎えに、だと? こいつは咎人の協力者だぞ」
「認識の違いだな。私はそうは思わん。よって、彼の身柄は私が預かる」
「馬鹿な。そんなこと、許すはずがないだろう」
「わからないか? いまならまだ、穏便に済ませてやろうといっているのだ」
ベルデの声音が一段低くなり、眼光も鋭さを増した。
その迫力に圧されたのか、白装束たちがたじろいだようすを見せる。
「く、くだらん脅しを! 知っているぞ、お主、モルテ・リスレッティオーネに敗れたというではないか」
「ああ、卑怯な騙し討ちでな。まさか、誇り高き裁定者の皆々が、あのような汚い手を使えるとも思えないが」
あれを卑怯というのか……
ベルデ側からしたら、そういいたくなるのもわかるし、そいういえなくもないとは思うけど、やっぱり負け惜しみに聞こえるな。
とはいえ、この場でそれを指摘するのは、さすがに空気が読めなさすぎる。
ベルデは周囲に睨みを利かせながら、おれを縛っている縄を、素早く短剣で切ってくれた。
長いこと縛られていたせいで、手足の先が痺れている。
おれが立つのに難儀していると思ったのか、ベルデは無言のまま、おれを抱えあげた。
「はうっ」
こ、これは……お姫様抱っこ!
女性らしい柔らかさとしなやかさを備えながら、ベルデの腕は意外なほど力強かった。
いきなり顔と顔が近づき、さらに近くには豊かな胸まで迫ってきて、思わず息を呑んだ。
「ではな。モルテと普通にやりあう分には、私は止めはせん」
ぶち破った床の穴から、ベルデは下に降りる。
一階にもふたりの白装束がいたが、出ていくベルデを止めようとはしなかった。
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