第23話 妹の友達(2)

 翌朝、部屋から出てきた陸は、明らかに一睡もしていなかった。

 目の下は濃いクマが浮かび、顔色も悪い。


「だ、大丈夫か?」


 そう訊ねずにはいられなかったが、出かけるのに支障があるほど不調というわけでもなさそうだった。

 これが若さか、あるいは人形ボディの故か。

 それでも心配なので、大学は休むことにした。

 約束の場所は、前に佐原がおれたちを見かけた店の近く。

 あくまで会うのは陸ひとりなので、駅からは、おれとモルテはすこし離れてついていくことにした。


「心配だな」

「このあいだ、おつかいする幼児を大人が見守る昔の番組を観たのですが、キリヤ君、あれに出ていた親御さんみたいですね」

「ぐ……自覚はある」


 ただし、あの番組とちがってこの状況は、ほんわかしたものとはほど遠い。

 大事な妹が、下手すりゃ多大な精神的ショックを受けるのではないかと、すでに心臓がバクバクいっていた。

 10メートルほど先をゆく陸の背中に迷いは感じられない。

 まっすぐ前を見て、すこし早足ですたすたと歩いていく。

 だが、よく見ると左手でこぶしを作り、握ったりゆるめたりを繰り返していた。

 あれは陸が緊張したときにやる癖だ。

 昔からあいつは、本当に怖いときや苦しいとき、それを周囲に隠そうとする。

 落ち着かないおれの肩に、そっとモルテの手のひらがふれた。

 大丈夫。大丈夫。

 口には出さずとも、モルテがそういってくれているのがわかった。

 数分後、陸が交差点にまたがる歩道橋を昇り始めた。

 逆方向からやってくる人の中に、おれはあの日見た制服の女子高生を見つける。

 おさげに眼鏡。小柄でおとなしそうな少女。

 彼女が佐原日菜だろう。

 歩道橋の真ん中辺りで、ふたりはお互いに気づき、足を止める。

 会話は届かない距離。

 おれは、ただ待つことしかできない。



      ◇



「事故に遭う1カ月くらい前かな」


 公園を歩きながら、亜陸はモルテに語った。


「真名井亜陸は、実の兄にガチ恋してる変態だ――って噂が流れたんだよ」


 淡々と、他人事のようにいう。

 亜陸の歩みは淀まない。

 再度の生という奇跡を、決して無駄にしないという決意の表れのようでもある。


「べつに秘密にしてたわけじゃないけど、わざわざ他人にいったりもしなかった。ひとりを除いて」

「それが、サハラさんですね」

「いっとくけど、わたしは日菜を疑ってないよ。勘のいい子なら気づいただろうし、悪意のある奴は証拠なんてなくたってネタにする。わたし、すっごい優等生だったから、敵も多かったんだよ……それにまあ、ホントのことだし」


 でもさ、と亜陸は声にならない声で続ける。


「日菜は気にしちゃってさ。わたしが話しかけようとしても、避けられちゃってたんだよね。そんで、そのまま……」


 時間が解決してくれると思っていたのに、亜陸にその時間は与えられなかった。

 唐突に訪れた死。

 解決は宙づりのまま、佐原日菜の中の時間も止まってしまったのだろう。


「日菜は、謝りたいっていってたんだよね。それってきっと、すごく勇気が必要だったと思う。だから、わたしも――」


 振り返った亜陸は、固い決意の色を、その瞳に宿していた。


「怖がってる場合じゃない。ちゃんと、あの子にいってあげなくちゃ」



      ◇



 ふたりがなにを話したのか、おれにはわからなかった。

 ただ、言葉を交わすうちに、お互いの顔がくしゃくしゃに歪み、最後には抱き合ったのを見て、ほっと胸をなでおろした。

 よかった。

 仲直り、できたんだ。


「ハンカチいりますか?」

「……い゛る゛」


 ずびずびになった顔を拭い、思い切り鼻をかんだ。


「ごめん、洗って返す。いや、もういらないか」

「キリヤ君の体液なら、わたしは気にしませんけど」

「言い方!」


 モルテは相変わらず、というか、こうなることを全部わかっていたみたいだ。


「モルテ」

「なんですか?」

「ありがとう。陸を生き返らせてくれて」

「もう。何回目ですか」

「わかってる。でも、改めていわせてよ」

「まあ」


 モルテは目を丸くした。


「そんなに驚くようなこと?」

死霊術ネクロマンシーは、多くの人にとって禁忌のわざですから」


 この話題になるといつも、モルテの表情はすこし翳る。


「わたしは納得して使っていますが、それでも感謝されるのは嬉しいものです」

「これからも何回だっていうよ。もし、モルテが地獄にいくなら、おれも一緒だ」

「キリヤ君……そこまで仰ってくださるなんて!」


 モルテは頬を紅潮させ、両手でおれの手を握った。


「では、ゾンビになる件もOKということで……」

「それはまた別」


 危ない危ない。

 うっかり流されるところだった。

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