第19話 着信

 ゲーム大会で慣れない徹夜をした翌日。

 おれは午前の講義をすっぽかし、正午をまわったところでようやく大学のキャンパスを踏んだ。

 眼球の後ろには鉛でも埋め込まれたようで、思考もまともに働かない。

 授業に出ても、ほとんど内容が入ってこなかった。


「珍しいな。君がそんなふうになるなんて」


 おれがひとりでいるので、ベルデは遠慮なくおれの隣の席を陣取っている。


「ちょっと羽目を外しすぎちゃって。こうやって人は堕落していくのかな」

「それはそれで見てみたいな」


 ベルデは、くくっ、と笑った。

 いちおう心配はしてくれているようだが、それ以上に面白がっているのがわかる。

 とてつもない美貌のなせるわざか、ちっとも嫌味に感じられず、逆にその妖しい瞳に吸い寄せられそうになってしまう。

 モルテがいたら揉めそうだな。

 けど、たぶん――

 わかった上で、モルテはおれを独りにしている。

 それは彼女の優しさなのだ。

 陸のため、おれのために、自分を後回しにしている。

 本当は――これは、断じて自惚れではないと信じたいが、おれといたいのを我慢して陸の世話を焼いてくれている。

 そうすることで、おれが喜ぶからだ。

 本当に。

 本当に、頭が下がる思いだ。

 モルテの献身に対してなにか返したいと思うのは、決して絆されているばかりではないだろう。


「むう」


 ベルデが機嫌を損ねたように頬をふくらませた。


「あの女のことを考えているな」

「なんでわかるんだ?」

「認めるのか。そういうところも腹立たしいが」

「え。いや、ごめん……ごめん?」


 狼狽えるおれを見て、ベルデはまた喉を鳴らして笑った。

 どうやら、からかわれたらしい。


「そんなにゲームが愉しかったのか?」

「うん……というより、嬉しかったかな。モルテがさ、ちゃんと愉しんでたみたいだったから」

「妬けるな」

「ベルデもうちに遊びに来ればいいのに」

「御免こうむる」


 そういったベルデの声音は、はじめの頃よりだいぶ柔らかくなっているように聞こえた。

 拒否ではあるが拒絶ではない、というような。

 モルテが危険な存在でないと知って、見守る態勢にシフトしたようだ。

 あらためて、ふしぎだと思う。

 ベルデと、こっちのおれ――ふたりの育んだ友情についてだ。

 ベタつきすぎず、かといって、そっけないわけでもない。

 どうやら最初に声をかけたのはおれの方らしい。

 図書館で調べものをしているところを見つけ、アドバイスしたのだそうだ。

 皆が遠巻きに眺めるだけで、親しい相手もいなかったベルデと、なんの気負いも気兼ねもなく話しかけてきた――例のおかしな趣味についても、いっさい引かずに受け容れてもらえたのが嬉しかった、とか。

 ベルデにそういわれるのは面映ゆくもあるのだが、たぶん、その頃のおれ、のではなかろうか。


「君は変わったな、真名井君」

「どんなふうに?」

「前はもっと死んだような目をしていたし、笑うこともほとんどなかった。それがあの女の影響というなら癪に障るが」

「……そうかもね」


 曖昧に答えながら、おれはベルデから目をそらした。

 まさか中身がちがうからだとは夢にも思うまい。

 いったところで信じてもらえるとも思えない。

 そして、そのことに多少ほっとしてもいた。

 講義が終わり、遅めのランチに向かうため、おれはベルデと別れた。

 スマホに電源を入れ、画面を見ると、着信の通知があった。

 知らない番号。

 昔のおれなら無視するところだが、こっちに来てからは情報収集のため、なるべく通話してみることにしている。


『……もしもし』


 数回のコールで相手は電話に出た。

 おずおずとした女の子の声。

 どこかで聞いた覚えは、ない……と思う。


『あ、あの……真名井……霧矢さん、ですか?』

「はい」


 向こうはおれを知っている。

 誰だ?

 というか、何の用だ?


『わたし……佐原日菜、といいます。あーちゃん……いえ、亜陸さんの友達で。この番号は、卒業した先輩から伺いました』


 陸はおれと同じ中学に通っていたので、この佐原とかいう子もおれの後輩にあたるわけか。

 なら、共通の知人がいてもおかしくはない。


『突然お電話すみません』

「いや、それは構わないけど……」

『実は先週、高校の友達とお昼を食べてるとき、偶然お兄さんをお見かけしたんです……』


 佐原日菜がいい淀む。

 嫌な予感がした。

 続く言葉は、それを証明するものだった。


『あのとき、亜陸さんも一緒じゃなかったですか?』

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