第16話 妹(2)

 妙に気疲れする夕食を終え、おれは自室にもどった。

 今日という日を振り返ってみれば、モルテと出会って以来、トップクラスにいろいろあった1日といえそうだ。

 とにもかくにも、陸が蘇ったことはなににも勝る喜びだったし、おかげでなんというか、生きる希望みたいなものも、ふつふつと湧いてくる気がした。

 具体的には、明日が楽しみだった。

 また、陸と話せる。

 顔が見られる。

 ふれられる距離にいられる。

 陸が、生きていると感じられる。

 こんなにもいい気分で夜を迎えるなんて、いつぶりだろう――

 と、そこで、ドアをノックする音がした。


「兄さん……」


 か細い声。


「入ってもいい?」

「お、おお」


 ドアをあけて入ってきた陸は、どこか思いつめたような、なにかを決意したような顔をしていた。

 口をきゅっと引き結び、視線をそらせ、両手を前で組んで落ち着かなげに動かしている。


「どうかしたのか? もしかして、モルテが用意してくれた部屋が気に入らなかったとか?」

「ううん。ベッドもふかふかだし、とっても素敵なお部屋」


 そういえば、ここの住人はみんな暗い場所が好きなので、日当たりのいい部屋はあまりまくっていたのだとか。

 その恩恵を、おれたち兄妹は受けているわけだ。


「お前のこともだけど、モルテにはほんと、世話になりっぱなしなんだよ。そのうちなんかお返ししなくちゃとか思うんだけど――」

「ねえ、兄さん」


 陸が、これまでよりも強い語気で、おれの言葉をさえぎった。


「な、なに?」

「お姉ちゃんとは、恋人同士なの?」

「いや、ちがうけど」

「でも、婚約してるんだよね?」

「まだ認めたわけじゃない」

「それなのに同棲してるんだ」


 陸の目が、なにかを探るようにこっちをじっと見つめる。

 なんだ、この居心地の悪さは?

 べ、べつにやましいことなんて、なにも……

 なにもないはず……だよな?


「じゃあさ……」

「うん」

「もうシたの?」

「はあ!?」


 一瞬、なにをいわれたのかわからなかった。

 おれの知る陸は品行方正、真面目で聞き分けのいい優等生だ。

 そりゃあ、年頃の女の子だし、に興味はあったかもしれないが、すくなくともおれの前では、こんなあけすけなセリフを口にしたことは一度もなかった。


「な、なななななななにを」

「その反応……シたんだ?」

「し、シてない!っていうか、シたってなんだよ!」

「わかってるくせに」

「だいたい、恋人でもないのに順番がおかしいだろ!」

「そう? そこは関係ないと思うけど」


 たしかに……って、納得してる場合か!


「お前、そんな性格だったっけ?」

「兄さん。わたし、遠慮はしないことにしたの。せっかく生き返ったんだし、後悔したくないから」


 ずい、と陸が身を乗り出してきた。

 椅子に座ったまま、おれは後に退がる。

 陸はさらに距離を詰め、椅子に片膝を乗せた。

 さらに両手を背もたれにつき、左右の逃げ道をふさぐ。


「わたし、きれい?」

「え……あ……?」

「ねえ、答えてよ」


 耳に熱い息がかかる。

 ごくり、と喉が鳴った。

 おれの思考は完全に停止し、目を潤ませる妹をただただ見つめ返すことしかできない。


「ヘタレだなあ、兄さんは。ま、それならそれで好きにさせてもらうけど」

「な、なんで」

「わかんないの? 好きだったんだ……ずっと」

「は? いやいやいやいや! だって、兄妹だぞ!?」

「そんなの、もう関係ないじゃん。だって、わたしは人間の肉体からだを捨てて生まれ変わったんだから。血の繋がりからも解放されたってこと……」


 両方の手首をつかまれた。

 やば、思ったより力が強い。

 人形の身体は人よりも屈強だとでもいうのか?

 どうしよう。振りほどこうにもびくともしないぞコレ。


「や、やめろ!」


 ブンブンと首を振るおれを、陸は濡れた瞳で見おろしている。

 こいつ……愉しんでいるのか?

 だが、その油断が命取りだ。

 右、左と横運動を繰り返していた首の動きを、いきなり縦に変化させる。


 ゴツッ。


 陸とおれの、おでこ同士がぶつかった。


「痛っったぁ!」


 陸は床にひっくり返り、おでこを押さえてごろごろ転がった。


「ひどい! なんてことするの、兄さん!」

「力づくでこられたら、こうするのも仕方ないだろ!」


 そうはいったものの、おれ自身心苦しかった。

 妹に手をあげたのは初めてだった。

 ……いや、この場合、頭だけど。


「人形なのに痛みも感じるんだな」

「そうなの。すごいよ、この身体」


 おれは陸を助け起こし、ベッドに座らせた。

 頭突きを喰らわせたところを確認してみたが、傷はついていない。

 そのかわり、ほんのり赤くなっていた。


「反応まで、人間の身体そっくりなんだな」

「うん。ごはんを食べたらおいしいし、ぶつかったらちゃんと痛いの。兄さんにさわられたときも……すごく、気持ちよかったよ」

「いいかたがキモイわ」

「えー」


 おれのツッコミに対し、陸はケラケラと笑ったが、それは長続きしなかった。

 笑いを収め、哀しげな表情になり、すん、とひとつ鼻をすする。


「……やっぱり、ダメ? どこまでいっても、わたしは妹でしかない?」

「ああ」

「わたし、身体は変わったけど、心は昔のままだよ? 兄さんもよく知ってる通り、普段からこんなことするコじゃない。物凄く……勇気を出したんだよ?」


 か細く、震える声。


「断られたら恥ずかしくて、また死んじゃうかもって思ったけど、それでも……それでも頑張ったんだよ?」

「そうか……そう、だよな。ごめん」


 気持ちを汲んでやれなくて。

 勇気がなくて。

 うまい言い訳すらできなくて。

 つまるところ、至らない点が多すぎる、ダメな兄なのだ、おれは。

 沈黙しているおれを、陸は泣きそうな顔をしたままじっと見つめ、それからふうっとため息をついた。


「わかった。今日のところは勘弁してあげる」

「この話はこれで終わりにしたいんだけど」

「問題は兄さんの気持ちでしょ? だったらまだ希望はあるじゃん」


 前向きだな。

 これは、この先何度もこの問題と向き合うことになりそうだ。

 どこかで肚をくくらなければならないだろうが、それを考えると気が重い。


「お姉ちゃんの先を越すつもりだったけど、焦ってもダメかぁ」


 陸は両手を組んでのびをした。

 我が妹ながら恐ろしい。

 既成事実、成立させられなくてよかった。

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