第9話 タイマン勝負

「相撲といいましたか? キリヤ君」


 モルテが困惑顔で訊ねた。


「太った大男が裸でくんずほぐれつする、レスリングの一種のアレか?」

「気づいてるかい、ふたりとも。ここは神社……つまり神域だ。そして相撲とは、古来より神に捧げる儀式のひとつだったんだ」

「聞いたことがあります。現代でこそスポーツとして親しまれていますが、それ以前は神への捧げものだったとか」

「そうなのか。詳しいな」

「そうした成り立ちもあってか、この国においてはいまだ他の競技とは別格扱いされていますね」

「ふむ」


 敵視する相手の話だというのに、ベルデは目を輝かせ、興味深げにしている。

 大学に通っているのも、こちらの文化に関心があるからなのかも。


「神の前でおこなう聖なる儀式。どっちが正しいのかを決めるのに、これ以上ふさわしい勝負はないと思うけど?」


 ぶっちゃけ詭弁だ。

 相撲が裁判に用いられたとか、ひょっとしたら昔はそんな風習があったのかもしれないけど、おれは聞いたことがない。

 それでも、実際に神様とかいそうな幻想世界の住人なら、人界の神様も粗雑には扱わないだろうという計算もあって、賭けに踏み切ったというわけだ。


「その女が勝ったら無罪放免、私が勝ったら生殺与奪は自由、ということでいいか?」

「それだと、モルテのリスクが大きすぎない? とりあえず、おれがモルテの家を出るから、あとは様子見ってことでひとつ」

「え、ちょ、ま。同棲してるって、それも初耳なんだが!?」

「婚約者なんだから、べつにおかしくないだろ。むしろ、そこまで進んだ仲を精算するんだから、相応のリスクととらえてよ」

「そ、そうか? そうなるのか?」

「なる!」


 力強く断言してみせる。


「う……わ、わかった。いいだろう」


 まだ釈然としないようすだったが、ベルデはうなずいた。

 残る問題はひとつ。

 というか、それが最大の難関なのだが。


「これでよかったかな、モルテ?」

「……キリヤ君との楽しいひと時を邪魔されたうえ、相撲までとらされるのは甚だ不本意ではありますが」

「それは……ごめん」

「でも、穏便に収めるため、心を砕いてくれたことには感謝しています。――あとは、わたしにお任せください」


 モルテはヒールを脱ぎ、スカートの裾をたくしあげて腰の横で結んだ。

 なめらかで張りのある大腿部が露わになり、おれは思わず目をそらした。


(大丈夫だろうか)


 残る最大の問題――それは、モルテが勝てるかどうかだ。

 死霊術師ネクロマンサーといえば、ゲームでも後衛職で、身体能力は低いものと相場は決まっている。

 対するベルデは、いきなり剣を取り出したところからも、そっち方面の自信はありそうだ。

 せっかく引っ越したばかりだし、リナの作る食事も美味しいので、勝ってもらわないと困――あれ? おれ、モルテに勝ってほしいのか?

 はたと気づいて考え込む。

 婚約者云々といった話はまだ受け容れたわけではないし、ここで距離をおけるのはむしろ好都合なのでは?

 考えれば考えるほど、そんな気がしてきてならないのだが、同時にもやもやしたものが胸の奥にわだかまりもする。


「提案がある」


 ベルデが居丈高に胸を反らしていった。


「この勝負、どう考えても私に有利だ。そこでハンデとして、ひとつだけ魔法を使うのを許そう」


 いかにも上からといった物言いだったが、勝つためと考えれば、ここは受け容れたほうが得策だろう。

 だが、モルテの答えはこうだった。


「お気遣いありがとうございます。わたしなら大丈夫ですから」


 澄んだ笑顔を向けられて、ベルデは逆に戸惑ったようすだった。


「準備はいいね。さあ、見合って見合って」


 行司役はおれが務める。

 右手を軍配代わりに構え、ふたりの顔を交互に見た。


「はっけよい――のこった!」


 勢いよく突進するベルデ。

 一方のモルテは――

 それを上回る速度で間合いを詰め、両手を前にのばした。


「えっ?」


 軽く押しただけに見えたが、ベルデの身体はピンポン玉のように宙を舞い、後方に立ってる樹に激突した。

 決まり手は突き出し。

 あまりにもあっけない決着だった。


「うっそだろ!?」


 あごが外れるほど驚愕しているおれに、モルテがにっこりと笑いかけた。


「身体強化の魔法です」

「え? だ、だってさっき、魔法は使わないみたいなこと……」

「わたしそんなこと、ひと言もいっていませんが?」

「あ――」


 大丈夫、というのは、もう使っているので、という意味だったのか。


死霊術ネクロマンシーは、魂と生命の力を操る魔法ですから、応用次第でこういうこともできるんです」

「おれも含め、まんまと騙されたというわけか」

「人聞きが悪いです。キリヤ君も彼女も、勝手に勘違いしただけだと思いますけど」


 平然とモルテはいってのける。

 ダークエルフは嘘つきだという評価、あながち間違ってはいないのでは?

 吹っ飛ばされたベルデは、白目を剥いた状態でぴくぴくと痙攣していた。

 これは……完全に気を失ってるな。

 すごいな死霊術師ネクロマンサー。もやし職どころかゴリラじゃん。

 後衛に特化してるけど、いざというときは前衛もこなせるとかずるい。

 などと思っていたが、意外に早く弱点も明らかになった。

 帰宅したとたん、モルテがぶっ倒れたのだ。

 原因は筋肉痛。

 無理な筋力ブーストが祟ったというわけだ。


「ったく。だから普段から身体は鍛えとけっていってんだろ」

「うう~……痛い……痛いよう……」


 リナのお説教に、モルテは呻き声で応えるしかなかった。

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