第10話 復帰初日
大学に行くのは久しぶりで、おれは柄にもなく緊張していた。
出発時にはあれこれ考えないようにしていたが、駅を出たあたりから、顔見知りがいないか気になって周囲を見回してしまう。
復帰初日で、どんな会話から入るのが果たして正解なのか。
変に気を遣われても嫌だし、かといってまったくふれないわけにもいかないだろう。
いっそこちらから話を振るか?
強めに当たって後は流れというやつだ。
……うう。そんなコミュ強みたいな真似、おれにできるかあ?
そうこうするうちに大学に到着する。
見た感じ、おれの知っている世界と大差ない。
幻界人の割合も、20人にひとりといったくらいだ。
「真名井」
「村井か?」
掲示板の前で声をかけてきたのは、人並みに遊んでいそうな雰囲気のある男子学生だった。
「今日からなのか?」
「ああ」
元の世界ではリモートの授業がほとんどだったので、直接顔を合わせると、その距離感に戸惑う。
こちらの村井は演劇サークルに所属しており、他者との交流にも積極的なタイプに見えた。
「魔法治療のおかげで、あまり長引かずに済んだからな。講義にもなんとかついていけると思う」
「そうか。ま、なんかあったらいってくれよ」
「ありがとう」
村井の後ろにも何人か知った顔があった。
彼らも口々に、おれの復帰を歓迎する言葉を口にする。
「ねえ、快気祝いとかしちゃおっか?」
明るく髪を染めた女子が、おれの袖をひっぱりながらいった。
彼女の名前は
村井と同じグループということは、彼女も演劇サークル所属か。
ふっくらとした小顔で性格も明るい。
スキンシップがやや過剰なタイプなのか、おれの肩や腕に気安い感じでふれてくる。
こういうのって、相手によっては勘違いされないか?。
そんなことを考えていると、玉城さんの視線が、空中のある一点でぴたりと止まった。
「ひっ」
小さく声をあげた後、なぜか彼女はカタカタと震えだし、おれから手を離して逃げるように友人たちのところに戻った。
どうしたのかと振り向くと、すこし離れた場所に、貼りつけたような笑顔でこちらを見ているモルテの姿があった。
心配だといってついてきたのだ。
過保護な母親でもあるまいし、もちろんおれは断ったのだが、なぜか彼女は譲らなかった。
玉城さんは、モルテを見て驚いたのか?
でも、そんな脅えるような要素があるだろうか?
おれが首をひねっていると、今度は横から声があがった。
「ああー! 貴様、なんでこんなところに!」
よく通る声なので、迫力がすごい。
当人の目立つ容姿も相まって、周囲の人間は仰天してその声の主に注目する。
ベルデ・エメロンドが白い貌を怒気に染め、モルテを指さしていた。
「あら、あなたは昨日絡んできたエルフの裁定者さん。その後お加減いかがですか?」
「黙れ卑怯者! 同じ手は二度と食わんから覚悟しろ!」
やれやれ、といいたげにモルテはため息をついた。
「せっかく見逃してさしあげたというのに、しようのない方ですね」
たちまち一触即発状態になるふたり。
村井たちはのんきに「おお、美女対決」だとか、「エルフとダークエルフって、本当に仲悪いんだ」などと呟いている。
スマホで動画を撮影しだす者もいて、いよいよまずい。
「ああー! このふたり、演劇に興味あるらしくて! 宿敵同士が偶然出会うシチュエーションなんだけど、どうかな!?」
やけくそ気味に、おれは叫んだ。
「えっ、そうなん? ベルデさんだけじゃなく、こっちの子も?」
「てか真名井、ダークエルフの子とも知り合いなの?」
「あ、はい。キリヤ君のこん――」
「でもごめん! 急ぎの用を思い出したから、また今度な! あとはベルデさんから聞いて!」
モルテの手首をつかみ、強引にその場から連れ出す。
「あ、待て、ふたりとも!」
「ベルデさん、本当にうちのサークルに入ってくれるの? もう大歓迎なんだけど!」
たちまちベルデは演劇サークルの連中に囲まれ、追跡を阻まれる。
その隙におれたちは、安全圏まで逃れることができた。
「そろそろ離していただけますか?」
「あ、ごめん!」
慌ててモルテの手首から手を離す。
赤く跡がついていたので改めて詫びると、モルテは可笑しそうに笑った。
「あんなふうにされるなんて……キリヤ君も意外と大胆なんですね。ちょっとドキドキしちゃいました」
「な、なにいってるんだよ」
心臓が跳ねた。
見た目だけなら10代でも通りそうなモルテの笑顔は、やっぱりかわいい。
すくなくとも、その点は認めなくてはならないと思う。
「でも、やっぱりついてきて正解でしたね」
「どこをどうしたらそんな風に思えるんだか。トラブルの元でしかないだろ」
「薄々そんな気はしていましたが、こうも
「ライバル?」
ひとりはベルデのこととして、あとは誰だ?
あと、見張るって何?
「ねえ、やっぱりモルテは帰ったほうがいいんじゃない? このあと講義に出るけど、そしたらまたベルデと顔を合わせるだろ」
「いいえ。わたしのいないところで、あることないこと吹聴されたら嫌ですから。それに、焦った彼女がキリヤ君を誘惑しないとも限りません」
「誘惑? なんでベルデさんが……」
「くぉらあ! モルテ・リスレッティオーネ! 貴様こそ、あることないこと真名井くんに吹き込むんじゃあない!!」
あ、もう追いついてきた。
「しつこいですね。まさか、あの方たちに手荒な真似はしていませんよね?」
「馬鹿にするな。人間がどれほどの数でおしよせてこようとも、ちょっと頭の中をいじってやれば、無傷で無力化するのは容易い」
「おいおい。下手に暴力振るうよりもヤバくないかそれ」
さすがに引いたが、けしかけたのはおれなので、あまり強く出られない。
後遺症とかないといいけど……
「むっ。ちがうぞ真名井くん。これは言葉の綾だ」
「とにかく!」
おれは前に進み出て、両手をベルデの肩に置いた。
「えっ。な、なんだ急に!?」
「郷に入っては郷に従え、だよ。あんたもこっちの世界で暮らしてるなら、こっちの流儀に従え」
「つ、つまり……?」
「ケンカはするなってことだよ! 仲良くできないなら、せめて近づかないでくれ」
「なぜだ、真名井くん!」
ベルデが青ざめた。
「なぜ、そんな哀しいことをいうんだ? 君が事故に遭ったと聞いて、私がどれほど心を痛めたか。私との友誼を、まさか忘れてしまったとでもいうのか?」
「それについては、ごめん」
「あの女か? やはり、あの女が原因なのか?」
「ちがう」
おれは首を横に振って、きっぱりと否定の意を示した。
「なんで、そこまで信じられる?」
「もちろん、あんたのいうことが正しい可能性も考えないわけじゃない。でも……モルテは、おれによくしてくれたから」
背後で感極まったような「キリヤ君……」という声が聞こえたが、ベルデの説得に必死なおれに、構っている余裕はなかった。
やだなあ、こうやってだんだん外堀が埋まっていく感じ。
「ぐ、ぐう……そんな子犬のような目で私を見るな」
「お願いだ、ベルデさん。おれは、どっちが傷つくのも見たくない。だから、もうすこしだけ、おれたちをそっとしておいてくれないか?」
都合のいいことをいっている自覚はある。
けれど、これは偽りのない正直な気持ちでもあった。
「うう……」
苦悶するようなベルデの表情から、おれは彼女の葛藤を読み取った。
もうひと押し。
いけるか?
「ベルデさん!」
「うわあああああああああああああ!」
突然ベルデが絶叫し、おれの手を振り払った。
「やっぱり駄目だ! もう耐えられん!」
「そ、そんな……」
そこまで、ふたつの種族の断絶は根深いのか。
事情もよく知らない第三者が、軽々しく関わるべきではなかったのか。
「どうして! そんなに! 可愛いことをいうんだ、真名井くんは!!」
「「はあ!?」」
おれとモルテの声がきれいにハモった。
「いやちがう! そもそも人間というやつが、どうしようもなく愛おしいんだ、私はッ!! だってそうだろう!? 百年がやっとの儚い一生を、必死に! 懸命に生きるその姿! そんな健気な生き物が、すがるような眼差しで私に訴えかけてきているんだぞ! 反則だろう、そんなの!!」
んんー? ちょっと予想外の反応だぞ、これは。
「ええと……つまり、矛を収めてくれるってことで……いいのかな?」
「そういっている!」
「し、知らなかったよ。そんなに人間を好いてくれてるなんて……」
「大好きだ! だから私は、この学び舎で人間のことを勉強しているのだ!」
再度起こった激突の危機は、こうして事なきを得た。
胸を撫でおろす一方で、おれは今後のベルデとの付き合いについて、一抹の不安を抱いたのであった。
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