第7話 彼女の好きなもの

「おでかけしましょう!」


 引っ越しの翌朝。

 いきなりの提案に、おれは困惑した。

 有無をいわせぬ口調からは、モルテの昂りが伝わってくる。

 目は血走り、隈が酷い。

 笑顔も引きつっており、明らかに尋常ではなかった。


「え、やだ」


 思わず、そう答えてしまう。

 モルテの表情が、一瞬にしてこの世の終わりみたいになった。


「ダメです! それでは話が終わってしまいます! せっかく寝ないで考えたんですから!」

「えー」

「つれなくすんなよ霧矢」


 リナの援護射撃も入ったとなると、抵抗は無駄になる公算が高い。

 ため息ひとつ、おれは提案を受諾した。

 いつの時代、どの世界においても数は力なのである。

 手早く朝食をすませ、モルテはうきうきで自室にもどっていった。

‟おでかけ”のための服選びだそうだ。

 その段になって、おれはようやくひとつの真理に辿り着いた。

 これはいわゆる、デートというやつなのではないか?

 自慢ではないが、おれの彼女いない歴は=年齢である。


「ど、どうしよう。おれもとりあえずお洒落したらいい?」

「いいんじゃねえの?」


 心底興味なさそうに、リナは答えた。

 腕組みをして、おれは黙考する。

 モルテのイメージカラーは黒、服も黒いものしか見たことがない。

 ならばおれも黒で合わせるべきか? ……いや、それじゃ葬式の参列みたいだな。

 悩んだ末、結局大学に行くときと変わらない、ふだんどおりの格好になった。

 あまり気合が入っていると思われたくないし、そもそも手持ちの服にバリエーションがないのだ。

 リナが呆れたような表情をしていたような気もするが、気にしないでおこう。


「お待たせしました」


 遅れて現れたモルテは、まるで別人だった。

 まず、服が黒でも革でもなく、清楚系といわれたら最初に思い浮かびそうな白のワンピースだった。

 ノースリーブで、肩にはショールを羽織っている。

 つば広の帽子を右手に持ち、左手には黒のポーチ――ここだけはいつものモルテっぽい。

 ふだん化粧っ気がないのに、今日はばっちりメイクしている。

 完全によそ行きモードだ。


「どうですか?」


 裾を翻すようにターンすると、ふわりと花の香りが広がった。


「う、うん……いいと思うよ」

「ありがとう、キリヤ君」


 こうなると、消極的な理由でなにもしないという選択をしたのが申し訳なくなってくる。

 おれの適当な褒め言葉に、モルテが素直に喜んでくれたのでなおさらだ。

 いきなり失点を抱えたまま、おれはモルテとともに街へ繰り出した。

 まずは買い物。

 新生活で必要な物、あるいはただ欲しい物、さもなくばなんとなく惹かれる物を求め、適当に散策する。

 ほとんど目的はあってなきが如しだが、こういうことは独りではまずやらないので新鮮といえば新鮮だ。

 なにも見つからなくても、モルテが話しかけて間を埋めてくれるので、気まずくなったりもしない。

 まあ、おれは適当に相槌を打ってばかりなのだが。

 色々見て回ったが、最終的に購入したのは箸とマグカップと、それからなぜか蚊遣り豚だった。

 食器類はおそろいで、会計時にモルテが「新婚みたいですね」と耳打ちしてきたので、思わず背筋が伸びた。

 うすうす思ってたけど、恥ずかしいから黙っていたのに……。

 蚊遣り豚に関しては、かたちが可愛いと思っていたが何に使うのかわからなかったらしい。

 おれが説明するとひどく感心され、夏が近いということもあって購入が決定した。


「あまり荷物が多くなってもいけないので、このくらいで。また来ましょう!」

「このあとはどうするの?」

「映画とかどうでしょう」


 映画かあ。もう何年も観に行ってないな。

 いま、どんな作品が上映されているかも知らないし。

 元いた世界とはラインナップが変わっていそうだけど、そうだとしても、きっとわからないんだろうな。

 映画館に到着し、壁に貼られているポスターを眺める。

 うん! わからない。

 有名作品の続編あたりなら無難なんだろうが、前作を観てないからなあ。


「ご希望はありますか?」

「いや。逆にオススメとかある?」

「そうですねえ。定番を挙げるなら、恋愛映画なのでしょうが――」


 あ、この反応。

 恋愛体質なのかと思いきや、意外とそうでもないのかも。


「モルテの観たいやつでいいよ」

「そ、そうですか? それなら……」


 モルテが指定したのはゾンビ映画だった。

 なるほど、こっちの方向ね。

 結論からいえば、映画は面白かった。

 世界中で少女の死体が蘇り、特殊部隊がそれと戦うというストーリーだ。

 可愛らしい少女ゾンビという色物感に反してかなりシリアスで、テンポもよく、ゴア描写にも力が入っていた。

 ゾンビ映画は常に一定の人気があるものの、低予算で作られるというイメージがあったのだが、ふつうに出来が良いと感じた。

 感想を語り合うため立ち寄ったファミレスで、モルテはしばらく熱に浮かされたような表情をしていた。


「はああ……はあああああああ……」


 料理が運ばれてからもこんな調子だ。


「そんなによかった?」

「はい……過去最高かもしれません。心を亡くしたゾンビたちと、それと戦うため自ら心を殺す主人公たち特殊部隊。鏡合わせの関係にある両者の戦いは壮絶を極め、容赦も躊躇も憐憫も差し挟まれる余地はなく……その徹底ぶりも素晴らしいのですが、それによって醸し出される哀切には胸を抉られる想いでした」

「なるほど?」

「それにあの人体破壊描写……起こったことをそのまま映すのではなく、トマトを次々潰していく映像に差し替えられていましたが、あんな表現方法もあるんですね」


 モルテは人さし指で、ミニトマトを皿にぐいぐい押しつけた。

 頬は上気し、小さくひらいた口から熱い吐息が漏れる。

 怖い怖い。怖いって。


「でも、なにより素敵だったのは、戦うしかなかった主人公とヒロインの心が、愛によって蘇るシーンですね。人と死者の垣根を超えて手を取り合い、最後には結ばれる……そんな奇跡が本当に起こるんだって、信じる気持ちになりました」

「愉しんでくれたみたいでよかったよ」

「あっ……ご、ごめんなさい、わたしばっかり……その……キリヤ君は、どうでした?」

「愉しかったよ、もちろん」


 おれの答えを聞いて、モルテはほっと息をついた。

 それから、我を忘れて暴走してしまったという自覚からか、恥ずかしそうに俯く。


「ダメですね、わたし……今日は、めいっぱいキリヤ君をおもてなしするつもりだったのに、逆に気を遣わせてしまって」

「そんなことないよ。本当に愉しかったし、君の好きなものが知れたのも嬉しい」

「え……」


 ちょっとクサいとも思ったけれど、これはおれの嘘偽りない気持ちだった。

 モルテの頬に差していた赤味が、みるみる耳の先まで広がっていく。

 ああ、もう。

 そんな大袈裟に受け取らないでくれ。


「べ、べつに、君に特別な感情を抱いてるとか、そういうことじゃないからな! ただ、おれは、そう……自分の近くにいる人たちには、笑っていて欲しいっていうか……あんまりうまくいえないけど、そんな感じの……」

「は、はい! もちろんわかっています。そんな急には、無理ですよね。でも、それって……すごく、嬉しいです。やっぱりキリヤ君は、優しい人だってことですから」


 おずおずと向けられる視線に胸が苦しくなる。

 そう。たしかに急には無理だ。

 いってみればモルテは無から生えてきた婚約者で、そのことを受け容れるには、おれの中で色々と追いつかない部分がある。

 でも、いつかは――と。

 願わずにいられない自分が、たしかにいると感じた。


「そういえば、どうして今日はおれを――」

「ああぁぁー!!」


 おれの台詞をさえぎるように、女性の叫び声が響いた。


「真名井くん、どうしてここに!?」


 驚いて振り向くと、ものすごい美人が立っていた。

 肌は抜けるように白く、豊かな髪は光を透かして輝いている。

 そして、モルテと同じ尖った耳――そう。

 彼女は、エルフだった。

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