第6話 モルテの決意
黒髪に櫛の歯をたてる。
す――と腕を動かすと、滞ることなくするすると毛先まで抜けてゆく。
モルテくらいの身分の女性であれば、髪の手入れは人任せにするものだが、彼女は自らの手でおこなうのを常としていた。
無心に髪を梳かしていると落ち着くし、よいアイディアも浮かびやすい。
魔法を扱う者は、研究者としての側面もあるため、沈思黙考の時間は大切である。
モルテの場合、この方法が性に合っていた。
だが――
今宵はあまり、はかばかしくない。
心がざわつき、雑念が混じる。
婚約者との再会。
彼と、それに関わる己の今後。
本拠の変更に伴う諸々の調整。
考えるべきことは山積みなのに考えはまとまらず、苛立ちは募るばかりだった。
「ふう」
手を止めて息をつくと、見計らったかのようにドアがノックされた。
「どうぞ」
「邪魔するぜ」
モルテは櫛を卓に置き、入室してきたリナに向き直った。
「ようすはどうですか?」
「落ち着いてる。ついさっき寝入ったとこだ」
「そう。よかった」
モルテは胸をなでおろした。
アパートで突然、霧矢が涙を流しはじめたときは驚いた。
どこか痛むのか。あるいは事故の後遺症かと疑ったが、霧矢自身はなんでもないといい張った。
なんでもないわけがあるか。
さりとて対処法も思いつかない。
幸い荷物はほとんど積み終わっていたので、大急ぎで屋敷にもどった。
大丈夫だ。なんでもない。ちょっといろいろと押しよせてきただけ――
霧矢は頑なにモルテの助けを拒み、モルテはそれが悲しかった。
(なんで、なにもいってくれないんですか)
話してくれれば、してあげられることがあるかもしれないのに。
それが無理でも、そばにいるくらいはできるのに。
「ちっと強引すぎたんじゃねーか? 段取りすっ飛ばすなんざ、お前らしくもねえ」
「わたしもそう思っていました。でも、いまはちがいます。泣いている彼を見て、考えが変わりました――これからは、ずっとキリヤ君のそばにいます」
「愛が重いねえ」
リナが呆れ顔で肩をすくめる。
「大事な人が、わたしの知らないところで不幸になるのは、もう嫌なんです」
「わかるけどよ……焦るこたァねえだろ? まだ初日だし、あいつの記憶ももどっちゃいねえんだ」
リナの言葉は正しい。
けれど、ダークエルフであるモルテからすれば、人間の霧矢はあまりに儚い存在だった。
たいした時間ではないと思ってよそ見をしていたら、ふいっと消えてしまうのではないか。
そんな不安が拭えない。
いっそ、霧矢が20歳になるのを待たずにゾンビにしてしまおうか?
(ううん、だめ)
約束は約束だし、そうすることで今度は、どうしてあと2年が待てなかったのだという後悔につきまとわれる羽目になる。
(大丈夫。わたしならキリヤ君を護りきれる)
ぐっ、とモルテは両手をにぎりしめた。
「それよりよー。ちゃんと考えてんのか?」
「なにをですか?」
「おっまえ……マジか」
リナは盛大にため息をついた。
「ちょっと。仮にも主人に対して、その態度はないと思うんですけど」
「うるせー。お前、あいつを魂入りのゾンビにするつもりなんだろ? だったら、このままじゃまずいってわかるだろうがよ」
「あっ……」
モルテは口許を押さえた。
たしかにリナのいう通り、霧矢をゾンビにしたらそれでお終い、というわけにはいかない。
ポイントは、魂入りであること。
肉体がいずれ朽ち果てるように、魂もまた永久不変ではない。
使い続けていれば徐々にすり減り、消滅してしまうものなのだ。
そして、消滅するまでの時間、いわば魂の活動限界はこの世への執着――つまりは、生きたいという意思に比例する。
「あいつ、ゾンビになるのは嫌みたいだけど、死ぬのはべつに構わねーっつーか、むしろとっととこの世とおさらばしてー、みたいな感じじゃねーか?」
「たしかに、そんなことをいっていましたね」
モルテは深くうなずく。
「どうりで澱んだ目をしているはずです……いえ、それはそれで、とてもわたし好みではあるんですが、でも……」
「ぐだぐだいってんじゃねえよ。とりあえず、そこをなんとかしなきゃだろ? アタシだってなあ、辛気くせー顔をふたつも眺めてたら気が滅入るんだよ!」
「ひ、酷い! わたしもなの!?」
横っ面をはりとばしかねない勢いでリナががなり立てるので、モルテは涙目になった。
「でも、どうしたら……」
「知るかよ! てめーで考えろ」
そういい捨てて、リナは部屋を出ていった。
ひとり残されたモルテは、それから空が白みかける時間まで、悶々と頭を悩ませるはめになった。
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