第5話 推論、そして暗転

「これは……!」


 見た瞬間、マリアが既に手遅れであることは明白だった。刃物で的確に左胸を突かれ、あまつさえ喉をざっくり裂かれており、首がほとんど繋がっていないに等しい有り様では生存など見込めるべくもなかった。


 次いで筑後川はリオのもとに駆け寄りしゃがみ込む。彼女もまた血を流しているが、切りつけられたのは左腕だけらしく、ショックで気を失っているだけのようだ。適切な処置を行なえば助けられるだろう。


 筑後川は安堵しつつ、しかし同時に動揺していた。どうしてリオまでもが……。彼女も犯人とは共犯関係にあるはずなのに。これ以上の殺人を躊躇した結果、仲違いでも起こしたのだろうか……?


「うう……」


 リオが意識を取り戻す。反射的に抱き起こそうとして、腕の怪我を思い出して思いとどまった筑後川の両手は不格好に宙を彷徨った。


「大丈夫かリオ……!」


「筑後川様……うっ」


 自力で起き上がろうと左腕を床につき、痛みに顔を歪めるリオ。早く傷の手当てをしなくては、そう思いつつも、しかし筑後川は焦燥を抑えられなかった。


「リオ、どうして君まで襲われているんだ。彼女は……彼女はどこだ?」


 筑後川の問いに躊躇うような表情を見せるリオだったが、やがて諦観とともに意を決したように口を開いた。


「……きっと、地下の牢に」


 筑後川はすぐに思い当たった。やはりあの部屋は直感した通り牢獄だったのだ。人目につかないよう暗がりの最奥に設けられた、無情で無慈悲で無機質な檻の中に囚われた人間が確かに存在したのだ。そしてその人物の名前こそ、セフィリア……。


 筑後川は立ち上がった。事態は一刻を争う。早く彼女を見つけに行かなければ。


「待ってください筑後川さん。僕もついていきますよ」


 自らの命を守るためか必死の表情で悠人が申し出た。しかし筑後川は迷う。このままリオをひとりにしていいものか。


「申し訳ございません悠人様……左腕がまったく言うことを聞かず、どうか処置を手伝っていただけませんでしょうか……」


 それにリオの手当てもしなくてはならない。現状、命に別状はないとはいえ、傷は相当以上に深い。早く処置を施さなくては大事に至る可能性は十分にある。


「悠人さんはリオをお願いします。誰かが手当てをしてあげなくては」


「……分かりました」いかな悠人とはいえ、そう頼まれては断るわけにもいかず不承不承ながらに頷いた。


 無言で頷きを返し、悠人にリオを任せて、筑後川は部屋を飛び出す。

 中央階段へと向かう筑後川。駆け下りようとして……不意に視界の端に動く影がちらついた。反射的にそちらへ目を向ける。丈言・貴芙の部屋だ。開け放たれたドアの向こうに見えたそれに、大伍かセレナだろうかと目を凝らして……筑後川は目を見張った。


「レア!」


 メイド服を着た少女の後ろ姿は、紛れもなく筑後川の助手役だったのだ。下りかけた階段を再び上り、丈言らの部屋へと走る。開けっぱなしの部屋に駆け込むと、やはりそこにいたのはレアだった。


「……レア」


 少女が振り向く。その手には砕けたワインボトルが握られていた。割れたガラスがぬらぬらと煌めく様は、まさに刃物を思わせた。視線を下にずらすと、飛散したワインが絨毯に染みをつくり、その上を砕けたガラス片が装飾し……そして、全身を濡らして伏臥する尋常寺大伍・セレナの姿が筑後川の目に留まった。


「君がやったのか、レア」


 沈痛な面持ちで訊ねる筑後川。答えは分かっていたけれど、それでも問わずにはいられなかった。そしてそんな彼を、彼の助手役は冷徹な瞳で見つめ返す。


「はい」


 確定していた答えに筑後川は唇を噛んだ。これですべては明らかだ。誰が殺人犯なのかも、そして一連の殺戮が何のために行なわれたのかも。


「復讐だったんだな」

 筑後川は自身の助手役を見据えて言った。

「すべてはセフィリアという名の女性の、生前この家で虐げられ続けた彼女の恨みを晴らすための復讐だったんだ。セフィリアという女性が具体的にどんな扱いを受けていたのか私には分からない。おそらく大伍さんの愛人か何かだった彼女は、しかしいつからか本妻のセレナとその子供たちに疎まれ、あの地下室の牢に囚われていたんだろう。そこから察するに、その仕打ちは想像を絶するものだったんだろうと思う。ともすれば、それが原因で死期を早めることになったのかも知れないとも想像できる」


 レアは何も言わない。それを肯定と受け取り、筑後川は言葉を続ける。


「だから君は、君たちは復讐を目論み、その機会を窺い続けた。彼女を虐げ死に追いやった尋常寺一族と執事に制裁を与えるべく、来る日も来る日もその日を待ち続けて……ようやく今日、邪魔が入らない状況を狙って計画を実行したんだ。たったひとり、想定外の闖入者があったけれどね」


 それはもちろん、筑後川自身のことだ。


「でも、どうして君たちがセフィリアのために復讐を企てたのか。その理由を私は考えたが……考えられる仮説はひとつだ」

 わずかに躊躇うような間を置き、そして筑後川は告げた。

「君たち双子姉妹は、廻目リオと廻目レアは――廻目セフィリアの子供だろう」


 セフィリア。リオ。レア。どれもが日本人らしからぬ名前であり、その共通点はつまるところ血縁関係へと帰結する、というのが筑後川の推論だった。


 一連の殺人はリオとレアのふたりによる犯行だった。小森田は一階にいたふたりのどちらでも殺せたし、丈言・貴芙の殺害はリオになら可能だった。そしてマリアは、きっとレアが殺したのだろう。復讐の重荷に耐えきれなくなった姉に傷を負わせ退けてまで。


 筑後川は頼み込むような声で訴える。


「なあレア、もうやめよう。これ以上君がその手を血に染めるのは見ていられない。大伍さんとセレナさんはまだ息があるんだろう。復讐はもう、ここまでで終わりにしよう」


 筑後川は、目の前に立つ少女にこれ以上罪を重ねてほしくなかった。何故なら彼女は彼の、探偵の助手役なのだから。


 流れる沈黙。レアはじっと自らの探偵を見つめ続ける。

 やがてレアの唇がわずかに動いた。


「……違います」


「え?」


 消え入るような声だったために聞き取ることができず、思わず訊き返す筑後川。


「筑後川様のおっしゃることは間違っております」


「間違っている……?」


 筑後川は困惑した。自分は一体何を間違ったというのだ。自分の推理が正しくなければこの惨劇を説明することはできないはずだ。

 そんな筑後川の狼狽を興味なげに眺めながら、レアは言った。


「セフィリア様のお名前は、廻目セフィリア様ではございません」


「廻目じゃない……?」


 であればあの地下牢に閉じ込められていた故人は双子姉妹の母親ではなかったというのか。それじゃ何故リオとレアは復讐を。


「だったら本当の苗字はいった――」


「申し訳ございません筑後川様」


 レアの声が筑後川の言葉を遮った。


「どうか今しばらくお眠りください」


「は? それはどうい――」


 言いかけて、筑後川は後頭部に強烈な衝撃と激痛を覚えた。急激に遠のいていく視界と意識のさなか、筑後川は自分が何者かに鈍器か何かで殴りつけられたことを理解した。


 床に倒れ込む筑後川。偶然部屋の入り口に顔が向き……完全に意識を手放す直前、彼の視界に自分を殴打した人物が淡く映り込む。


 その姿は。


「……リオ……っ……!」


 驚愕と混乱の波に溺れつつ、ついに筑後川の意識は暗転した――。

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