氷雪系にて最強(ただしめちゃくちゃスベる)

悠木りん

一話

 僕は最強の氷雪系能力者だ。

 あらゆるものを凍らせることができる。


 中学生にしてその能力が判明してからというもの、僕は世界中で起こる様々な災害や危機を退けてきた。


 森林の大火災、沿岸部を襲う大波、果ては火山の噴火。僕に凍らせられないものはなく、高校三年の今までに救った人々の数は計り知れない。


 そんな僕の進路には、世界中が注目した。

 会見が開かれ、全世界に中継される。向けられるカメラの向こうでは何億もの人々が「高校を卒業した後は世界を股にかけるヒーロー活動に専念します」と僕が答えるのを望んでいる。


 世界で最強の氷雪系。そんな僕がやるべきこと。

 それは誰に望まれるでもなく、決まっている。


「高校を卒業したら僕は」


 全世界に向けて、僕は宣言する。


「お笑い芸人の養成所に入ります」


 その日、世界は震撼した。




「バカなの、君は? 世界最強の氷雪系能力者が、よりにもよってお笑い芸人? あまりにも笑えなさすぎ。芸人の才能ないからやめた方がいい。君は大人しく世界でも救ってなよ」


 会見の翌日、彼女は教室で僕を見るなり吐き捨てた。死ぬほどつまらないギャグを見せられたみたいな辛辣な口調に、けれど僕は落ち着き払って答える。


「いいや、もう決めたことだ。僕は誰がなんと言おうとお笑い芸人になる」


 僕の氷のように硬い意志を前に、彼女は深々とため息を吐いた。


「信じられない」


 まるで僕が世界最後のバカであるかのように呟くと、彼女は友だちの下へ行ってしまった。


 僕だって彼女の言いたいことはわかる。

 世界中で起こる災害、それを退ける唯一の力を持つ僕がお笑い芸人になるだなんて、世界の損失だと思っているのだろう。


 けれど、僕にとって世界より何よりもっと救いたいものがあることを、彼女は知らない。


 にこりともせずに友だちと話す彼女の冷徹な横顔を眺める。

 彼女が笑わなくなったのは、僕たちが中学生の頃。

 もっと正確に言うならば、僕の氷雪系能力が目覚めた時だ。


 ある日一緒に出かけた先の商業施設で、僕と彼女は火災に見舞われた。突然のことで、周りに気に掛けてくれる大人もおらず、気づいたら僕らの周囲には完全に火が回り煙が立ち込めていた。


 このままでは逃げ遅れ、彼女が死んでしまう。

 隣で激しく咳き込む彼女を見て、僕は必死に願った。

 僕に彼女を助ける力があれば、と。


 その瞬間、全身を怖気が立つほどの冷気が駆け巡り、気づいたら僕たちの周りは白一色に凍りついていた。


 彼女を背負った僕は、周りの炎を凍らせながらその場を脱出した。


 震える息が首筋にかかり、振り向くと、彼女は凍りついたようにぴくりともしない顔で言った。


「助けてくれてありがとう」


 僕は、彼女を助けるために彼女の大事なものを殺してしまったことを知った。


 後日、政府の研究機関により、僕の氷雪系能力が彼女の心を凍てつかせてしまったことが判明した。


 それ以来、彼女は笑わなくなった。いや、笑えなくなってしまった。


 お笑いが好きで、よく一緒に好きな芸人の動画を見ては笑い転げていた彼女。笑いすぎて涙だけでなく鼻水まで垂らしながら、それでも全身で幸福を放っていた彼女の姿はもう見れない。


「あのね、君。女子に向かって鼻水垂らしてたとか言うのホントにデリカシーないからやめなよ。お笑いだって他人を気遣う心がないと面白くないんだから」


 氷柱のように冷え切った声で切って捨てる彼女に、僕は誓った。

 彼女が再び笑えるように、僕がその心の氷を解かすと。

 だから僕は、彼女を笑わせるためにお笑い芸人になりたいのだ。




「お笑い芸人って……でも君にはもっと大事な役割があるんじゃ……」

「お笑い芸人よりもヒーローの方が向いてるって」

「進路は君の自由だ。けれど人には適性というものがあり」


 その日だけでうんざりするほどの、僕に翻意を促す声を聞いた。

 わかっている。みんな、僕には彼女ただ一人だけでなく世界中の人々を救ってほしいのだと。


「いやごめん。みんな優しいから濁しているけれど、君にお笑い芸人になってほしくない理由はそんな高尚なものじゃないよ」


 やんわりと僕にお笑い芸人を諦めさせようとする人波を抜けてやってきた彼女は、きんきんに冷えた刃を振り下ろすように言った。


「だって君、いつもスベってるじゃん」


 教室の中を、永久凍土の中で眠るマンモスよりもずっと深い静寂が満たした。


 そして悲しいことに、その静寂はどんな言葉よりも雄弁に彼女の言葉を裏付けていた。


 そう、僕は最強の氷雪系能力と引き換えに、ウケを狙おうとすると絶対に場を凍り付かせ、どんな爆笑必至のギャグも僕が放つと盛大にスベり散らかしてしまうという絶望的な呪いを背負っているのだ。


「ねえ、それでもまだお笑い芸人になるだなんて言うの? クラスメイトすら誰一人笑わせられない君が?」


 地球が太陽の周りを回っているのと同じくらい自明なことを言い聞かせるみたいに、彼女は問う。


 わかっている。無謀なことは百も承知だ。

 それでも僕は、目の前でにこりともしない君の――もう遠い記憶の中で朧げに霞む笑顔を、もう一度見たいのだから。


「笑わせてみせるよ、絶対に」

「……呆れた。こんなに言われてもまだ諦めないなんて」


 愛想が尽きた、とばかりの大きなため息。


「それじゃあ、勝負しようよ」

「勝負?」


 彼女の口から放たれた意外な言葉に、僕は訊き返す。


「そう。卒業するまでに、君がギャグでもモノマネでも漫談でもなんでもして、私に『面白い』って言わせれば君の勝ち。お笑い芸人にでもなんでも勝手になればいい。でも、言わせられなければ君の負け。お笑い芸人になるのは諦めて、大人しく世界中でたくさんの人を救う。どう?」


 彼女の提案に、教室中が固唾を飲んだ。

 この勝負の結果で、世界の命運は大きく変わるだろう。

 彼女が勝てば、史上最高に人を救うヒーローが誕生する。

 僕が勝てば、史上最低のスベり散らかすだけのお笑い芸人が誕生する。


 世界にとってどっちがいいか、なんて考えるまでもない。

 けれど僕は躊躇いなく頷いた。


「いいよ」

「……そう。じゃあ、頑張って私に『面白い』って言わせてみせてね」


 彼女は一瞬だけ傷ついたように目を伏せ、けれど次の瞬間には何事もなかったかのようにつん、と顎を上げた。


 そうして、僕と彼女の戦いが始まった。

 戦いは苛烈を極め、そして戦果は思わしくなかった、とだけ言っておこう。


 僕はあらゆるジョーク、モノマネ、一発ギャグ、一人漫談、フリップ芸など、思いつく限りの手段で彼女を笑わせにかかったが、どれもこれも大スベりだった。雪の降った翌日の坂道だってこんなスベらないだろう、と思った。最強の氷雪系能力はその代償も最強寒波レベルだ。


 そんなツルツルに凍りついた坂道を転げ落ちるみたいに、あっという間に卒業が目前まで迫っていた。


「ねえ、そろそろ諦めた?」


 通学路の梅が小さな花を咲かせる頃、彼女は相変わらず冬に閉じ込められたままのような冷たさで僕に問いかけた。


「諦めてない。きっとまだ試していないお笑いがある」


 そう答えると、彼女は唇をきっと固く引き結んだ。


「あのさ、君はどうしてお笑い芸人になりたいの」


 彼女のその声には、簡単に誤魔化してはいけないと思わせるような力があった。


「……どうしても笑わせたい人がいるんだ」

「笑わせたい人?」

「うん。本当は誰よりも笑顔が似合うのに、僕のせいで笑えなくなってしまった人が」

「それって」


 ゆらり、と氷のように透き通った瞳を揺らして、彼女は言葉に詰まる。


「うん、それは君の――」

「それって、お笑いが好きだからお笑い芸人になりたい訳じゃないってことだよね? それって不純じゃない?」


 完全にエモいセリフを口にしようとしていた僕を遮るように、彼女は真顔でマシンガンのように畳み掛けてくる。


「それってお笑いのことを手段としてしか見てないっていうか、本当にお笑いが好きで芸人を目指してる人に失礼だって思わないのかな? 君ってギャグとかモノマネとか漫談とか一人コントとか毎回毎回違う方向に手を出してるけど、そのやり方がそもそも気に食わなかったんだよね。自分の芯がないっていうか、こう『自分が好きな笑いで人を笑わせてやろう』っていう熱意が感じられなくてさ。なんか『色々やってりゃどっかで笑ってくれないかな』みたいな狡さが透けて見えるんだよね。それが本当にムカついて」

「ちょ、ちょっと、一旦ストップ」

「ううん、やめない。この際だからもう言いたかったこと全部言うね」

「え、怖」


 今の彼女には、最強の氷雪系である僕でさえ震えるほどの凄みがあった。


「あのね、君は君がスベることを氷雪系能力の代償だと思ってるよね?」

「いや、だってそれは事実」

「ううん。君のスベりは君の能力とは関係ないよ」


 まっさらな雪原を思わせる無垢な眼差しで、彼女は言う。


「だって、君は昔からつまらなかったもの」

「なっ」

「忘れてるみたいだから言うけど、笑えなくなる前からずっと、私は君に笑わされたことなんて一回もなかったよ」

「えっ、いやっ、でも」


 ぽんぽんと雪玉でも放るかのように投げかけられる衝撃の真実に、僕は息ができなかった。


 僕がスベるのは、能力のせいじゃなく、単純に僕がつまらないから……?


「な、何を言ってるんだ、君は……? だって、それじゃあ僕は」


 能力のせいでスベっているのなら、そういう呪いなのだと思っていれば、いつかそれを跳ね除けることができるかもしれないと。そう信じられたのに。


 本当にただ単に僕が『つまらない』だけだなんて、そんなの……。


「それじゃあ、君を笑わせることなんて、絶対にできないってことじゃないか」


 思わず、口からそんな呟きが零れた。


「うん、そうだよ。だから言ったじゃん、君はお笑い芸人に向いてないよ、って」

「そんな……」


 他ならぬ彼女から――ただ一人の笑わせたかった人から、到底受け入れ難い真実を突きつけられ、絶望が僕の胸を塞いだ。


「ねえ、だからいい加減に無理なことは諦めて、自分にできることをしなよ。それがみんなにとっての最良だよ」


 そう、彼女はひどく冷たく聞こえる現実を口にする。


「……どうして。無理なことをしようとするのは、そんなにダメなことなのか? 笑えなくなってしまった君に、もう一度笑ってほしいって思うのは、そんなにいけないことなのかよ?」


 現実の冷たさに、声が震えた。

 最強の氷雪系なんて笑わせる。

 たった一人の大切な人すら笑顔にできないで――冷たい氷の中から救い出すこともできないで、何が最強だ。


 僕は、冷たく硬い現実の前では、こんなにも無力なのに。


「……本当に、君はつまらないね」

「……この期に及んでまだダメ出しするのか」

「そうだよ。だって、君は君自身のことが全然見えてない」


 そう言って近づいてくる彼女の冴え切った瞳の表面に、僕の顔が映る。


「笑えなくなったのは、君も同じじゃん」


 それは、氷の彫像のように感情の見えない顔。


「そんなつまらなそうな顔してる人が、誰かを笑わせられるわけ、ないじゃん」


 とん、と彼女の白い指先が制服の上から僕の胸を叩く。

 あぁ、そうだ。

 かつて誰よりも笑顔が似合った彼女はもういない。

 そして、その隣で同じように笑い合っていた僕も。

 もう、何もかもが失われ、元通りにはならないんだ。


「……そうだね、こんな僕が君を笑わせたいだなんて、無理な話だったんだ」

「うん。でも、君は別の方法で誰かを笑顔にすることができる。だって君は、最強の氷雪系能力者でしょ?」


 結局、そういう話なのだ。

 人にはそれぞれ適性がある。分を弁えて、自分にできることをやるのが正しいのだと。


「私は、君に助けてもらって良かったと思ってるよ。たとえ、笑うことができなくなったとしても」


 そう言って、彼女は僕の胸から指先をつい、と離した。


「だから、今度は私の番」

「え? どういうこと?」


 咄嗟に訊き返す僕の耳元を、まだ冷たい風がなぶる。

 聞きそびれたその答えを知らずに、僕たちは高校を卒業し、二度と会わなくなった。



   *



「いやー、来てくれて助かったよ。さすが世界最強の氷雪系能力者だ」


 今日も今日とて、僕は世界を飛び回っては困っている人々を救っている。


 僕が助けると、誰もが笑顔になる。

 だからこの選択は――彼女が後押ししてくれたことは、正しいのだろう。


 けれど、そうして向けられる笑顔に、僕は未だにうまく笑い返すことができないままだ。


「あんた、なんでそんな仏頂面なんだ? そうだ、最近ハマってるコメディアンの動画があるんだ。見せてやるよ」


 そう言って目の前に差し出されたスマホの画面には、ステージの上に立つ一人の女性。


 氷から削り出したようなその冷たい顔立ちに、僕の目は釘付けになる。


 あの頃と変わらず冷え切った表情なのに、スポットライトの下の彼女はあの頃よりもずっと活き活きとして輝いて見えた。


「ジャパニーズコメディアンなんだけどさ、面白いだろ? 本人は全然笑わずに澄ました顔で、それがまた余計に面白いんだ」

「……あぁ、面白いな」


 そう言う僕の頬は、ひどく引き攣れていたと思う。

 笑みというには不格好なほどに。


 僕は断りを入れて、もうずっと掛けていない番号に電話を掛けた。


 コールはすぐに終わった。


『もしもし? 急にどうしたの?』

「いや、動画を見たんだ。君、お笑い芸人になったんだね」

『……ようやく気づいたんだ。遅いよ』


 どうだった? と電話の向こう、ノイズ混じりの彼女の声は、少しだけ不安げに震えているようだった。


「面白かった。すごく、久しぶりに笑った気がする」


 そう答えると、長い沈黙の向こうで深いため息が聞こえた。

 あの時聞き逃した答えはこれだったんだ、とようやくわかった。

 僕が彼女を笑わせたかったように、彼女もまた、僕を笑わせようとしてくれていた。


 あの日からずっと胸を塞いでいた絶望が、じんわりと溶けて流れていく。


『ねえ、君は今何してるの? なんかたまにニュースで見るけど、あんまり君のことって感じがしないんだよね』

「えっと、そうだな、ついさっき」


 振り返ると、眼下には僕の降らせた雪で染まった一面の銀世界。


「……雪不足で潰れそうだったスキー場を救ったところだよ」


 ふ、と電話の向こうで微かに息が漏れる音がした。


『何それ。ちょっと面白いじゃん』

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