第7話 血盟団と竜崎

「まあ、潜入捜査みたいなもんすね」と、竜崎。

「昨今はメタバース上での犯罪行為が横行しています。代表的なのはゲーム内通貨や報酬としても運用される暗号資産を不正送金する事案や、違法な活動に誘うための出会いの場として利用するなどです。僕はその原因が、当局の監視や法の規制をかいくぐるのに適しているからだと考えます。あのスパイ学校で境さんが『プリズム』に触れていましたが、多岐にわたるゲームアプリの中まで完璧に検閲することは不可能です。メタバースをヘッドマウントディスプレイ(HMD)や拡張現実(AR)と捉える人もいますが、浅はかですね。簡単に言えば、今の時代のオンラインコンテンツは全てメタバースとも言えます」

「プリズムって、なんだっけ……?」と、竜崎が小声で訊ねてきたので、「アメリカのNSAが運用する全世界ネット監視網のことだよ。『大統領暗殺』とかでネット検索すると個人が特定される、テロリスト予備軍検索エンジンみたいな……」と補足。

 竜崎は「ああ、そうだったそうだった」と片手を小さく上げて咳払いした。

「ここは盲点だったな……」と、背後でぼやく境。腕組みしつつ、苦渋の表情を浮かべていた。世代があまりにも離れているので仕方がないと山田は思ったが、柔術の件といい、何歳になっても学ぼうとする性格から悔しさを覚えているのだろう。

「現在のメタバースのトレンドは有名アーティストによるバーチャルライブなどもありますが、携帯端末からもプレイ可能な『クラフトアドベンチャー』という無料のキラーコンテンツが盛り上がっています。これはチーム全体の休養日にみんなの前で遊んだので、覚えているとは思いますが」

 早乙女がモニターに映像を出力して、竜崎を巻き込みながらプレイしていた光景を山田も覚えていた。境はプレイせずに後ろから淡々と眺めているだけだったが、「見ている分には面白そうだ」と言っていた記憶がある。

「これはプレイヤーが仮想空間内で3Dオブジェクトを使って建物を建築、設計するゲームです。フレンドを招待して一緒に遊んだり、敵を配置して冒険することも可能です。そしてクローズドな空間としてチャットを閲覧できる相手も限定することができます。しかもクラフトアドベンチャーはアカウント作成もログインも必要なく、アプリ内でアバター設定が保存されます。人気の物件は入場料として暗号資産を払うなどの要素があって、そういう有料コンテンツを利用する場合はアカウントが必要らしいですが、あくまで個人間の取引ということで運営側は介入しないようです。グレーゾーンですが」

「メーカー側にもブラックボックス、ということか」と、境。

「元々はインディーズゲームの開発者がいつか出る自分の新作をPRするために無料配布しているソフト、だったよね?」

「そうです。だから大手のような対応や自主規制もありませんし、中国に住んでいる凄腕プログラマーらしい製作者も正体を明かしていないので実態は不明です。中国は自国民を引き渡しませんし、やり取りをアプリ内に留めておけばプリズムやエシュロンにも引っ掛かりません。日本では『マラード』って言うんでしたっけ?」

 マラード?

「日本にもプリズムのようなシステムがあるんですか?」

 境は公然の事実と言わんばかりに、あっさりと答えた。

「ある。一般の目に触れたのはスノーデンが『JAPANファイル』という機密情報をリークした時が初だが、報道規制もあり、ほとんどの日本国民は知らない。『MALLARD(マラード)』は日本全土の電話、メール、SNSなどネット上のやり取りや通信を傍受監視するシステムだ。これは一時間当たり五〇万件のネット通信を傍受し、民間の衛星から一般市民のメールも含めて監視している。旧自衛隊時代には反政府的な発言をしている国民を監視対象として情報収集していた事実から、防衛省が賠償金を支払う判決が出た。元を辿ればそうした監視ツールである『XKeyscore(エックスキースコア)』を日本に提供したのはNSAであり、マラードは防衛省情報本部(DIH)電波部とNSAによる共同衛星傍受システムとして現在も運用されている」

 なんだ、それは。

 人質司法やレンディションのような「秘匿された事実」を告げられ、山田は瞬間的に込み上げてくる苛立ちを抑えるのに集中した。自由を奪われたせいで、自由を束縛するシステムに一種の敵対心を抱くようになっていた。

「そんなこと、インテリジェンス課程では教わりませんでしたが?」

 無表情の境に山田が目を細めていると、「NSAのプリズムに関しては当時の大統領も『行き過ぎた面があった』と発言していましたが、日本国民に対しては周知すらナシですからね」と、早乙女も僅かに同調するような台詞を吐いた。

 そんな中、「既に報道はされていたとしても、訓練生の時点で何でも教えると悪影響が出るんじゃねえか?」と、頭の後ろで両手を組む竜崎。

 ——確かに、国がするべき説明責任に対し、一諜報員に過ぎない境を咎めたところで何の解決にもならない。

「竜崎の言う通りだが、今後はなるべくニード・トゥ・シェアしよう——続けてくれ」

 早乙女は咳払いしながら続ける。

「ゲームアプリ——特にクラフトアドベンチャーのようなメタバース上で動かすものは、マラードとかの検閲を回避することができますからね。最初は僕もディープウェブやダークウェブを漁って暗号資産の不正送金を追っていましたが、竜崎から応援を頼まれて一緒に情報収集をしていました」

「ソクミントだけじゃ限界があったのと、最近の報道でメタバースが犯罪に利用されているのが理由っすね」

「そこで反体制的な主張が見え隠れするSNSアカウントを通じて、メタバースの中でアバターとして親交を深めると、僕が最初に潜っていた海外の闇マーケットに繋がりました」

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