(2)

アーサー・コナン・ドイル卿


 ご親切に、ストランド・マガジンの記事をお送りいただきありがとうございました。このような写真がこの世に存在するとは、たいへん奇跡的で驚くべき事態です。このエルシーとフランシスという少女は、きっと神に選ばれ愛されたに違いありません。


 特に私の目を惹いたのは、あなたが「繭のようなa kind of cocoon」と表現した、五枚目の写真でした。あの写真には、重なり合うふたつの世界が映し出されているのです。


 この世とあの世。目に見えるものと、見えないものが。


 先日コティングリーを訪問しました。エルシーとフランシスは写真の通り魅力的な少女で、私にたいへん親切にしてくれました。彼女たちが小川Beckと呼んでいる場所に案内してくれたのです。彼女たちが妖精の写真を撮った、まさにその場所です。


 繭、はそこにありました。妖精たちが五、六体、繭を編んでいました。あれはいったい何でできているのでしょうね。細く、儚く、透明で、雨上がりの露を纏った蜘蛛の糸のようなものです。


 妖精の中で一体、人間を恐れず、とびきり人懐こい個体がいました。少女たちはその個体を「おてんば妖精Tomboy Fairy」と呼んでいました。驚くことにその妖精が、私の掌や肩に飛び乗ったりするのです。私はすっかり夢見心地になり、そのおてんば妖精に心を奪われてしまいました。


 カゲロウのような、陽の光に透ける羽の、何と素晴らしいことか。


 妖精たちはみな青白い肌をして、透けるような薄い衣を体に巻きつけていました。あの布は繭と同じ糸で編まれているように思えます。髪は春先の新芽のようなグリーンで、瞳は淡いライラック。人間よりも瞳の割合が大きいせいで、笑っているのか怖がっているのか、表情からはあまり区別がつきません。


 ですが目玉はふたつ、鼻と口はひとつ、手足は二本ずつで、私たちのすがたと何ら変わりはありません。人間で言えば、「少女」と表現する年頃のように思えます。薄っぺらい体にはたいした凹凸も、生殖器も見当たらず、少女とは言いましたが、もしかするとそもそも性別などないのかもしれません。


 フランシスは私によく懐いたおてんばTomboyを見て、この子を連れていってあげて、と言いました。ですから私はおてんばを連れて鉄道に乗り、ふたたびロンドンへと帰ってきたのです。


 ロンドンにたどり着くまで、おてんばは誰の目にも映りませんでした。人形のように小さな少女が私の肩に乗り、うとうとと微睡まどろんだり、背中の羽を震わせたりしているというのに。誰ひとりそれに気づかないなんて、まるで私だけ、世界の狭間に落っこちてしまったようでした。


 私は気が狂っているのでしょうか。いえ、あなたならきっと、信じてくださるはずだと確信しています。


 おてんばは、いま私の部屋の窓辺で――



 そこまで書いたところで、ジェフリーは左手からペンを離した。便箋を埋める歪んだ文字列が、泥濘ぬかるんだ荒地のように見える。それを左手でぐしゃりと潰し、床の上に放り投げた。


 左利きにもだいぶ慣れたというのに、丁寧に文字を書こうとすれば時間がかかる。ときどき休みを入れながら、半刻近くかけてここまで書いたというのに、こんな「報告書」をしたためる自分の律儀さが突然ばかばかしくなった。


 ロンドンのイーストエンドの安いフラット。窓辺にはうっすらと夕陽が差して、おてんばはその少ない光の中で繭のようなものを作っている。いや――だいぶ苦戦しているように見えた。


 繭の材料となる糸の正体は、陽の光なのではないだろうか。まるで少女の空想のようだが、ジェフリーにはそう思えた。だがあいにくここは年中灰色のロンドンで、太陽はいつも白い膜の向こうに霞んでいる。


 椅子を立ち、窓辺の前に膝をついた。おてんばは、そばにやって来たジェフリーに気づき、繭から顔を上げた。


 顔に対して瞳の面積が大きい。そのせいでおもちゃの人形のように見える。


 いまいち感情のつかめない、だが、何かを語りかけようとする夕暮れ色の瞳。


「君のことを、ドイルさんに報告するのはやめたよ」


 もしコティングリーから妖精を連れ帰ったと知ったら、彼はどれほど感激するだろう。


 ドイル氏とは先日、とある交霊会で知り合った。彼はイギリスで最も有名な探偵を生み出し(さらにいちど殺し、生き返らせ)た人気作家で、心霊主義に関心があるらしい。特に大戦後は、さまざまな心霊集会に積極的に参加しているのだと本人の口から聞いた。


 彼がストランド誌に発表した奇跡の妖精写真は、イギリス中に大騒動を巻き起こした。


 ジェフリーが左手を差し出すと、おてんばはひらりと掌に飛び乗った。ほとんど重みを感じない。蝶が指に止まるのと同じようなものだ。


「ドイルさんが君のことを知れば、きっとあちこちの集会に連れ回すだろうからね。いや、連れ回されるのは僕の方か。僕以外の誰にも、君のすがたは見えないんだから」


 妖精のすがたは、ジェフリー以外の人間には見えない。ドイル氏もわざわざコティングリーまで足を運んだが、自分の目で見ることはできなかったと言っていた。


 では、どうやって世間にこのおてんば妖精の存在を証明すればいいのだろう。



(続きは5/19の文学フリマ東京にて頒布予定の、大人のためのモノクローム童話集『飛ぶ子ども』でお楽しみください!)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

トラピカの繭(文学フリマ東京38用冒頭試し読み) 鹿森千世 @CHIYO_NEKOMORI

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ