内見した部屋に悪魔がいたらどうなりますか?
八百十三
第1話
その日。新社会人の
みやま不動産のスタッフ、
「こちらがそのお部屋になります」
「うん、いいですね。廊下も広いですし」
正一は扉の周辺、アパートの廊下を見渡しながら頷いた。扉前の廊下は広く、扉前のスペースも充分だ。引っ越しにあたって荷物を運ぶ分には、何も問題はないだろう。
そうこうする間に鍵が開けられた。扉がそっと開かれる。
「開けました。さあ中にどうぞ」
「ありがとうございm――」
宮下の後について、203号室の部屋の中に入る。礼を言いつつ部屋の中を見た正一が見たのは。
「すかーーーー」
「えっ」
ワンルームの部屋の中、ど真ん中で仰向けになって、腹を出して無防備に寝ている、ネコ……と呼ぶにはあまりにも大きい、謎の生き物だった。
あまりにも信じがたい状況に正一は固まってしまう。が、宮下は不思議な顔をしながら首を傾げた。
「中野さん?」
「え、あ、ああ、すみません」
呼びかけられて、はっとした正一は部屋の中に入っていく。スリッパを履いて、部屋の真ん中。謎の生き物は相変わらず、寝息を立てながら眠っている。口の端からよだれが垂れていた。
「ふかーーーー」
「あ、あの……宮下さん」
「はい?」
あんまりにも状況が信じられなくて、内見中であることも忘れて正一は宮下に呼びかけた。不思議そうな表情でこちらを見てくる宮下に、正一は震えながら「それ」を指さした。
「これは……なんですか?」
「これ?」
指さした先には当然謎の生き物がいる。ちょうど寝返りを打ったその生き物、腰からは長い尻尾が2本伸びていた。明らかに普通ではない。
「んん……みゃ……」
むにゃむにゃ言っているその生き物を、見てか見ずにか宮下は言った。首を傾げつつ、わけがわからないと言ったふうに。
「
「えっ」
その言葉に正一は目を見開いた。こんなにでかい生き物が、こんなに分かりやすく寝転がっているのに、見えないというのか。
ということはこの生き物は自分にしか見えていないのか、と思いながら首を振る正一だ。
「ええ……どういう――」
何故、どうして、と思いながら足元の謎の生物を見下ろすと、その生物が目を覚ましたらしい。ゆっくりと目を見開いたその瞬間、銀色の瞳が正一の顔を捉えた。
「ん」
「え?」
こちらを見た。思わず声を上げてしまった正一を見て、謎の生き物が大きく目を見開いた。
「おお、お前、私が見えるのか」
「えっ、喋った」
喋った。なんでもないことのように喋った。その生き物が立ち上がると同時に、周囲の空間がほんのり色づく。ちらと見えた範囲では宮下の動きが止まっているし、窓の外の雲も動いていない。
そんなことを気にも留めずに、謎の生き物がどんどん喋る。
「おかしなことを言う。悪魔が人間に喋らないでどうするというのだ」
「え……あ、悪魔?」
その生き物の言葉に、正一は明らかに困惑した。
悪魔。そんな非現実的な生き物が、こんなアパートの床に転がって寝ているなど、どういうことだ。というかそもそも悪魔と言うには、随分害のなさそうな見た目をしている。
正一の声に、悪魔なる謎の生き物は自慢げに胸を張った。
「そうだ、欲望と羨望を司る悪魔にして、人間の欲を満たすもの。それが私、マルベスだ。人間、私を認知できたのは大変に幸運だぞ」
そう言いながら悪魔――マルベスは正一の胸にぽんと手を添えた。ちょっと柔らかい。
だがそれはそれとして、現在は内見中なのだ。不動産屋スタッフも居る中で、こんなつらつらと話していていいものか。
「い、いや、ていうかこれ、どうなってるんだ!? そもそも何でこんなところに」
そう、なんでこんな状況になっているのかがさっぱり分からない。どころか、なんで悪魔がこんな部屋の中で堂々と住み着いているのかが、ますます分からない。この謎の生き物が本当に悪魔であるという確証もないのだが。
と、マルベスはにやりと笑いながら二本の尻尾を振りつつ言った。
「いやなに、昔にこの部屋で、私を召喚して願いを叶えようとした愚か者がいてな。まぁ召喚は成功したのだが願いを叶える前に死におって、以来この部屋に住み着いて私と波長の合う人間を探していたのだ」
当然のように信じられないことを話すマルベスに、正一は二の句が告げなかった。賃貸物件で悪魔召喚など、信じられないことをする人間がいたものだが、そこにそのまま住み着いているこの生き物も、よくよく信じがたい。
と、思い出したようにぽんと手を打ちながら、マルベスは正一に言った。
「ああ、今は私の空間にお前を引き込んでいる状態だからな。外では時間が止まっている、と考えていいぞ」
「お、おお……?」
告げられて、感動するやら何やらで複雑な気持ちになる正一だ。確かに宮下は微動だにしないし、空間に色がついているので異空間、というのにも実感ができる。勝手に異空間に引っ張り込まれているのは、どうかと思うけれど。
と、マルベスが正一の胸に手を当てたままで目を細めた。
「それにしても……いいな、その身体は」
「えっ?」
突然にそんなことを言われ、理由がわからなくてキョトンとする正一だ。混乱する正一をよそに、彼の胸を愛おしそうになでながらマルベスが言う。
「波長はぴったり合っている。おまけに健康であり、活力に満ちた
突然に、ますます理由のわからないことを言い出すマルベスに、正一はもはや絶句していた。と、その瞬間。
「ちょっと
「中?」
中。何の中だ。と思ったその瞬間。マルベスの身体が正一の胸の中に
「あっ!?」
突然に目の前から消えたマルベス。先程の発言を見るに、中、というのは正一の身体の中、なのだろうが。ともかく正一の身体の中から響くように、マルベスの声が聞こえてくる。
「おお、この心臓は殊の外具合がいいな。広く強靭だ」
どうやら心臓の中に入り込んでいるらしい。心臓の中に勝手に入り込んで中を見られるなど、まるで部屋の内見をされているかのようだが、そもそも勝手に入りこまれて人間の身体が無事であるはずはない。
「あ、あ――!?」
どくん、と正一の心臓が脈を打った瞬間、正一の全身からぶわわっと毛が生えた。腰からは長い尻尾が生え。耳は頭の上に移動し。まるでマルベスが服を着たような姿に、一瞬で、痛みもなく、変化してしまった。
「あ、え、な、なんだコレ!?」
何が起こったのか理解が出来ないで、困惑しきりの正一。と、彼の状況に気がついたのかマルベスの声が聞こえた。
「ん? ああ、肉体が変化したか。よほど私との波長が合っていると見える」
なんでもないことのようにマルベスが言ってくる。どうも彼との波長が合っていると、彼の力によって肉体が悪魔になるらしい。訳が分からない。痛みもなく、まるで産まれた時からこうだったかのように馴染んでいるので、本当に波長が合っているのだろうけれど。
「喜べ人間、今のお前は悪魔と同様。死ぬことも老いることもなく、常に健康でいられる。自身で願えば大抵のことは叶うゆえ、何でもお前の思い通りだ」
自信たっぷりに話してくるマルベスに、正一は口をパクパクさせるばかり。頭の骨の形も変わっているし、歯も牙になっているが、違和感がないあたり本当に悪魔になってしまったのだろう。いいのだろうか。
と、事態を飲み込めない内にマルベスはとんでもないことを言ってきた。
「うむ、居心地がいい。このまま住まわせてもらうとしよう。ああ、元の空間に戻りたいなら戻れと願えばいいぞ。私の力も使い放題だ」
「え、ええ……」
どうやら正一の心臓の都合がいいため、彼はそのまま住み着くことにしたようだ。ということはつまり、正一もこのままなわけで。
知らない内に契約的な何かも結ばれたらしく、完全に身体に力が馴染んだのを感じる。既に何もかんも自分の思い通りなのだろうが、なんというか、怖い。
ともあれ、元の世界に戻らないと自分の話が進まない。戻れ、と頭に浮かべると、周囲の空間の変な色が消えた。普段通りの風景、普段通りの空。そして宮下の動きも再開して、ぽかんとして立ち尽くす異形になった自分に、先程までと同じように話しかけてきた。
「中野さん、どうかしましたか?」
「え、あ、え」
声をかけられ、途端に正一は困惑した。こんなに人間を捨てた外見になっているのに、普通に話しかけてくるとは思っていなかった。
ともかく、内見を進めないとならないし、そもそも今の身体がどうなっているのかを確認したい。おそるおそる、正一は口を開いた。
「あの……とりあえず、トイレとお風呂、見ていいですか」
「ええ、どうぞ。あちらです」
声をかけると、普通に案内される正一。言われたままに扉をあけると、ワンルームアパートらしく三点ユニットバスだ。トイレの中を確認しつつ、広さを確かめる風で扉を閉めるや、正一はため息をつきながらズボンとパンツを下ろして毛むくじゃらになった素肌を確認するのだった。
内見した部屋に悪魔がいたらどうなりますか? 八百十三 @HarutoK
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