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「ま、俺もあんまりお前の事言えないけどな」

「え?」

「俺も、ちゃんと名乗っていなかった」

 そういえば、久遠、しか知らないや。

「五十嵐」

「え?」

「五十嵐久遠。それが俺の名前」

「五十嵐?」

「そう。初めてお前のパス見た時にそれで気になったんだ。あの時、縁を切らなくてよかった。言っとくけど、どうでもいい女にMV貸すなんて口実、使わないからな。こないだのカフェで五十嵐って名前が出て、俺はどこぞの課長じゃないから誰のことだよ、って自分でも驚くくらい嫉妬した」

「嫉妬? 久遠が?」

 驚いて声が出た。すると、急に久遠が真面目な顔になった。

「俺、華が欲しい」

 ぼ、と顔が熱くなる。

「俺のものになってよ」

「わ、私は……」

「嫌?」

「………………」

「華?」

 本当の名前を呼ばれて、体が熱くなる。

 私の、名前。

 久遠に呼んでもらうことが、こんなにも嬉しい。

「………………嫌じゃ、ない」

「ならおっけー」

 久遠は、私に向かって手を差し出した。

「ラーメン、食いに行こ。コンサート終わってから、なんも食ってねえんだ」

「こんな時間に? 久遠と食べ歩いてたら、私、際限なく太りそう」

 ため息をついた私に、久遠はまた、に、と笑った。

「太ってても痩せてても、華は華だろ?」

 そう言われちゃうと何も言い返せない。

 私は、少し考えてからその手をとった。

「半分こ、してくれるなら行く」


  ☆


 会議室からぞろぞろと役員達が出てきた。先に出てきた担当の職員と簡単な確認をして、私は自分のフロアへと戻る。

 よかった。無事に終わったわ。

 今日の会議は、本社や他の系列会社の重役もそろった大きな会議だった。

 いつものように始業ぎりぎりに出社してきた高塚さんは、朝から資料作りに追われて座る暇もなかった。また泣き落としで男性社員にやらせようとしてたけど、今日の会議のためにそれぞれみんな忙しかったので誰も請け負う人も手伝う人もいなかった。もちろん、女子社員で手伝う人も誰もいない。かわいそうだけど、彼女自身他の人の手伝いなどしたことがないので、そこは自業自得というものだ。

 途中そっと進捗具合を覗きにいってみたら、ものすごい仏頂面で資料作りをしてた。五十嵐課長に時間を逐一区切られて頼まれた仕事だったから、間に合わせるのに必死だったらしい。さすがに課長相手に、聞いてませんでしたー、とは言えないもんね。

「みんな、ちょっと聞いてくれ」

 フロアに戻ってきた部長が声をかける。その部長の横に、五十嵐課長も並んだ。

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