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「わあ、ありがとうございます。頼りになりますねえ。私、水無瀬さんが上司で本当によかったあ」
さっきの涙はどこへやら、満面の笑みで高塚さんが言った。
「水無瀬さん、俺も手伝うよ。一緒にやろう」
準備を始めようとした課長に、私は笑顔を向ける。
「大丈夫ですよ。それに課長だって、これから吉沢産業の重役と会議ですよね? 気にせずに行ってください」
課長が眉をひそめる。そちらの会議もおろそかにできるものではない。しばらく迷ってから、課長は言った。
「……悪い。頼むよ。でも、君がやってくれるなら安心してまかせられる」
課長に言われた私を、高塚さんが不満そうに睨んだ。
睨むくらいならちゃんと資料作っとけばいいのに!
「ありがとうございます。ちゃっちゃと終わらせちゃいますね」
その時、終業のチャイムが鳴った。仕事を終えた人はそれぞれ片づけをして帰り支度を始める。課長も、補佐と一緒に会議に向かった。運悪く今日はノー残業デーで、よほどのことがない限り残業は禁止されている。ごめんね、と言いながら留美も帰っていった。
帰っていく人々の中に高塚さんの姿も見えた。別の課の女子と笑いながら、こちらを見もせずに。
腹が立ったけど、怒鳴り散らしても資料はできない。とりあえず資料室にとんで必要な資料をかき集めると、すぐ資料作りにとりかかる。
数が多いからめんどうだけど、難しい作業ではない。だから高塚さんでもできると思って任せておいたのに。
一息ついて時計を見ると、ちょうど7時になるところだった。
(始まっちゃったな)
ここからアリーナまでは1時間近くかかる。まだ仕事は終わらないから、資料を作り終えてから行ってもコンサートは終わってしまっているだろう。
悔しくて悲しくて、涙が浮かんだ。
プラチナチケットが紙くずになったのは泣いても泣ききれないし、席を一つでも開けてしまったのはラグバにも他のファンにも申し訳なさすぎる。
私はスマホを取り出した。今日のコンサートはライブ配信もしていて、そのチケットを以前から買ってあった。明日もアーカイブ見ようと思って買っておいたのに、思わぬところで見るはめになってしまったな。
どうせ他に誰もいないんだし、ここで見ちゃえ!
キーボードをたたく音だけが響いていた広いオフィスに、歓声が響き渡った。
『みんな! 今日は来てくれてありがとう!』
タカヤが言って、火花の爆発とともに曲が始まった。
知らず知らず、手が止まる。
アップになる仮面をつけた一人一人の笑顔。射抜くような視線の強さ。叩きつけるように包み込むように響く声。ステージを狭しと踊る5つの影。
目が、離せない。
気が付くと、涙が頬を伝っていた。
そうだよ。この姿を目の前で見たかった。この声が聞きたくて、毎日仕事頑張ってきた。つらい時も、ラグバがいてくれるからがんばれた。
見ていると、幸せで涙が出るくらい、私、ラグバが好きなんだよ。
ひとしきり涙を流した後、私は顔をあげた。
私だって、がんばるよ。あの5人に負けないくらいに。今を無駄な時間にしたくない。
私は、また資料作りを再開した。
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