021 掃除機

 兄がいいバーを見つけたというので連れて行ってもらった。


「ほら、ここ」

「何て読むんだろう……ドイツ語かな」

「へえ、瞬そんなのわかるの?」

「大学で取ってるから、何となく」


 入るとお客さんは誰も居なかったので、兄と真ん中の方に陣取った。


「いかがいたしましょう」

「俺ビールにするけど。瞬は?」

「僕もビール」

「かしこまりました」


 マスターはメガネをかけた知的な人だった。兄はこういう人好きそうだな。まあ、本気で狙ってるのなら僕をここに連れてこないとは思うけど。


「乾杯」


 いつもの缶ビールも美味しいけど、バーで飲むものは格別だ。ふんわりした泡の感触を楽しみながら、僕は兄に言った。


「で、どうすんのさ」

「長く使うしなぁ。多少高くてもいいとは思うけど」


 僕の部屋はきちんとあるのだけれど、兄の部屋に入り浸っており、ほとんど同居状態。家事も僕がすることがある。兄が長年使っていたらしい掃除機が壊れてしまい、その相談だ。


「兄さん、明日家電屋さん行く? 実際に触って確かめたい」

「そうしようか。最近のスティック式はけっこう軽いみたいだぞ。あと、手入れが楽なやつがいいな」

「キャニスター式面倒だったもんねぇ」


 僕も兄もタバコを取り出した。マスターが二つ灰皿を出してくれた。


「瞬は色とかこだわりある?」

「うーん、派手なのは好きじゃない。無難に白とか黒とかがいい」

「マジか。俺、これ気になってたんだけどさぁ……」


 兄はスマホを見せてきた。そこに表示されていたのは赤いスティック式掃除機だった。


「えー? 浮かない? 兄さんってパンツと同じで赤好きだね」

「ここでパンツの話するなよ」

「僕たちだけしかいないからいいじゃない」

「雰囲気ってもんがあるだろうが」


 確かに落ち着いた店だけど、別にそれくらいいいと思うけどなぁ。僕はむくむくと悪い気を起こした。


「ヒョウ柄のやつそろそろゴムゆるいよ」

「あれ気に入ってるんだよ……」

「同じの買えば?」

「五年くらい前に買ったからなぁ……ってパンツの話続けるなよ」

「兄さんこそ乗ってるくせに」


 兄はぐびりとビールを飲んだ。


「掃除機の話に戻そう」

「だから僕はシンプルなのがいいんだって」

「俺の部屋なんだから俺の好きにさせろよ」

「じゃあ最初から意見聞かないでよ」


 じっ、と僕たちは睨み合った。


「……まあ、ゆっくり考えようか瞬」

「そうだね」


 マスターの方をちらりと見ると、涼しい顔でグラスを拭いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る