017 愚痴

 夫に教えられた道順を辿って店に着いた。二人の子供の出産を終えてから、久しぶりの一人での夜の外出。今夜は楽しみだ。


「いらっしゃいませ」


 メガネが知的なマスターが出迎えてくれた。他にお客さんはいなかった。あたしは真ん中の方の席に座った。


「前に主人が来たんです。モーレンジィを飲んでいったと思います」

「ああ、あの時の。よく覚えております。奥様ですか」

「はい。あたしも飲みたくなって」

「モーレンジィを?」

「ええ。お願いします。ロックで」


 背もたれのない小さな椅子は、そこまで座り心地がいいとは思えなかったが、これだけ小さな店だ、仕方ないのだろう。

 それより……気になるのが店の内装だ。今は育休中だが、仕事柄、よくわかる。太い梁は長年使い込まれているようだった。


「この店、できてまだ新しいんですよね?」

「はい。今年オープンしたばかりです」

「前は……何だったんでしょうね、この店舗」

「アンティーク雑貨を営む店だったと聞いています」

「ああ……なるほど」


 それを飲食店に改装したのだから、それなりに初期費用はかかったのだろう。まあ、そこまで聞くのは野暮だろうけど。


「どうぞ」

「……うん。美味しい」


 下の娘はまだ授乳中。今夜は夫にミルクで頑張ってもらうしかない。


「うちの主人、前は何を話しました?」

「娘さんたちのことを。幼いお子さんは大変みたいですね」

「そうですねぇ。上の娘の立ち会い出産の時、主人の方が慌てちゃって。ここではとても言えない暴言吐いちゃいました」


 あの時の事は語り草だ。娘たちが大きくなっても蒸し返してやろうと思っている。


「はぁ……大人一人で、自由で。本当にいい気晴らしになります」

「それはよかったです」

「娘たちは可愛いんですけどね。やっぱり、こうして、大人と会話することに飢えていて」

「僕でよければ聞きますよ」


 それから、あたしはウイスキーグラスを傾けつつ、夫の愚痴を話した。付き合っていた時も頼りないところはあったが、それが育児で丸わかりになったと。散々なことを言ってしまったので、あまりよくないな、と思い直してこう言い添えた。


「……それでも、あの人を選んで良かったと思いますよ。まあ、選ばれた側なんですけど。あたしはしぶといんで、主人の骨はしっかり拾うつもりでいます」

「いいご家庭じゃないですか。僕も頑張るので、娘さんたちが大きくなったら一緒にいらしてください」

「ふふっ、そうします」


 娘たちとお酒、か。どっちに似てもアルコールには強くなるだろうから、ウイスキーの味を教えてやろう。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る