009 退屈しのぎ

 人並みの恋などしたことがない。あたしが寝た男は全員既婚者だった。

 そういうもの、と自分の運命を割り切って過ごしてきた。つまらない日々を消化するよりかはマシかもしれない。多少は愉しいと思えるから、あれはあれで。

 けれど、そんな気分じゃない時はやはりお酒だ。あたしはひっそりとした場所に腰を落ち着けたくて、今宵の席をそこにした。


「いらっしゃいませ」


 随分と顔立ちの整った男性マスターだった。これだけ美しければ逆に苦労もしてきただろう。そういう類であることは一目で見抜けた。


「ビールを」


 ここはサーバーがあるのか。マスターは余分な泡を軽やかに取り除いて出してくれた。一口飲んだ後、あたしはタバコを取り出した。すぐに灰皿がきた。


「……ありがとう」


 微笑で返すマスター。あたしが年若い娘だったら、きっと目を奪われていただろう。生憎、もうそんな歳じゃない。年下の男は甥っ子のように見えてしまうのだ。


「今日はお仕事帰りですか?」


 あたしのスーツ姿を見てだろう。マスターはそう尋ねてきた。


「ええ。管理職になったところでね。責任が増えた割にはお給料が弾むわけじゃない。複雑よ」

「そうですか。凄いですね、お若いのに」

「あら、もう四十よ、あたし」

「見えませんね。お綺麗でいらっしゃる」


 化粧はあまりしないが、タバコを吸っている分、肌は気を付けている方だ。そう見えるのなら結構なこと。褒め言葉は素直に受け取るのがあたしだ。


「あなたこそ、くっきりしていていいお顔立ちだわ」

「祖父母の血ですね。ドイツ人なんです」


 道理で。こう言っては失礼だけど、少し日本人離れしていると思った。あたしは店内を見回した。暗くてよく見えないが、比較的新しそうな内装に見えたのだ。


「ここ……何年くらいやってるの?」

「今年オープンしたところです」

「ふぅん。独立したて?」

「はい、そうです」


 あたしは勤め人だから、自営業者の苦労は想像するしかないけれど、こんな場所に店を構えるなんて、余程の覚悟があったのだろう。


「お客さん、入ってるの?」

「正直、まだ軌道には乗れていないですね。お客様ゼロの日もありますから」

「ふふっ、こんなに素敵なマスターが待っているのにね」

「僕の魅力もまだまだですね」


 決めた。ここ、また来よう。退屈を紛らわせてくれそうだ。

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