第26話

 番組はニュースが一段落したようで、町の特集コーナーに変わっている。さきほどの中身のないコメントの挽回をしようとしているのか、声を張り上げて出演者を盛り上げようとする芸人に直人の人差し指は向かっていた。

 芸人になりたい。そのうえ、空っぽの発言しかできないこんな芸人に憧れているのか。恥の上塗りとはこのことを言うのか。どこに憧れる要素があると言うのか。トーク力? ネタ? 笑えるところが一つもないのに。

「お前にはわからんやろな。頭がちがちやから。人をしばいたら言うこと聞く思ってるもんな。時代が昭和で止まってんのじゃ。今令和やぞ。お前先生やのに、自分の子供しばいたら虐待やって知らんのか。お前の言うことは二度と聞かへんからな。俺はもう二度と勉強しいひん。中学も高校も大学も絶対に行かへん。せや、カワモト芸能のお笑い養成所に行きたいから金出せや。お前は俺の財布やからな。財布は黙って俺のために金払ったらいいねん、ほら、はよせえや」

 私は反射的ではなく、しっかりと脳が認識して右手を振り抜いた。拙い暴言を吐き続けた直人の顔面は振り抜いた手の方へ持っていかれた。手のひらの広い範囲でチリチリと熱を帯びてきた。お笑い芸人にも知性はいるはずだ。なぜなら何かの本質に迫る発言をするとき、そのまま言ってしまうと対象者の逆鱗に触れてしまう可能性があり、それゆえウィットの効いたジョークを混ぜつつ本質から少しだけずらす技術が必要なはずだからだ。

 となると先ほどの直人の悪口はウィットの一つもない、ただの年相応の反抗期でしかない。もし炎上すれば頬の痛みどころではないはずだ。こんなものに耐えられなければお笑い芸人などなれるはずがない。

「痛いのお……」

 直人は頬を抑えて肩を揺らしながら呟いた。少なくともこれくらいで泣くようではお笑い芸人どころかどんな仕事も務まらないだろう。一発ビンタされただけで体を揺らしてすすり泣きを始めるのを見ると実年齢より低く見える。

「実の子供を、親が、殴っていいんか? お前の、やって、ること、最低最悪、やぞ。先生に言う、しな。警察にも言うしな。お前なんか、死ね。絶対殺したるからな」

「直人、覚えときや。仮に私が逮捕されても懲役刑になっても私は手紙であんたに勉強せえって言い続けるから。死刑になろうが交通事故で即死しようがあんたに殺されようが、亡霊になって毎日あんたの後ろに立って勉強の面倒見るから。それくらい直人のことを大事に思ってんねやからな」

 糞が、という言葉を繰り返しながら直人は突っ伏している。死んでも勉強の世話をしてくれるありがたみをなぜ理解できないのか。直人の立場に立って考えてみるが答えに至る道筋さえ浮かばない。直人を視界から外し、喉に力を加えてからんでいた痰を飲み込み、シンク下の棚からまな板と包丁を取り出した。

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