第21話
直人は頬を抑えて俯いた。声を掛けようと近づくと咆哮を上げて、テーブルに置いていたテキストを掴み、思い切りページを破り始めた。直人の腕を掴んで止めようとしても、どこから湧いてくるのかわからない力で破き続けている。
「止めなさい言うてるやろ。皆頑張って勉強してんのにお前だけなんでサボってんねん。情けない」
「皆って誰のこと言うてんのじゃ」
久しぶりに聞いた直人の言葉はいつの間にか汚い口調になっていた。
「お前と同じように受験する子に決まってるやろ」
「じゃあお前は受験する奴一人ひとりに『勉強頑張ってますか』って聞いてんのか?」
「お母さんにお前って言うな。屁理屈言うな」
「黙れ。じゃあ俺にもお前って言うな。お前も聞いてないのに『皆頑張ってる』みたいな嘘言うなボケが」
さっきより強めに頬を叩いた。直人はまた低く濁った声で叫んで、破いたテキストさらに細かく破いて欠片を私に投げつけた。直人の指先が目元まで迫ってきて反射的に目を瞑ってすぐに開けると、直人はシンク下の棚を開けていた。私の視界に入ったのは、両手でしっかり握りしめられた包丁だった。切れ味の悪い包丁だ。ちょうど買い換えようと思っていた包丁の切っ先が私に向けられている。そして今だけ買ったばかりの切れ味を思い出したかのように、あるいは捨てられる前に最後の輝きを、と思っているかのように照明に反射して鋭い光を放っている。
「散々殴りやがって……。絶対に殺す」
「止めなさい」
「止めるわけないやろボケが。お前、俺のことさんざん殴ってたから、俺もお前を殺していいやろが」
もしかしたら本当に木本豪の方が直人より賢いのかもしれない。怒りのあまり後先のことを考えられないような阿保な子どもになったのはいつからなのか。
「もし私を刺したらどうなるか考えてみい。保護施設か少年院に送られるで。その事実は一生消えへんわ。大人になってみい。下世話なヤツがどこからか仕入れた情報をもとに噂をばらまくで。そしたらせっかく就職できた会社も辞めなあかんようになる。どんどん自分の生きる場所がなくなっていくで。最終的に苦しむのはお前や。お前は阿保やからそんな先のこと想像できへんやろうし、だからこんなことしてるんやろうけどな。お前が赤の他人やったらとっくに通報してるわ。でも一応お前のお母さんやからな。今やったら許したる。だから包丁元に戻し。それとも自分が一生苦しむ覚悟があんねやったらおかまいなくどうぞ。刺してください。刺せ早よお」
直人は大きく息を吐いて吸ってを繰り返している。鼓動は大きく叩きつけているものの、脳内では今後について対応方法を場合分けで構築し始めている。これまで育ててきて、直人がそんな大それたことなどできないことを知っているからだろうか。案の定直人は包丁をテーブルに叩きつけて家から出て行った。
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