第12話

 私が直人と同じ年の頃も母や父のことが嫌いで仕方なかった。なによりもともと二人とも京都出身だったのに、滋賀の彦根より北で人より猿や猪の方が多いようなところにわざわざ一軒家を建てて住み着いたことが腹立たしかった。京都なら近くに商業施設がたくさんあるのに、移住先は周りを見れば山に囲まれ、そこから猿、鹿、猪、狸、ハクビシンが畑を荒らしにやってくる。冬は雪化粧どころではなく町を真っ白に染め上げて移動を不可能にしてしまう。何に惹かれてこんなところに住み着いたのか今でも理解しかねる。直人が生まれたとき両親は交通事故で死んだことにして、実家に行く機会をなくしたかったのだが私の真意を知らない夫は月に一回ペースで両親に子どもの顔を見せに行くことを提案した。唾が飛び散るほど反対し、結局は実現せず安心している。

 自然の中に住むと想像力が豊かになる。なぜなら遊ぶものが限られているからそれを使って最大限楽しむために知らないうちに思考を働かせるから。だから自然の中で育った朋子が羨ましい。夫はよく言う。反論するのも面倒くさいので適当に聞き流しているが、私はとくに想像力が豊かだと自負していない。虫も嫌いだし山も川も動物も雪も嫌いだ。

 むしろ都会のほうが想像力は豊かになるだろう。商業施設、観光地など豊富に遊べる場所があり、そこで育まれた方が想像力豊かになるに違いない。実際、大阪出身の夫は直人の将来や五年後、十年後の未来についてよく話す。予想しても仕方ないから意味ない。大事なのは五年後、十年後になったときに本人がやりたいと思うことに対し、それをできる能力の基礎が身についていることだろう。だから今、必死になって勉強させているのだ。夫は別に記念受験程度でいいじゃないかと言うがそれではダメなのだ。

 切れ味の悪い包丁は切った野菜がよく引っ付き、下準備だけで三十分くらいかかってしまう。煮込んでいる間、直人のテキストとノートを指定した範囲の最初から確かめていく。わからない問題も途中まで式を書いており、何回も消しては書いてを繰り返した形跡がある。サボらずに取り組めていそうだった。直人なりの意識改革の進歩が見える。

「直人、この前より真面目にやってるのは認めるけど、空白は絶対つくったらあかん。どうしてもわからんかったら何でも良いから答え書いとき」

 直人は小さく頷いて、私からテキストとノートを預かり、再び続きを解きだした。頑なに喋ろうとしないことに苛立ちを覚えるが、それが勉強につながっているのでまあ良しとする。

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