第10話
直人のノートを見ると、どの箇所も問題番号を書いただけで一度も解いた形跡が見られない。ぎりぎり均衡を保っていた線がパツンと切れたような感覚がしたとたん、直人の肩を掴んで振り向かせ、右頬を打っていた。手のひらがピリピリと電気が流れているような余韻が残り、直人は頬を抑えている。
「ええ加減にせえ。六年にもなって甘えたこと言うな」
直人は頬に手を当てたまま、縦に小さく揺れ出した。俯いた顔を覗き込むと涙がまつ毛に溜まっていた。泣けば許されると思うのが小六と言えど幼い発想で私には通用しない。今厳しくしておかなければ社会で生き残れないのだ。
直人はふいに鉛筆を両手でつかみ、私に見せつけるようにへし折って襖に投げつけた。「鉛筆が少なくなってきたから買っといて」と直人に頼まれたものだった。怒りに任せて私の買ってあげた鉛筆を粗末にされ、私は鞄を棚に投げつけると棚の上にあった何かのキャラの人形が落ちた。
「何で物にあたんねん」私は言ってもう一度直人の頬を打った。鞄から筆記用具やテキストがこぼれており、片付けることを想像した途端に体が重くなっていった。
直人はテレビを切り、リモコンをテーブルに叩きつけると、机上にテキストを広げ、鉛筆を持ち直し、解き始めた。あれだけ言葉をかけても効果が無かったのに、平手打ちをすると素直に言うことを聞いてくれた。虐待や体罰と言われるかもしれないが、これは教育だ。致命的な痛みを与えない限り、それは躾となる。直人にはこれが必要だったんだ。反抗期の男子など、言葉では通じない部分もある。
「その調子で頑張りなさい」
私は散らばったペンやノートを鞄に入れ直したあと、夕ご飯の準備をしつつ、十分に一回は直人のもとに行き、鉛筆を止めている問題を解説した。テーブルに料理を並べているときに気づいたのだが、電流が流れるような手のひらの痛みはいつの間にかなくなっていた。直人の頬もきっと同じように痛みは和らいでいるだろう。私は直人に夕食の支度ができたことを告げたが、直人は呼びかけに応じず、ずっと問題を解き続けていた。
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