第2話

 私はこの教室の中で最も虫が嫌いだと自負している。より厳密に言うと虫が死んでいるのが苦手なのだ。虫というのはだいたい車や自転車、人の足に踏まれて内臓を噴出しながら死んでいる。その光景を見るだけで肌が粟立ち胃が熱くなって何かせりあがってきそうになる。だから蚊も殺すことができない。

 雄猿の集団をかき分けて木本豪に近づいた。木本豪は虫かごを額にくっつけて、カマキリの生態を眺めていた。緑色の体に棘のついたカマ、角ばった身体にアオムシみたいな腹。ここからハリガネムシという細長い黒い寄生虫が食い破って出て来ることがあるらしい。理科の先生が嬉々として話していたので、私は彼のことが嫌いになった。うっかり想像してしまい、口に手を当てる。虫かごを視界に入れないように木本豪の背後に回り込んだ。

「豪くん、前も言ったけど教室には虫が嫌いな子もいるから、その虫かご、見えないところにおいとこっか。昼休みのときに逃がしてきてね」

 木本豪はカマキリに見惚れていた顔を私に向けた。額の真ん中が虫かごの細かい柵の形にへこんでいる。木本豪は後頭部もへこんでいて横から見ると断崖絶壁である。乳幼児のときに母親に雑に寝かされたのだろう。二重あごが際立ち、目が細い丸顔。その表情はいつも満腹時のような恍惚な笑みを浮かべているのに、今は歪んでいる。カマキリを逃すのが嫌であることは十分に伝わった。最も、過去に同じような指摘をしたときも全く同じ顔をしていた。馬鹿は困る。将来、とりあえず手に職をつけられる工業系の高校に思考停止で進学し、機械に職業を奪われる運命だろう。かわいそうに。そう思えば、今私が目を瞑って虫をそばに置いておくことを許した方が良いのかもしれない。

 木本豪の歪んだ表情から虫かごに視線を移した。細かい傷の入った虫かごの奥からカマキリが私を睨んでいる。逆三角形の顔の端に緑の目玉が二つ。好きになれる要素が一つもない。

「朝の会するでー」

 腕にできた鳥肌を消すために擦りながら教壇に戻った。汗が引いていたのは虫を見たことによって毛穴が収縮したからか冷房が効いていたからかわからない。ぞろぞろと生徒が自分の席に戻っていく音が聞こえる。四月からの三ヶ月間で私が怒ると彼らの母親より怖いことは身をもって知ってもらった。やはり教育とは恐怖に限る。自分が悪者になってでも今必要な五科目の勉強や他者と協力を学ばなければ中学高校大学、社会人になってもちゃんと生きていくことができない。

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