市街探索

トラックは馬車の列の最後尾に付いた。街の前には門があり、どうやら街の中に入る馬車の検問をしているようだ。

「何処に行っても渋滞はあるんだな」

 アスカさんは窓の外を見ながらつまらなそうにボヤいた。僕も同じ事を思っていた。

 今まで人にはすれ違って来なかったが街が近いためここでは頻繁に人や馬車が通り過ぎる。すれ違う時の顔は皆驚いておりアスカさんと目が合っても逸らさずに凝視していた。

 馬車の列にトラックが混じっているのだ。現実ではあり得ない悪目立ちに僕は恥ずかしさのあまり顔を伏せてしまった。人生でこんなに目立ったのは幼稚園の劇以来かもしれない。

「うお!馬だ、見ろよ馬だよ、可愛いー」

「そ、そうですね」

 彼女は初めて見る馬に何やら興奮して僕の肩を叩いた。加減を知らないのかなり痛い。やはり女性とはいえトラックドライバー。力はかなりのものの様だ。

 何やら前の方が騒がしくなってきた。ガチャガチャと何かが近づいてくる音がする。その正体は数人の兵士であった。

 僕は感動した。こんなコテコテの鎧を着た兵士が実在する事に。現代では鎧を着なくなって随分と経ちもう実戦で鎧なんて着る事などないだろう。

「おい、お前達なんだこれは!」

 兵士の一人が高圧的に僕達を問いただす。僕は小心者なのでそう言った高圧的な態度は苦手である。何卒穏やかに喋ってほしい。

「これってどれだよ」

 彼女は窓を開けて不機嫌な顔つきで高圧的な兵士の質問に質問した。僕はトラックの事だろうと確信していたが兵士の聞き方は悪いとは思った。彼女だってトラックの事分かっているだろう。ただ気に入らないのだ。

「このデカいのだよ」

 高圧的な兵士はドンドンと遠慮なくトラックを叩いた。これの行動に彼女はブチ切れた。

「テメー何しやがる!会社のトラックだぞ!返す時傷ついてたら営業所のおっさんに怒られんのウチだぞ」

「何を訳の分からん事を言ってる!出てこいそこから!」

「オメーが来いよ!」

「どうやって入るんだよ!」

「自分で考えろバーカ」

「お前!ここか!扉は!」

「テメートラックに触るなよ!」

「お前が来いって言ったんだろ!」

 アスカさんと高圧的な兵士は熱くなっている。周りの兵士も二人を落ち着かせようとワタワタしていた。僕だって喧嘩を止めたい。なんせ僕もトラックに乗っている当事者だからだ、この喧嘩の炎は必ず僕に飛び火する。

「すいません、突然この辺りに来ちゃってよく分からないんです、すいません」

 僕はアスカさんを落ち着かせながらぺこぺこと謝った。僕はこの低姿勢でこの人生を渡ってきた。ていうかこれくらいしか出来ないのが正直な話だ。

 その時一人の優しそうな兵士が僕の言葉に反応した。

「何だ?お前達「流れ」か?」

「流れって何ですか?」

 優しそうな兵士の聞き慣れない言葉に僕は聞き返した。この人なら話が通じそうである。

「流れってのは突然どっかの世界から現れる奴らだよ。滅多にお目にかかれないがな」

「それです!多分その流れって奴です」

 僕は同じような境遇の人間がいる可能性がある事に喜んだ。この世界でも何とかなるかもしれないからだ。もしかしたらその流れで集まった人達の団体があるかもしれない。それならこの異世界生活は安泰だ。

「おい、こいつら流れだってよ。もうそれぐらいしてやれよ」

 優しそうな兵士が高圧的な兵士に呼びかけた。その呼びかけにようやく高圧的な兵士は落ち着きを取り戻した。

 優しそうな兵士はトラックに指を指して僕に話しかける。

「これが何なのかよく分からないけど街にはちょっと入れられないなぁ」

「じゃあどうすれば」

「うーん、門の横に置いといたら?無くなっても責任はとれないけど」

 その事を聞きこれ以上馬車の列に並んでも仕方がない事を知ったアスカさんは列から抜けて門を目指した。念の為兵士が周りで帯同しながらの走行であり、彼女はそのことも気に食わなかった。その表情は何も言わずともイライラしているのが分かり、前方にいる高圧的な兵士をいつか轢くのではないかとヒヤヒヤした。

 門の横にトラックを停めてアスカさんと僕はトラックから降りた。大地を踏み締めやはりここは現実だと再認識した。

「駐禁取らねーだろーな?」

 彼女は相変わらず高圧的な兵士に絡んでいる。

「また訳の分からない事、さっさと行け。こっちも仕事があるだ。それと街で問題を起こすなよ!」

 彼女は去っていく兵士に食ってかかりそうになったがヒカルが体を張って止めた。優しそうな兵士は僕に申し訳なさそうに近づいてきた。

「ごめんね、それと街に入ってすぐのとこに質屋があるから何か売れそうな物があったらそこでお金にしな。流れのものは高く買ってくれるから」

「ありがとうございます。あの僕たち以外に流れっているんですか?」

「うーん、分からないな。僕も初めて生きた流れにあったし。大体街に着く前に魔物に襲われて死ぬんだよね。だから所持品だけ出回ってるんだよ。運がよかったねー君たち」

 その事実に背筋が凍った。もしトラックに乗っていなければ魔物に襲われて野垂れ死んでいた可能性があるのだ。つまりさっきの狼である。彼女に頼み込んでトラックに乗せてもらい本当によかった。僕の異世界ライフは開始一時間で狼により強制退場させられるところだった。そうなったら神を恨んだであろう。狼だけにおお!神よ!なんてね。

 兵士達が去っていく後ろ姿を彼女は睨みつけていた。僕はアスカさんが高圧的な兵士を後ろから襲うんじゃないかと警戒していつでも止めに入れる様にしていた。しかし何事もなく兵士達は職務に戻っていった。彼女は大人の対応をしてくれたのだ。大人というより普通の事だがそれでも立派である。

「ちっ、まあいいや、ヒカル行くぞ」

 彼女は門に向かって歩き出した。その表情は今だに納得していない不服そうな顔だがやるべき事は分かっているようだ。僕は逆らわずにハイと返事をしてついて行く。

 僕達は大きな門を潜り抜けた。中には街が広がっており今日最も興奮した。

「アスカさん!エルフですよ!あそこには頭から猫の耳が生えてる人もいます!すごいですね異世界!」

「そうだな!何だか異世界らしくなってきたな」

 通行人は大声で興奮している二人を遠巻きに冷めた目で見ていたが僕達はそんな事を気にする事なく喋り続けた。何たってアニメや漫画の世界観そのままなのだ。これを見るだけでも異世界に来た甲斐がある。

 それに日本暮らしの僕にとっては石造りの街並みも珍しく海外に来た気分である。何処を見ても新鮮であり人も建物も服もどれもが初めましてである。

 挙動不審にキョロキョロ辺りを見回していると一つの看板が目についた。

「あれですかね?さっき言ってた質屋は」

 僕が指を指した先には一つの店がある。ショーウィンドウを覗くとまとまりの無い商品が所狭しと陳列されており怪しい雰囲気を醸し出していた。

 看板には金貨のような絵が描かれておりいかにも質屋といった具合だった。

 僕がショーウィンドウの前で入念に中を覗いていると彼女は遠慮なく扉を開けて中に入っていった。本当にこの人は躊躇がない。

 僕は慌てて彼女の後を追う。扉にはベルが付いており扉を開けた拍子にカランカランと音を立てた。店内は外で見た以上に物で溢れかえっており外からでは見えなかった天井まで物が吊るされていた。

 服、武器、鞄、食器、本、アクセサリー、絵画、彫刻、置物、釣り竿、桶、テーブル、椅子等ジャンル不問の商品が乱雑に置かれていた。

 僕は店内の埃臭さに咳をした。そして口を押さえながら店の奥に進んでいく。じいちゃんの家の納戸と同じ様な臭いがする。

 ベルの音を聞いた眼鏡の白髭の店主が奥から顔を出した。そして僕達をマジマジと見るなり喜びの声を上げた。

「おぉ!君ら流れかい?生きてる奴は初めて会ったぞ」

 ドタドタと店主は二人に近づき服や持ち物を隈なく観察した。店主は少年がカブトムシを見つめるような純粋な目をしていた。正直に怖かった。テンションが高い老人はなんだか異様な怖さがある。

「何だおっさん!触んなよ」

 アスカさんの声に店主はハッと我に帰った。そして咳払いをして姿勢を正した。

「すまん、すまん興奮してしまったようだ。本日はどの様な要件で?流れのものは高く買い取りますよ」

 店主はにこやかな積極を始めた。僕は店主にこの国の相場を聞いてみた。一ヶ月でどれほどお金を使うか、宿代は、食費は。店主は丁寧に質問に答えてくれた。

 この国の通貨は銅貨一枚十円、銀貨一枚百円、大銀貨一枚千円、金貨一枚一万円、大金貨一枚十万円位であった。なんと分かりやすい相場何であろう。日本の円安円高よりよっぽど親切な為替相場である。

 アスカさんはポケットからブレスレットを取り出した。

「これはいくらで売れる?」

 ブレスレットを渡された店主はまじまじと品を鑑定した。

「水晶の様な透明な球……おお!この紐は伸びるのか!」

 ブレスレットのゴムに店主は感動していた。しきりビョンビョンとゴムを伸ばしている。店主にとって物珍しいものだがそれは一応ゴムなので千切れるか心配である。

「金貨三枚でどうだ?」

「いいよ、それで売る」

 あっという間のに商談が成立した。どう見ても三千円位のブレスレットを三万円近くの値段で売れた事に僕申し訳なくなった。しかしこれが異世界でのお決まり。僕もカバンの中に色々入っているが今は金を持ち歩くのが怖いので売るのはまた今度にしておこう。

「サービスだ財布も付けてやろう」

 店主は巾着袋に金貨ニ枚と大銀貨十枚を入れて渡してくれた。渡されたアスカさんは財布の重みに思わず声を漏らした。

「じゃあな、また来るぜ」

 彼女はご機嫌で店を出た。僕は申し訳なさから深々と頭の下げた。これからも店主をカモにして向こうの品を高値で売るのだ。頭くらい地面にめり込むくらい下げても足らないくらいだ。

 一方店主もまだ見ぬ異世界の品を楽しみにして見送ってくれた。そしてショーウィンドウから中を見るとブレスレットを嬉しそうに眺めている。本当に申し訳ない。

 店の外に出ても外はまだまだ明るかった。日本では夕方だったがこちらではいったい何時のなのか全く分からない。その事に気付いた僕は何か時間が分かるものをキョロキョロと探した。時計台でもあればいいのだが。

「飯行くぞ」

 時計を探している僕を無視して彼女は歩き始めた。彼女の足取りはお金が手に入ったことで軽く、ようやく空き腹に何かまともな食事を入れられる事に喜びを感じているらしい。

 彼女は無計画に街を進む。こんな事なら店主に飯屋の場所も聞いておけばよかった。あの店主なら快く教えてくれただろう。

「アスカさん、ご飯食べるとこ分かるんですか?」

 彼女の後ろを仔犬の様に僕はついて行くが一向に彼女は飯屋を探し出す事が出来ていない。明らかに分かっていない。

「知らね、でもそれを探すもの旅行の醍醐味だろ?」

 彼女は完全に旅行感覚であった。あまりの神経の図太さに同じ日本人なのか僕は疑ってしまった。確かに海外旅行だと思えば幾らか気は楽になるが僕はそこまでスッパリ割り切れない。そもそも割り切れる人間が一体どれほどいるのかそれすらも怪しい。海外旅行ですら旅行雑誌で紹介されている店に入るだろう。

「お!ここにするか」

 彼女は外のテーブルで食事をしている人を見かけてここが飯屋と確信した。

 確かに看板には料理らしき絵が描かれており、店内から肉が焼ける匂いも感じられる。しかし何料理が出てくるか全く分からない。この街の風景から察するに洋風な物が出てくると思う。ここで海鮮丼が出てきたら嬉しい反面ガッカリするだろう。それでは風情がない。

 彼女はやはり何も考えず店内にズカズカと入っていった。そこが何を提供する飯屋なのかも調べずに。

 僕は日常の食事でも冒険はしない。個人経営の食堂は決して入らない。馴染みの全国チェーン店しか入らないのでアスカさんの様に適当な店を選ぶ事は出来ないのだ。ストレス無く日常の安定が僕の心を満たしている。ありきたりな日常が何よりも素晴らしいのだ。

 僕が店内に入るとそこは酒場の様であった。すぐに出たくなった。まだ外は明るいので酒を飲んでいる客はそれほどいない。店内に入ると客は僕の事をジロジロと見てきた。高校生の僕は自分が場違いである事を自覚している。

 居心地の悪さを感じながら僕は店内に入ったはずのアスカさんを探した。一秒でも早く合流したい。

 カウンター席に異世界では異質なツナギと帽子を被ったアスカさんを見つけた。僕は小走りで彼女の下に向かい隣の席に座った。ここが僕の安全地帯である。

 壁にはメニューが書いてあるがもちろん僕達には読めない。この時初めて何で異世界の人と喋れたのか僕は疑問に思ったが便利ならいいやと割り切った。異世界とはそういうものだ。気付かないうちにアスカさんに影響してされているのかもしれない。

「おっちゃん、あれを食べたい。あと酒は何かある?」

 彼女は店主に向こうの席で客が食べている肉料理を指差しながら注文した。僕も彼女と同じく物にした、もちろん酒は高校生なので頼まなかった。こちらの世界でも法律はしっかりと守る日本国民の鑑である。ていうかアスカさん昼から酒を飲むんですか?

 注文を受けた店員は手際良く肉を目の前で焼き始めた。熱々の鉄板に肉が置かれるとジュワッと脂が跳ねて匂いが溢れた。これは堪らない。

 僕はずっと緊張していたのかカウンターに座って待っている間に今更空腹な事に気づいた。見知らぬ世界の見知らぬ土地、入った事のない酒場に名も知らぬ料理。消極的な僕なら普通に生きていたらまず体験したい事である。

 肉が焼ける匂いが空きっ腹を刺激する。お腹を鳴らしながらまだかまだかと料理ができるのを待っていた。それはアスカさんも同じであり先に出されたワインをチビチビ飲みながら何度もカウンターを覗いて肉が焼き上がるのを待っていた。

 店員が焼けた肉を皿に盛り付け、付け合わせのマッシュポテトを乗せて僕達の前に差し出した。

「いただきます!」

 彼女はそう言うや否やナイフとフォークを握り肉を切り始めた。切った肉からは肉汁が溢れて皿の上に広がった。僕も手を合わせてから肉を食べ始めた。

 端的に言えば美味しかった。考えれば昼ごはんからなにも食べていない。体感半日はヒカルは何も口にしていなかった。そんな状態の肉である。不味いわけがない。空腹のスパイスが料理の美味しさを際立たせた。

 美味しそうに肉を堪能している僕達に肉を目の前で焼いてくれた店員が話しかけた。

「お客さんたちは変わった服を着てるね、何処から来たの?」

 アスカさんは今日起こった全てを意気揚々と話した。事実だから何も問題は無いが異世界から来ましたなんて自分から言うのは恥ずかしくどう見てもヤベー奴である。そんな彼女の話を店員は興味深そうに聞いてくれていた。

「流れかい、それは大変だったね。何か分からないことがあったら相談しな」

 店員の心は溢れ出る肉汁のようにキラキラと美しかった。兵士に質屋の店主、そして酒場の店員、この世界の人達は皆優しい人ばかりである。やはりどの世界でも人情が大切なのだと実感する。

「早く酒持ってこいよー!」

 遠くの席で酒を飲んでいたおじさんが酒の催促をした。何処の世界でも昼間から酒を飲んでいるプー太郎はいるようだ。おじさんの顔はアルコールにより真っ赤に染まっており目もトロンとだらしなくなっている。

「はい、ただいまー」

 店員は大きな声で返事をするとジョッキを片手におじさんのテーブルに持っていた。

 おじさんは何やらやいのやいのと文句を言っているが店員は酔っ払いの対応に慣れているのか聞き流してさっさと仕事に戻った。やはり酔っ払いは相手しないに限る。それは万国共通の自然の摂理である。

 おじさんは店員にまだ話があるらしくジョッキを片手にフラフラとカウンターまでやってきた。酒が溢れそうになるとその度に口にやり飲んでいる。歩くか飲むかどっちかにしないといつか大変な事故が起こりそうだ。

 おじさんはあろうことかアスカさんの隣に座った。店員に文句を言う為にわざわざ来たのに今はアスカさんを見つめている。

 「姉ちゃん面白い服着てるね」

 おじさんはニヤニヤしながらアスカさんをジロジロ見てヘラヘラしている。アスカさんは無視をしているがその顔は不機嫌そのものでありフォークを握る手が少し震えている。

「何だよ無視かよ、俺と話そうよ。少しくらいなら奢ってやるからよ」

 おじさんは椅子をガタンと横にずらしてアスカさんに近づいた。もう肩と肩が触れ合う距離になっている。初心者の僕はなけなしの勇気を振り絞りおじさんに注意した。

「あのー今食事中ですので。お話はご飯食べ終わってからじゃダメでしょうか?」

 か細い声で注意の様な何かを僕はおじさんに言ってみたがおじさんの穢れ切った心には全く響いていない。

「何だガキ?ガキが昼間っから酒場に来てんじゃねーよ」

 おじさんは常識的な正論をぶちかました。しかしその正論には致命的な欠点がある。言っているの人が昼間っから酒を飲んでいる事である。これではどんな素晴らしい教えもおじさんの戯言になってしまう。一度酔いを覚ましてから出直してきてほしい。

 そういう僕はおじさんにビビりまくり何も言えなかった。おじさんの勝利である。僕が黙っているのをいい事におじさんはしつこくアスカさんに絡んでいる。肩に手を回してはアスカさんに払われている。

「なぁこの後一緒に宿に行こうよ、金なら払うからよ」

 あろうことかおじさんはアスカさんに払われた手でアスカさんのたわわなおっぱいを掴んだ。ちょんと触れた程度ではない。ガッツリ掴んでいる。そうガッツリとだ。別にここの描写には他意はない。

 僕は「あーこれが血の気が引くってやつか」と実感していた。

 流石に店員が止めに入ろうとしたその時アスカさんは遂にキレた。思い切り肘でおじさんの顔面を打つ。その無駄のない動きは隣にいた僕でさえ一瞬何が起きたのか分からなかった。それはおじさんも同じであろう。勢いよく吹っ飛び持っていた酒は飛び散り床に倒れ込んだ。カバッと起き上がり痛みが走る鼻を手で押さえている。その指の隙間から鼻血が出ている為かなりの威力で打ったのだろう。

「テメーうぜーんだよ!昼間っから酒を飲みやがって息もくせーし!歯ぁ磨いてんのかよ!」

 アスカさんの怒声が店内に響く。店内の客が一斉に彼女の方を向いた。

「いってーな!何しやがる!ちょっとくらいいいじゃねーか!」

 おじさんも負けじと反論するが何もよくない。どんな理屈で言っているのか僕にはさっぱり分からない。

「はあ?いい訳ねーだろ!その少ない髪の毛をぜんぶ毟るぞ」

 アスカさんは倒れたおじさんの足をガツガツと蹴っている。蹴られるたびにおじさんはあっ!とか痛い!とか言っているが彼女は止まらない。

 周りの客も止めようとしない。もしおじさんに人望があるなら誰かが止めに入るはずだがそんな素振りを誰も見せないのでおじさんの人望なんて今客が食っている付け合わせ以下なのだろう。

「助けて!痛い!悪かったって!」

 アスカさんの容赦ない蹴りにおじさんは降参した。しかしアスカさんはやめない。周りも止めない。店員も見て見ぬフリをしている。僕だけがアワアワとどうしたらいいのか焦っている。異世界ってもしかして本当はみんな冷たいのか?それともおじさんにだけ冷たいのか?

 情けない悲鳴をおじさんが上げていると酒場の扉が開かれ兵士が入ってきた。店内の騒ぎを外から聞いたのだろう。

「何の騒ぎだ!」

「助けてー兵士さーん」

 おじさんは兵士に助けを求めた。先程までの威勢は一体どこに行ってしまったのか。

 その声を聞き外からゾロゾロと他の兵士も入ってきた。

 しかしこの状況は非常にまずい。経緯を知らない者から見たら若い女性がいたいけなおじさんをボコボコにしているのだ。

 そして何よりまずかったのは駆けつけた兵士がアスカさんがブチ切れていた高圧的な兵士なのである。

「またお前か!問題を起こすなと言ったろ!」

 高圧的な兵士がアスカさんの顔を見て怒鳴った。その声を聞いてアスカさんはゆっくりと兵士の顔を見た。その目は完全にキマっている。

「あぁ?事情も知らないで口出すなよ!」

「何だその態度は!」

 高圧的な兵士はズカズカとアスカさんに近付いてきた。これは危ない。そう思った僕は兵士とアスカさんの間に割って入った。事を収める算段など何もない。この二人が揉めれば確実に悪い事が起こると確信していた。

「すいません、ちゃんと訳を話すので」

 僕は低姿勢で高圧的な兵士に謝った。いったい今日一日で何回ペコペコすればよいのだろう。

「邪魔だ!どけ!」

 しかし頭に血が昇っている兵士は聞く耳を持たない。あろう事かこんな弱々しい青年である僕を突き飛ばした。

 流石兵士と言ったところ。鍛えられておりヒョロヒョロの僕はいとも簡単に吹き飛ばされてしまった。まさか兵士もこんなにあっさり飛んで行く人間とは思っていなかったのだろう。その顔はやってしまったと顔に書いてある。

 まあこれでこの高圧的な兵士が落ち着いてくれたならそれで僕の目的は達成してのだ。いい働きをした。この場は丸く収まって楽しく料理を食べよう。ハッピー!ハッピー!

 とはならない。兵士が落ち着きを取り戻した分アスカさんが更に興奮した。

「テメーヒカルに何してんだ!」

 アスカさんは怒ってくれた。今日会ったばっかりの行きずりの僕の為に怒ってくれた。

 そして高圧的な兵士の腹を蹴っ飛ばした。兵士の身体がくの字に曲がり呻き声を上げた。

 それでも兵士としての最後の意地なのか決して膝はつかない。腹を押さえながらアスカさんを睨みつけている。高圧的だがガッツはある兵士である。

 流石に遠巻きに見ていた兵士達も仲間が暴行されたなら黙っていられない。

「確保!」

 一人の兵士が叫ぶとアスカさんをあっという間に囲んでしまった。

 アスカさんは嫌な奴を蹴っ飛ばしたのがそんなに嬉しかったのか囲まれているのにその表情は晴れ晴れしていた。

「チッ悪かったよ。大人しく付いてくから離せよ」

 兵士に連れられアスカさんは店を出ていく。出ていくついでに床に座っている絡んできたおじさんを一発蹴った。おじさんはまさか追い討ちがあるとは思っておらず、ひいぃと情けない声を上げた。

 扉を潜る瞬間アスカさんは何かを思い出したらしく僕の方を振り返った。

「ちょっと行ってくるからこれ預かったといて」

 そう言うとアスカさんはポケットから車のキーと巾着袋を取り出して僕に向かって投げた。

 コントロール抜群、二つとも僕の胸にちょうどカシャンと当たり簡単にキャッチできた。キーにはストラップが付いており。ニッコリ運送三号車と書かれていた。

「分かりました!預かっておきます」

 僕はそれしか言えなかった。アスカさんは満足そうに笑い片手を上げてひらひらと振り僕との別れの挨拶をした。

 アスカさんの後を高圧的でガッツのある兵士がヨロヨロと歩いていく。

 僕は遂に異世界で一人ぼっちになってしまった。それもこれもそこで転がっている酔っ払いのせいである。アスカさんが短気なのも原因の一つだが僕はアスカさんを全面的に支持をする。

 僕は巾着袋からお金を出して会計を済ませ騒ぎを起こした事を店員に謝罪した。店員は「いいよいいよ、それより早く姉ちゃんのとこに行ってやんな」と優しく言ってくれた。その言葉にお礼を言い勢いよく店から出た。

 外に出ると兵士達の姿もアスカさんの姿もなかった。人通りが多く完全に見失ってしまった。

 アスカさんを救わなくてはならない。アスカさんは僕の為に怒ってくれたのだ。そこには多少の私怨があるかもしれないがそこには目を瞑ろう。

 とりあえず走ろう。アスカさんならそうするはずだ。僕は見知らぬ異世界の街を走り出した。

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