いつまでも、走れ走れ異世界トラック

なぐりあえ

異世界ウィズトラック

雨の中傘を差しながら走っている僕の名は青木ヒカル。友人からもヒカルと呼ばれておりあだ名など今まで付けられた事などない。

 高校の学ランに身を包み背中にリュックを背負って帰宅していた。すっぽりとデコと耳を隠すくらいの長さの黒髪にメガネという顔はいかにも真面目で内向的で、そして運動が苦手そうな出立ちである。そしてそれは事実でおり運動も苦手で社交苦手な何処に出しても恥ずかしくない根暗なオタクである。

 そんな僕でも内申点の為に生徒会に入っておりその帰りであり辺りはすっかり暗くなっていた。雨は土砂降りで近くの音もかき消されるくらいの酷さである。

 大雨の中小走りで帰宅する僕の制服の裾はびちゃびちゃに濡れており、靴下も学校から出て五分と経たないうちに不快なほど雨に濡れてしまった。これならサンダルで走っていた方がまだましである。

 僕が信号で待っていると一匹の可愛らしい猫が目の前を通り過ぎた。住処が水没したのだろうか雨に濡れない所を目指して猫は歩いていく。可哀想な猫、だが今の僕にはどうすることも出来ない。ボロアパート暮らしにペットは憲法で禁じられている。

 そんな可哀想な猫は道路に飛び出してしまった。猫に道交法など分かるはずもなく信号はまだ赤色のままだ。可哀想な上に愚かな猫に僕は同情を隠しきれない。

 そこは車道であり同然の様にトラックが走ってきた。雨の中悠々と道路を横断する猫はトラックは気付いていない様子だ。

「危ない!」

 僕の声は猫には届かない。僕は道路に飛び出してしまった。自慢では無いが元々気弱な性格ではあるが人並みに正義感は持ち合わせている。いくら可哀想で愚かな猫であっても目の前で無惨に跳ねられるのを見ていられるほど僕は薄情では無い。

 僕は傘を放り出して猫に駆け寄る。そこでようやくトラックはクラクションを鳴らした。

 猫はクラクションの大きな音に驚き目にも止まらぬ速さで駆けて行った。そうなると道路に残ったのはヒカルだけである。

 ――俺だけ置いてかれた

 なんたる恩知らずな猫だ。絶望している暇はない。可哀想で愚かで恩知らずな猫に裏切られた僕の目の前にトラックの眩しいライトが迫る。

「うあああぁぁぁぁぁぁ!!」

 僕はを瞑り反射的にトラックに背を向けた。そんな防御姿勢をとってもトラックの前にはどこまで意味があるかは分からない。

 その時一瞬であらゆる思考が駆け巡る。

 お母さんお父さん先ゆく不幸をお許しください。僕は猫を助ける為にこの短い人生を閉じる事になりました。バカ猫は元気です。元気に僕を置いて逃げてきました。もしその猫に会った時にはどうぞ優しくしてあげて下さい。息子の仇と思ってはいけません。ラブアンドピースの精神で接してあげて下さい。

 そんな事をぐるぐるとヒカルは考えていた。しかしいつまで経ってもトラックは僕に激突しなかった。僕はその違和感に気付いた。

 ――ん?死んだの?大丈夫なの?

 おそるおそる目を開けるとそこはいつも慣れ親しんだ通学路でも雨に濡れたアスファルトでもなかった。どこまでも続いていそうな草原と土が剥き出しの道の上に立っていた。

「まさかこれが噂に聞く異世界転移?」

 一瞬で理解できた。僕はそっち系の話が好きで漫画やアニメ、小説など嗜んでいた。

「まさかトラックに轢かれて転移するなんてそんなお約束みたいな」

 今まで見てきた異世界物のお約束が今自分の身に起きていた。しかしあまりに突拍子もなく異世界らしき所に来てしまった為実感はない。

 身体を見ると怪我もなく帰宅姿のそのままである。

「おい、おい兄ちゃん!」

 背後から誰かが呼ぶ女の人の声が聞こえた。僕は緊張した異世界でのファーストコンタクトだ。どんな物語でもこのファーストコンタクトが重要であった。

「おい兄ちゃん!聞こえてるのか?」

「はい!何でしょう!」

 怒鳴るような声に反応し意を決して振り返るとそこには僕と猫を轢きそうになったトラックがいた。

「お!ようやく気付いたか兄ちゃん」

 トラックの窓から女性が乗り出して声をかけていた。

「トラックも転移してるぅぅぅぅぅぅ!!」

 僕は堪らず叫んだ。


 僕はトラックの助手席にリュックを抱えて座っていた。運転席にはツナギを着て金髪が肩まで伸びている女性が座っている。帽子を反対向きに被り目は少しつり目の気の強そうな女性であった。

 ほんの少し前僕はさっさとトラックを出発させようとした女性に頼み込んでトラックに乗せてもらった。それはそれは情けない顔であったであろう。僕は最後の意地でミラーだけは見なかった。それを見て自分の顔を確認してしまうとなけなしの尊厳まで破壊されてしまいそうで怖かったからだ。女性は嫌そうであったが状況が状況だけに渋々乗せることにしたのだ。

「ウチの名前は山口アスカ、よろしく」

 彼女は非常に簡単な自己紹介をした。あまりに突然の自己紹介の為僕は少し遅れて反応した。

「あ、青森ヒカルです、よろしくお願いします」

 僕は頭を下げしっかりと自己紹介した。ヒカルは自他共に認める低姿勢の男である。クラスの女子にも低姿勢でいつも仕事を押し付けられる。

「そんで?ここどこ?」

 彼女はぶっきらぼうに僕に聞いた。その表情はあまりに乏しく混乱しているのか楽しんでいるのか全く分からない。何処と言っても聞きたいのは僕も同じだ。

「多分、異世界なんじゃないかと思います。あそこになんか角の生えたウサギがいますし」

「ウサギ!マジで?本当だ、マジで異世界なんだ、昔弟の漫画で読んだわ」

 外でこちらを不思議そうに見ている角の生えたウサギを見てようやく彼女は楽しげな表情を見せた。車内の重たい空気がほんの少し明るくなった。

「へー異世界かー北海道じゃねーんだ」

 彼女は無邪気に景色を眺めている。どうやらこの草原を見て北海道と思ってたそうだ。確かに異世界より北海道の方がまだ現実的である。いや一瞬で北海道に行くのも現実的では無い。

 僕としては異世界なら神的な奴から何らかの説明が欲しかったが突然の事なので彼女ほど楽しめていない。

「そんじゃ行くか」

 景色を堪能したのか彼女はキーを差してエンジンをかけた。不意打ち気味にトラックは振動して僕は「うお!」と情けない声を漏らした。

「行くってどこに?」

「さあ?道があるならどっか着くだろ?ここにいてもしょうがねーし」

 彼女は帽子のつばを前に戻してさっさとギアに手をかけてアクセルを踏んだ。とりあえず行く当てはないがトラックが向いている方向に出発した。

 あまりの無計画さに僕は心配したがアスカの言っていることはもっともだった。根が小心者の僕は考え過ぎて動き出すのが遅いことがある。彼女がいなければいつまでもここでうろうろしていたに違いない。

 舗装されてない土が剥き出しの道をガタガタと揺れながらゆっくりとトラックは走っていく。

「カーナビもつかえねー、ラジオもつかねー、スマホも圏外だし、だりー」

 彼女はトラックに備え付けられている機材をカチカチと何度も押すが反応は無い。もちろん僕のスマホも圏外である。ネットに繋がらないスマホは時計や電卓くらいしか使い道がない。そして充電も30%を切っているので使えなくなるのも時間の問題だ。

 何も喋らない気まずい時間が僕を襲った。僕は積極的に喋るような社交性はないがただ黙っている時間は耐えられない。意を決して当たり障りのない事を言った。

「あのアスカさん、いいトラックですね」

 僕も何故こんな事を聞いたか分からない。おそらくテンパっていたのであろう。お世辞なのかすら怪しい話の切り口である。いいトラックって何だ?悪いトラックって何だ?

「これ?会社のだよ。ほら帽子に書いてるだろ?」

 彼女は被っていた帽子を僕に渡した。そこにはニッコリマークのワッペンが貼られていた。

 ――そういえばトラックに乗る時に荷台に書いてあったな

 僕は何となく思い出した。ニッコリと運送の文字の間にニッコリマークのロゴが描かれていたことに。

「あれですよね?CMでやってる、笑顔で貴方に笑顔をお届けーニッコリ運送ーってやつ」

「そう、それよ、そこで働いてんの。そんで積荷下ろして会社に帰る時にこんなとこに来ちまったわけ」

 CMでは満面の笑みの社員達だが彼女は全くニッコリしていない。空気を読まずにCMソングを歌った僕の心は凍えていた。

 僕はお礼を言い帽子を返した。アスカはその帽子を受け取りまた被った。本当にこの空間が辛かった。それでも何とか沈黙にならない様に僕は喋り続ける。ここで黙ってしまうと余計に気まずくなるからだ。これは僕と精神力との闘いである。もちろん勝者などいない。常に勝敗が分からない不毛な闘いである。

「女性のドライバーって珍しいですよね?僕初めて見ました」

「まあ、ウチの会社にはウチしかいないな」

「やっぱり荷物運ぶとか大変なんですか?」

「まあな、重いし」

「ですよね、すごくですねアスカさんは……」

「なあ?ちょっといいか?」

 彼女は僕の言葉を遮った。緊張が走る。

 ――もしかして何か怒らせた?

 こんな状況になったのは初めてで彼女の様なタイプの女性と話すのも初めてである。何が気に障った分からなかった。

 僕は唾を飲み込み息を止めた。両手をギュッと握り肩も上がっている。完全に怒られると思った。

「なんか食べもん持ってね?食うタイミング無くてずっと腹が減ってんだよ」

 彼女は左手でお腹を摩った。

 僕は慌ててカバンの中を漁った。確かオヤツに食べようと思ってほったらかしたお菓子があるはずだ。カバンから棒状のスナック菓子を取り出して渡した。彼女の瞳に光が戻り嬉しそうにお菓子を口に咥えた。

「サンキュー、ありがとね」

 ボリボリと僕のお菓子を遠慮なく食べていく彼女に少し安心した。

 ――お腹減って機嫌が悪かったのか

 お菓子ぐらいで機嫌が直るならいくらでもお菓子をあげてもよかった。と言ってもお菓子はそれだけである。向こうの世界の最期の食べ物が見るも無惨に彼女が噛み砕き胃の中に納めてしまった。グッバイマイスナック

「ふーそれで何で異世界にいんの?ウチら」

 お腹が膨れて満足したのか彼女は先程とは全く違う声のトーンで僕に話しかけた。

「何ででしょうね、トラックに轢かれるとよく異世界に行くらしいです」

「なんだそれ?それに轢いてねーよ。ちゃんと止まっただろ?」

 確かに僕は無傷である。跳ね飛ばされた訳でもなく背を向けて目を瞑っていたら異世界にいたのだ。

「雨降ってて街ん中でそんなスピード出すわけねーだろ。猫も見えてたし」

「猫見えてたんですね……」

 そうなると完全に僕の一人相撲である。僕は恥ずかしくなり頭を抱えた。こうやって身体が先に動いて空回りする事はよくある。今回は死なずに済んだがもしもの場合にはドライバーにも迷惑がかかる事になってしまう。

「すいませんでした」

 僕はしおしおと謝ると彼女はドンと背中を叩いた。それは中々の威力であった。完全に跡がついてる。

「いっ!」

「危なかったけどナイスガッツ!そう落ち込むな。誰も死んでないし」

「でも異世界に来ちゃったし」

 自分の背中を摩りながら申し訳なさそうに彼女に言った。

「なんだ?ヒカルが連れてきたのか?」

「いえ、そうじゃないです」

「じゃあヒカルは悪くないじゃん」

 確かに言われてみればこの状況は自分自身も巻き込まれた被害者なのである。謝る筋合いは全くない。なんなら何の説明も無く異世界に放り出した奴こそ謝るべきなのだ。そんな奴がいるのかは別として。

「ヒカルは異世界に詳しいんだろ?何か教えてくれよ」

「詳しいって程では無いですけど。よくあるのが神様に使命を言い渡されて異世界に来るとか」

 彼女は僕の発言について考えたがイマイチピンときていないようである。

「ウチは神様に会ってないけどヒカルは会ったのか?」

「僕も会ってないです」

 突然この世界に来たので二人とも神的な奴には会ってはいない。もちろん神託も授からないので目的も何も分からない状態である。

「えっと他にも強力なスキルを覚えたりとか」

「スキル?フォークリフト動かせたりとか?」

「そんな実用的な奴じゃなくて、なんか火が出せたりとか雷出せたりとか」

「かっけー!あっ!ウチはスキルあるよ」

 まさか彼女が既にスキルを授かったとは驚きである。それと同時に一体どんなスキルなのか楽しみであった。彼女は左の胸ポケットからゴソゴソと普通自動車免許証を取り出した。

「ほら、免許証。履歴書に書けるやつ」

「あーなるほど」

 アスカさんは立派なスキルを持っていた。これさえあれば日本の何処でも車を運転出来る。かなり有用で実践的な素晴らしいスキルだ。

「僕も漢検準ニ級と英検三級を持ってます」

「すげー、しかも準ニ級!ウチ漢検小学生の時四級受けたけど落ちたよ」

 僕としてはボケのつもりで言ったのだが思いの外彼女の食いつきがよかった。漢検より自動車免許証の方が有用だと思ったが本人が驚いてくれるなら黙っててもいいかと思った。

「でもこの資格は異世界では使えないので、向こうの世界の知識を生かして成り上がるとかどうですか?」

 僕は異世界での漢検と英検の無力さを理解している。それならば知識を生かして生きていくしかない。ビバ現世知識で異世界無双である。

「うーんあんまし勉強出来なかったからウチには無理かな」

「でもほらトラックの事とか知ってますよね?」

「運転出来るだけで車作ってる訳じゃないし無理よ」

「そうですよね、僕も普通の学生なので人に自慢できる知識ないかなぁ」

 完全に手詰まりであった。およそ異世界に来た意味がない。このままでは異世界でただ迷子になった無力な一般人である。

 僕は外を見た。何もすることが出来ないこの状況に絶望していた。外は草原が続いており僕の虚しい心の中とは裏腹に穏やかは風景が広がっていた。

「まあ海外に来たと思って楽しむか」

 そんな僕の心中など梅雨知らず彼女は能天気な事を言っている。しかしその心持ちが一番なのかもしれない。所詮僕は何処にでもいる一般高校生であり特技もない。それなら海外旅行として楽しめば何の問題もない。使命を果たそうとか成り上がろうとか考えるのがそもそもの間違いなのだ。

 僕が異世界についての認識を改めてようとしていると大きな狼が道のど真ん中に立ちトラックの道を塞いだ。

 僕は狼の出現にひぃと悲鳴を上げた。自分でも情けない声だとは自覚しているがそれどころでは無い。生粋のシティーボーイである僕は野生動物なんてカラスとスズメくらいしか遭遇した事がない。あと鳩。

 先ほどの角の生えたウサギに続いて二番目の出会いが狼なんてもう少し段階を踏んでほしい。

 トラックは速度を落としてゆっくりと狼に近づいて行く。僕の心臓ははち切れんばかりに鼓動しそのやかましい心音は耳に響いている。こんなに緊張したのは高校受験の日くらいだ。

 あれ狼と高校受験って同レベル?いやそんな訳が無い明らかに狼の方が上に決まっている。

 僕が前の狼に気を取られていると突然横の窓に別の狼が映し出された。前の狼は囮で本命は横からの奇襲であった。

「うわああぁぁぁぁあ!!」

 窓越しとはいえ絶叫してしまった。昔からドッキリ系やホラー映画等は大の苦手である。僕はアスカの腕にしがみつき震えた。狼は僕を睨みつけ大きな口開けて窓ガラスに爪を突き立てている。

 あっちいけよ、ガリガリのひょろひょろオタクを食っても腹の足しにどころかお腹壊すぞ。

 「ヒカルなぁ?こういうのはビビったら負けなんだよ」

 アスカさんは動じない。彼女はニヤリと笑いクラクションを鳴らした。

 ブウウウウウウウゥゥゥゥ!!

 今まで聞いたことのない音なのだろう、トラックのクラクションは効果覿面であった。けたたましいクラクションに狼たちは驚き草むらの中に逃げていった。僕も突然の事にびっくりして少し体が浮いてしまった。

「はっ人間様を舐めるからだ」

 彼女は楽しそうに笑っている。僕はまだ体の震えが止まらないがいつまでもしがみ付いてる訳にはいかないのでそおっと手を離した。女性にしがみついたのは記憶がある限り母以来二人目だ。

 「あーでも窓に傷がついてるな返す時に怒られっかなー。荷物は全部届けたから大丈夫だけど。どうすっかパクるかー返せねーし。営業所のおっさん嫌いだし」

 何やら彼女はデカい独り言を言っている。それは当然僕にも聞こえている。なにやらトラックを私物化するつもりらしいが口出しは出来ない。聞かなかった事にしよう。僕は無関係です。

 僕が何やらチラチラ見ている事に彼女は気付いてしまった。

「あーごめん、運転中っていつも一人だからずっと独り言いってんだよね。誰にも聞かれないし」

「いえ気にしないで下さい」

僕は愛想笑いをした。正直独り言を言ってくれた方が気が楽であった。しかしこのままずっと二人きりなのは正直辛い。どうにか現状が変わる事がないかと僕は外を眺めた。狼の姿は見えずひとまず危機は去った様だ。

 トラックは大木が生えている丘に差し掛かり見晴らしが良くなっていく。

「あれ街じゃね?」

 緩やかな丘を越えたところで彼女は遠くに建造物が立っていたのに気付いた。僕も正面を見ると確かに道の先に街らしき影が見えた。そして街に向かって道の上に箱のような物が連なっていた。少しづつ近づいていくとそれは何台もの馬車である事が分かった。この大木の根本でピクニックしながら街を眺めるのもいいなと柄にもなく思ってしまった。

「おお!やったじゃん。これで何とかなったな」

 彼女は喜びながらギアを上げて加速した。目的地が見えれば後は走るのみである。

 意気揚々と走っていくトラックに揺られながら僕は街が見えた安心感に包まれ、そして何処か彼女とならこれからもやっていけそうなそんな気もしていた。

 それはあまりにも自分勝手過ぎると分かっていたが現状頼れるのは彼女だけである。異世界に放り出されたのだそれくらい許してほしい。

 

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