第34話 悪竜退治①

 悟の影から現れた異形は、竜に似ていた。紫色の体躯に、ぬめぬめとした体表。理性を感じさせない瞳は、狂気を宿して眼下にいる愚者達を捉えていた。



「あわわ……これがアリスが普段から召喚している『腕』の本体か……」



 エリザが呆然とした様子で呟く。紫色の異形の竜が三人の前に姿を現した。溢れ出す魔力から、瞬時に察する。使い魔の格としては、チェシャ猫やハンプティ・ダンプティ以上のものであると。



(今までは一部だけとはいえ、すんなり貸してくれてたけど、無理やり呼び出されたせいか、もの凄く機嫌が悪そうだなぁ……)



 悟達の目の前の異形の竜。その名をジャバウォック。『鏡の国のアリス』の中に登場する竜。行動の指針が分からない登場人物が多い中、この異形の竜はとりわけ異彩を放つキャラクターである。

 様々な学者によって考察されて、明確な答えが定まらなかった結果、この異形の竜に与えられた性質は『混沌』。何者であり、何者でもない。狂った国の住人の一人だ。



 影からその全身を現した異形の竜――ジャバウォックは、不愉快そうに唸り声を上げた。その存在感だけで、黒兎の張った結界が軋む。



「……黒兎。終わるまで結界が保ちそう?」

「いや難しそうなんだな。あの魔力量から考えても、数分も吾輩の結界が耐えられそうにないんだな」

「――要するに、いつも通りの短期決戦ってことだね」

「はあ……付き合わせられるこっちの身になってほしいんだけど……」



 エリザの小言を無視して、悟は魔法を行使する準備に入る。黒兎の見立てでは、結界は長く保たないということだ。『連盟』に察知される前に、ジャバウォックを打ち倒して、悟を主であると認めさせる必要がある。



「――エリザ。構えて。来るよ」

「はいはい、分かったわ。――『ブラッド・パルペー』」



 エリザの手には巨大な深紅の鎌が出現する。それと同時に、悟も魔法を使用した。



「――『■■の■の■■・トランプ兵』」



 一瞬にして、悟の元には無数のトランプ兵が集結する。剣や槍を構えて、ジャバウォックに相対する様は、まるで童話の一場面から切り出したようだ。お約束の展開であれば、雑兵にすぎないトランプ兵の役割はやられ役にしかならないだろうが。



 もちろん、数合わせの為だけに召喚した訳ではない。ダイヤモンド・ダスト戦の時と同様に、トランプ兵の何体かには黒兎の精神魔法『惑いの狂時計』がかけもらう。該当個体が倒されれば、ジャバウォックの意識をほんの僅かな間でも奪うことが可能なはずだ。



「■■■■――!」



 ジャバウォックが吠える。それが合図となり、三人は事前に決めていた作戦通りに行動した。

 悟は数体のトランプ兵に警戒させながら、後ろ足で少しずつ距離を離す。



「――行くわよ……って、硬い!」



 エリザが先陣を切り、『ブラッド・パルペー』によって作り出された深紅の鎌の切っ先が、ジャバウォックの首を捉える。しかし竜の首は切断されることなく、薄皮一枚すら傷つけられずに終わった。

 舌打ちをして、すぐさま距離を置こうとするエリザ。対するジャバウォックは、蚊を払うかのように前足の片方を振り上げた。

 その動作は巨体ながら、緩慢ではなく素早いものであった。エリザのか細い体を強い衝撃が襲う――ことはなく、ジャバウォックの攻撃に合わせて自分から飛び、勢いを殺す。



「くっ……!」



 それでも完全に衝撃を緩和することはできず、吹っ飛ばされた。そして地面に叩き落とされそうになったエリザの体を、後方に控えていたトランプ兵が抱きとめた。



「あ、ありがとう……」



 エリザは礼を告げる。トランプ兵は無言で――そもそも言葉を発する器官を持ち合わせていない――エリザの体を丁寧に下ろした。返事こそないものの、「問題ない」という風なジェスチャーが返ってきた。それに対して、エリザは再度「ありがとう」と礼を言った。



 ふらつきを堪えながら、エリザは前線に視線をやる。エリザが速攻で欠けた穴を、トランプ兵達が応戦することで埋めていた。



「■■■■――!」



 ジャバウォックの咆哮が離れた場所まで響き渡る。もしも黒兎の結界魔法がなければ、ジャバウォックの魔力や気配だけではなく、騒音によって容易に『連盟』に探知されていただろう。

 既に結界にヒビが入り始めているのには、エリザの視界には入ることはない。



 トランプ兵達は奮戦しているようだが、想定通りあまり効果はないようだ。それも仕方がないだろう。エリザの『ブラッド・パルペー』の刃が通らなかったのだ。それ以下の格であるトランプの武器では、ジャバウォックにとって玩具に等しいに違いない。

 現にトランプ兵達の攻撃では、傷一つついていない。それでも群がるトランプ兵が不快であったのか。薙ぎ払いに、巨大な顎による喰らいつき。肉体性能を生かした原始的な攻撃方法により、トランプ兵達の数を急速に減らしていった。



 時折ジャバウォックの体が一瞬ではあるが、硬直する。黒兎の『惑いの狂時計』が作用しているようだ。それでも、トランプ兵の減少は止まらない。



 悟は別の作業に専念している為、追加のトランプ兵を呼び出すことはできない。エリザは『ブラッド・パルペー』を再び握りしめて、ジャバウォックの方へ向かっていった。

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