第8話 僕はアリス

「じゃあね、有栖川君」

「うん、佐々木さんも。また明日」



 時刻はお昼時を過ぎた頃。魔獣が出現したことを受けてた中学校側は、その日の授業を切り上げて生徒達を早々に帰宅させる判断をした。



 生徒達が各々帰路につく中、悟と恵梨香もいつも利用している通学路を歩いていた。

 会話の数は普段よりも少なめ。けれどその距離感が、今の二人にはちょうどよかった。



 いつもの分岐路に立ち、別れの挨拶を互いに告げる。

 明日からしばらくは臨時休校で、顔を合わせる機会がないのかもしれない。

 悟はそう思いながらも、普段通りに挨拶を交わした後、自宅へ歩を進めた。



 時間帯がお昼過ぎということもあり、あまり人とすれ違うこともない。

 悟が曲がり角に差しかかった頃、それまで姿を見せなかった黒兎が近くに現れる。



「――少年。ようやく一息つけそうだな」

「――っ! 黒兎か……驚かせないでくれ」



 周囲に人の気配がないことを確認した上で、悟は黒兎との会話に応じようとした瞬間、自分が『少年』と呼ばれたことに違和感を覚えた。



「……そういえば、僕の名前を伝える暇がなかったね。改めて、自己紹介を。僕の名前は、有栖川悟。好きに呼んでいいよ」

「確かに少年の名前は聞いていなかったんだな。それにしても『アリス』か……。ある意味少年に相応しいんだな」

「え……好きに呼んでいいとは言ったけど、アリスって。まあ、いいかな。あの時の格好は確かにそれっぽかったし。ただし変身している時以外は悟でよろしく」

「了解したんだな」



 遅めの自己紹介を終えて、黒兎は早速本題を切り出した。



「――悟。気がついているかもしれないが、君の正体は今の段階ではバレてはいない。それはさっき出会った二人組の魔法少女や、生徒達の反応から見て間違いないはずなんだな」

「うん、それは分かってる。黒兎こそ、あの二人の妖精に気づかれてないの?」

「それこそ抜かりはないんだな。吾輩の魔法はサポート系に特化している。隠密なんて朝飯前だな」



 ふんす。そう鼻息を鳴らしながら、腰に手を当て自慢気に言う黒兎。

 どうやら現時点では、悟達の存在も精々正体不明の魔法少女の一人、程度のものだろう。



「それで話は変わるんだが、吾輩は一旦用事がある為、別行動なんだな」

「ん? どういうこと?」

「『連盟』が吾輩達の正体に辿り着かないように、ちょっとした裏工作なんだな。では、また後ほど」

「ちょっと!?」



 黒兎の爆弾発言に、静止の言葉を投げかけた悟。しかしその言葉が耳に届く前に、黒兎は転移魔法の『門』の中に消えていった。

 発言の真意を尋ねたいと悟は思ったのだが、黒兎は一々行動が早い。



「魔獣を倒したいし、他の魔法少女の助けになりたいとは考えてはいるけど、別にお尋ね者になりたい訳じゃないんだけど……」



 黒兎が消えた先を見つめながら、呆然とした様子で吐き出された言葉は、静かな住宅街に溶けていく。



「まあ、帰るか……」



 悟は気を取り直して、歩を進めることにした。

 若干の哀愁が漂う後ろ姿は、中学生というよりかは中年サラリーマンのようであったとか。





「……ただいま」



 鍵を開けて、帰ってきたことを告げる。当然のように、悟の帰宅を迎えてくれる者はいない。返事もない。

 それを気にした素振りを一切見せず、悟は靴を揃えて端に寄せる。



 風呂場に備え付きの洗面所に行き、手洗いを済ませてから二階にある自室へ向かう。

 制服をハンガーに掛けて、私服に着替える。

 そのまま階段を降りて、悟は台所へ直行した。少し遅めの昼食を作る為だ。



 現在有栖川家の台所事情は、悟が一人で取り仕切っている。

 久瑠実が亡くなった後。有栖川家からは家族の団欒という概念は失われた。

 母親は娘を亡くしたことによる鬱病。普段から自分の部屋に籠もっており、最後に会話をしたのはいつだろうか。



 父親も鬱病でこそないが、精神的に負った傷は癒えておらず、その傷を誤魔化すように仕事に没頭している。最後に食卓を囲んだのは、いつだろうか。



 あれこれ考えている間に、悟は慣れた手つきで料理を完成させた。メニューの内容は、簡単に作れる野菜炒めだ。

 出来立て故の湯気が立つ皿をお盆に載せて、ある一室に行く。母親の部屋になる。

 部屋の扉の前にお盆を置き、悟は声をかけた。



「……母さん。昼ご飯、ここに置いておくから」



 返事がないのは分かり切っている。いつもであれば、悟はそのまま無言で立ち去るのだが、黒兎と契約して心境の変化があったからだろうか。

 悟は扉にそっと手を当て、静かに宣言した。



「魔法少女の必要のない……そんな世界、僕が作ってみせるから」



 誰にも聞かれることない宣誓をした悟は、台所で自分の作った食事を手短に終えた。

 そして自室へと戻っていった。





 自室の扉を開けようとした瞬間。それまでなかった魔力反応が、部屋の中から感じ取れた。



「――っ!? いや、この魔力は……」



 一瞬身構えた悟だったが、その魔力が身に覚えのあるものだとすぐに判明し、警戒を解いた。

 ドアノブに手をかけて、平静を装い入室する。



「――やあ、待っていたんだな。悟」

「やあ、さっきぶりだね。黒兎。それで『用事』は終わったの?」

「……もちろん、バッチリなんだな」



 悟の部屋にいたのは、彼の契約妖精である黒兎であった。

 先ほど黒兎が言っていた『連盟』に対する『用事』。

 突然現れた未登録の魔法少女と、悟の関連が万が一にも結びつかないようにする為の作戦。



(今の段階だったら、絶対に僕の正体が魔法少女だと分かる訳ないのに……。何やって来たんだ、黒兎は。よく見たら、さっきより黒兎の魔力がごっそり減ってる……)



 もちろん黒兎には彼なりの思惑があるのだろう。

 現に悟には理由が不明な魔力の消耗が確認できる。

 しかしどんな打算があったとしても、この黒兎の行動には感謝していた。



 男でありながら魔法少女に変身した異常例の体現者、悟。それが世間に――『連盟』にバレるとどのような事態に発展するのか、全く予想できない。

 好意的に受け入れられる可能性はなくはないが、悟の周囲に及ぼす悪影響の方が多いだろう。

 保護ということになっても、他の魔法少女からの実力行使という形で実行されるかもしれない。

 というのも、法律によって魔法少女は基本的に『連盟』に登録することが義務づけられているからだ。

 保護や同行を悟が拒んだ時、『連盟』そのものと敵対する――まではいかなくとも、突発的な戦闘にもつれ込む可能性はある。

 悟はそのように考えていた。

 


 今回黒兎はそんな最悪の結果に至る可能性を少しでも下げようと、動いてくれた。



「――何をしてきたのかは聞かないけど、ありがとうね」

「――」



 悟の感謝の言葉に、黒兎は驚いたのか。固まったまま、しばらく動こうとしない。

 そして三十秒程の時間をかけて、再起動を果たした黒兎は返答をした。



「――いや、問題ないんだな。これぐらいはお安い御用だな」



 その時の黒兎の声は、悟が出会ってから聞いた声の中で、一番本心に由来するものだと感じられた。





「はあ……あいつも強引だなぁ。久しぶりに会ったと思ったら、見込みのある契約者ができたから協力してくれって……」



 街外れに位置する、錆びついた廃工場。

 そこに一人の少女がいた。服装は血を連想させる程の真紅のドレス。

 異常に発達した犬歯、ドレスと同色の瞳が特徴的であった。

 第三者が見れば、彼女の容姿から吸血鬼を連想しただろう。



「まあ……対価で血の代わりになる魔力をそれなりにもらったから、手伝いぐらいはするけどね……。最近は『連盟』の『魔女狩り』も厳しいからなぁ。あんまり売りたくないけど、近隣の支部を軽く襲撃しといてくれって……はぁ」



 そう独り言を呟きながら、少女――エリザは暗い路地裏へと消えていった。

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