第8話 緩む朝廷と犠牲者たち 

 官も民も、聖も俗も、何もかもがお世辞と金まみれだ。儒者の建前を女子供と自分より権威の下位に居る男に押し付けて、強欲の本音が横行していた。


 工部郎中の王祐おうゆうは髭を剃り落としてしまった。私が「髭がございませんね」と問えば、彼はにこやかに言った。

「親愛なる老爺ちちうえ、あなたさまが髭を蓄えないのに、この臣下があえて髭を生やせましょうか」

私は機嫌よく彼を昇進させた。

 

 万事がこの通りだ。徐晞じょき兵部尚書ぐんむだいじんに、王文は都御使に、お世辞一つで昇進した。

 また私は甥の王山と王林を錦衣衛指揮同知きんいえいしきどうち錦衣衛指揮倹事きんいえいしきけんじに任命した。私の腹心である馬順、郭敬、陳官、唐童たちも重要な地位につけた。


 北京だけでない。遠く福建省の小官、宋彰そうしょうは横領した数万銀を以て私の朋党となり、布政使の地位を得た。


 皇帝は十代後半、私のやり方に何の疑問も持たず、日課の学問を手短にすませ、娶るべき妻選びに頭を悩ませていらっしゃる。かと思えば、落雷で奉天殿の一角が壊れた時は、「天の意図は何か」と勅令を出して臣下の意見を求めたりなさる。


 私はこの機に眼を光らせた。案の定、「太監の批紅代行の権限を減らし、陛下の大権を自らなされませ」と言い出すやからが出た。


 翰林院侍講の劉球りゅうきゅうだ、反骨者め。

 私は彼を牢獄に送り、すでに収監していた篇集官の董磷とうりんという男を使った。部下の馬順が毒薬を手にして董磷を脅す。

「死にたくなければ、劉球が公金を横領していると証言するだけでいいぞ」

 かくして劉球は斬首となった。


 また、私は部下の太監のお気に入りの召使を怒鳴った駙馬都尉ぜんこうていのむすめむこの石碌を逮捕し、錦衣衛の牢に入れた。

 理由が分かるか?

 欠損者である宦官の奴婢が最低の身分だからと、ささいなことで罵倒された。この哀しみを知ってやらねば、宦官長として申し訳がたたない。宦官たちは私を「翁父ちちうえ」と呼んだ。


 こうした環境下で皇帝が私を「老師せんせい」と尊敬を込めて呼ぶ。他の皇族がそれに倣うのは自然なことで、彼らも私を「翁父」と呼ぶ。

 臣下たちは日和見を決め、その中で最も恥知らずな奴らは私に最高の呼び名をくれた。「乾爹チァン・ディエ」だ。血縁がなくても養父として面倒を見る、もうひとりの父親を意味する。いわばゴッドファーザーだ。

 

 ああ、我が世の春よ。

 

 私に反抗し、要らぬ屈辱を受けた者の名を連ねよう。

 御史の李鐸りたくは私に拝礼せず、遼東の鉄嶺衛に流され、服役刑。

 大理寺少卿の薛瑄せつせんは私と同郷なのに、「お前の傲慢は見るに堪えない」と付合いを断った。のちに私は私の甥とその妻が起こした事件にわざと彼を巻き込み、死刑を判決させた。さすがに薛瑄の息子たちが父の代わりに自分を死刑にしろと訴えて騒ぎが大きくなったので彼を釈放した。が、結局、彼は北京を離れた。


 また、国子監祭酒こくしかんさいしゅ(大学の校長)の李時勉は時勢の分からない奴だった。なおざりになっていた国士監を整備せよと奏上するなら、私に何らかの金品を贈るべきである。

 慣例を知らないのか? 宮中を舐めているのか?


 私は国士監の前の古い木を切る命令を李時勉の名で出し、それは罪に値するとして暑い日に三日間、彼を縛って木の前で晒し者にした。さすがにこの時は孫皇太后の耳に入り、皇帝陛下に伝わったので、彼をいじめるのを止めた。

 だいたい国士監の学生どもが大騒ぎするのが悪い。なぜ騒ぐ前に私に金を寄こさないのだ! 知恵が回らぬ愚か者ども!

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