第3話 王伴伴(おうばんばん)と呼ばれて
宣統二年の春、陽物斬りの師匠に別れを告げ、新人宦官となった私は紫禁城の外城である皇城の北安門から職場に入った。
長屋のような宿舎の前で所持品検査を受ける。
自分の陽物保存瓶を持っている者はたいがい実家が太いか、将来を見越した親族の資金を持っている。
師匠に施術代を払えなかった者は保存瓶を師匠の家に置いてきた。紫禁城の給金で自分の一部を買い戻せる者は十人に一人。歴代王朝の中で最低賃金の明ゆえに官吏は民を搾取するわけだが、宦官に皺寄せがあるとしたら、これではないだろうか。
まぁ、いい。内書堂の
「これを宿舎に置くために何が要るか」
私は待ってましたとばかりに、しかし、出過ぎた態度でなく、恭しく彼の手に銀の包みを置く。
「王振がご挨拶申し上げます。私は筆を十分に扱えます。四書五経のほか、史書に唐宋の詩文を心得ております。勉学を磨くため、ぜひとも御教示ください」
私の態度と言葉遣いに、彼の眉がピクリと動く。
「王振、内書堂に推薦して欲しいか」
私は先ほどの二十倍の銀を彼の手に乗せた。
私は宮中の構造と学識に通じなくてはならない。権力に近づくなら十二監を束ねる司令監が最上。肉体労働とそれを監督する四司や八局ではダメなのだ。
宦官には城外から通勤する者がいる。彼から買った情報は実に役立つ。
諸葛孔明だったか、「知彼知己者百戦不殆」=「彼を知り己を知れば、百戦あやうからず」いや、これは孫子の謀攻篇だったな。
二年後、私は厳しい内書堂勤務を終え、東宮へ転勤した。東宮六局の
典璽局の仕事は東宮の主である皇太子殿下の
皇太子の二歳の学問始めはとうに終えていた。私が局郎になった頃、彼は三歳で、イヤイヤ期の激しい盛りだ。彼の名は
局郎になる前から、私は彼のイヤイヤを適切に扱う術に長けていた。彼は筆を放り投げる。私は素早くそれを受け止め、彼に差し出す。皇太子の眼が輝く。やんちゃだ。
「殿下、もう一度、お投げ下さい」
彼は喜んであらぬ方向へ筆を投げる。それを他の宦官が受ける。彼らは筆を床に落とすまいと必死で走る。ひとしきり不埒な遊びが続く。私は殿下にほんのり甘い茶を勧める。ご機嫌になったところで、彼の小さな手に小さな筆を握らせ、私の手を添えて書習いに戻る。
彼はすぐに私に懐いた。時に厳しくしても、彼は素直だった。なんて可愛いんだ。
その後、彼は私を離さなくなった。毎朝、孫皇后の宮殿に迎えに行き、東宮での勉学と鍛錬を終えて送り届けるまで、私は彼の同伴者。皆は私を「
気持ちがいい。皇太子からも東宮六局全員からも一目も二目も置かれ、本当に気持ちがいい。勤務の厳しさなど気にならない。
私の二十代はこうして始まった。
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