第36話

「ぽ、ポン助…もういいよ…」

「ガルルルルルゥウウウア!!!」


胸を揉まれたこともショックだったが、ポン助のあまりの怒りの形相のほうに、私は引いてしまった。まるで、鬼のような表情で、見たこともなかった。魔物と戦っているときでさえ、そんな表情をしたことなんてなかったのに。

下手に近づくと噛まれるのではないかという恐怖を初めてポン助に感じてしまった。

今まで、そんなことなかったのに。

周りの人たちもポン助と男の様子がただ事ではないと感じている様子で「人を呼ぶか?」「新手の魔物かもしれない」などという言葉が聞こえてくる。


……まずい。ポン助が殺されてしまうかもしれない。

「ぽ。ポン助~。ごはん食べにいこうよ…」

「痛い!いたい!痛い!誰か早くこいつを殺してくれ!」


男の悲鳴がいよいよ大きくなってくると、


「おいおい。ポン助。その男の足を嚙みちぎるつもりか?」

「え?」


驚いた。いつの間にか、すごい美形が後ろに立っていた。


神秘的な雰囲気をまとった男だった。男のまばゆい美しさはまるで夜空でもひときわ輝く一等星のようだった。どこにいても、その美しさが輝いていてすぐに見つけられそうなくらいに。肌は、まるで宝石を包んでいるようだった。滑らかで透明感に満ち、微かな光が彼の全身から発せられているようだった。


髪は漆黒で、風に揺れるたびにキラキラと光を反射し、そのきらめきは、闇を切り裂くような輝きを放っていた。その一筋一筋が、夜の闇を纏い込んだような深い輝きを持ち、触れる者を引き寄せるような魅力があった。彼の瞳は深淵そのもので、星座のような複雑な輝きが宿っていた。見つめられた人間を深みに落としてしまいそうな、そんな危うさがあった。

まさに人外の美しさだ。

神様を人の形にしたら、まさにこんな形だろう。

…しかし、この男の姿を私はどこかで見たような……。


「ちょっと…」


腰を抜かしている私を少し見つめた後、まるで子供を抱くような軽さで、私のわきに手を突っ込んだかと思えば、軽々と私を立たせた。

私も思わず立ってしまった。

普通の男がすればセクハラかも分からない行動だが、あまりの男の美しさにセクハラとかそんな言葉は消え失せてしまう。呆然として、美形の男を見ていると、今度はポン助と男のそばに寄っていったかと思えば、


―ひょい。


あれだけ怒り狂っていたポン助をいとも簡単に抱き上げた。

ポン助は、興奮収まらない様子で、抱き上げた男の手を噛んだ。


「ひっ!ポン助っ!」


男の手にポン助の鋭い牙が突き刺さっている。

容赦なく突き刺した牙の隙間からは、ダラダラと血があふれだしてくる。

人様に怪我をさせてしまった。

しかも、かなりの美形な男性の手を。

見るからに高貴そうな感じだし、慰謝料…賠償金…。いや、それよりも男の手を早く手当しないといけない。


「手…」

「おいおい。飼い主の手を噛むなんて…それともそれすら分からなくなっちまったか?」

「きゃう!」


ピン。と男がポン助の鼻を人差し指ではじいた。デコピンならぬ鼻ピンである。

ダラダラと流れる血に、何の関心もないようだ。

痛覚がないんだろうか。



「ほら。お前も災難だったな。これに懲りたら酒はほどほどにしておけ」

「……」


男がぼ~っとしている。

無理もない。あまりの美形に見惚れているのだろう。

美形の男は首を傾げ「そんなに傷は深くないと思うけどな」と言って、男の足に手を当てた。パッと光が男の足を包んだ。


「ほれ。もう痛くないだろ?」


男は、しばらく呆然としたように無言だったが、ふいに口を開くと、


「……その犬。兄ちゃんのか?」

「ん。ま、そんなもん」

「俺の足。その犬に折られちまってよぉ…」


男の声には確かな色があった。


「ちょっと!ポン助の飼い主は私…」

「だから、兄ちゃんの体で責任とってくれよ」


男の言葉に思わず絶句する。

酔ってても酔ってなくても、こいつクソじゃないの…!


「何言ってんのよ!大体ね!元はといえばアンタがぶつかってきたせい…」

「なぁ。おっさん。俺の体で責任とってほしいっていったよな?」

「おう」

「じゃあ…怪我は治さない方がよかったか」

「へ………い、いたたただだだああああああ!!!!!????」


男が悶絶している。

あまりの激しさに呆然としていると「怪我しているほうがいいんだよな?」と美形の男が言った。その顔に、まとっている雰囲気に私も周囲の人間も押されてしまった。

確かに男は人間の形をしている。

だけど、何かが違う。

男の中身は、まるで、なにかが違っているような、人間の皮に包まれている別の存在がいるような、そんな違和感と恐怖があった。

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