第11話 つかの間の休息
妻の不倫相手と思われるマーくんからのLINE電話。
私は妻の夫であると名乗った。
すると少しの沈黙のあと、「由里は?」と堂々と人の妻の名前を呼び捨てにした、この男に怒りを感じた。
そしてこの男は、妻が亡くたったことを知らない。
私は「妻はここにはいません」と話し、自分でも驚いたことに、会って話がしたい、と伝える、相手は多少の戸惑いをみせるも、会うことを承諾した。
約束は3日後だ。
私は妻の不倫相手に会って、何を言おうとしてるのか、何を聞きたいのか自分でもよく分からなかった。怒りと緊張が身体を走った。
その日の夕方、ある人物から連絡があった。
葬儀のときに見かけた、宮部圭介と名乗る妻のかつての恋人からだ。
急で申し訳ないが、今日の夜なら時間がとれるという内容のメッセージだ。
出かける気分ではなかったが、怒りに震えながらも、妻の事を知りたいという欲求は抑えられず、約束の場所に行った。
約束の場所はサラリーマン御用達の飲み屋街の中にある小料理屋だ。
奥にテーブル席が2つと、残りはカウンター席だけの小さな店だが、掃除は行き届いており雰囲気の良い店だ。
奥のテーブル席に座り、メニューに目を落とすと、色んな地域の日本酒が多く書かれていた。
出された突きだしからも店の質が窺われた。
宮部はすぐに現れた。
「山下さんですね、遅くなってすいません。宮部と申します。」名刺を差し出してきた。
「あんまり店を知らないもんで、この店すぐに分かりました?」と人当たりの良い笑顔で続けた。
宮部は日本では1、2を争う大手銀行本社の課長だ。銀行の人事は分からないが、エリートなんだろうと察しがついた。
名刺を持ち歩いてないと交換を拒んだが、本当は名刺は持っていた。自分は中小企業の課長、ましてや降格もあり得る状態では恥ずかしくて名刺をだせなかった。
「すいません。おかしなメッセージを送って」
「いやいや、私で役に立てるなら、いつでも。
亡くなってからも奥様のこと知りたいなんて、由里さんは愛されていたんですね」と言った。
愛していたことは確かだが、愛されていたかは今となっては分からない、暗い表情になっている事を自分でも分かった。
気まずい空気を破るように、もう1人やってきた。
「主役は遅れてやってくる、正義の味方、奥野一でございます」と明るい口調で話し、何事もなく、席についた。いかにも怪しい男だ。
訝しむ私を見て奥野は「由里ちゃんの葬儀に参列してましたよ。こんなイケメン見落とすなんて、見る目ないなぁ。」
宮部は「お前なー、女の子口説いてるんじゃないんだからな」と笑いながら奥野に突っ込みを入れた。
奥野は「由里ちゃんの旦那さんと一緒に酒を飲め日が来るなんて。ここに由里ちゃんがいたら4角関係ですね」と笑い
「由里ちゃんのことなら何でも聞いてください、ずっと片思いしてましたから、お陰で今でも独身」と大きな声で笑った。
宮部は「今でもじゃなくて、今は独身だろ。こんなですが、こいつ弁護士なんですよ」
驚いた様子の私に奥野は「見えないでしょー、弁護士には。よく言われるんです」と笑いながら言い、
「弁護士らしく見えるようにしようと思ったときもあったんですが、亡くなった妻に弁護士らしくない弁護士がいてもいい。自分らしくいて欲しいと言われてね」
私は驚きを隠せなかった。
「だから由里ちゃんも、あなたらしく生きて欲しいと思ってると思いますよ。」
と言われ、その言葉に目頭が熱くなった。
「今夜は、由里ちゃんの思い出話で盛り上がりましょう。献杯ー」とビールを美味しそうに飲む、奥野に私は親近感と好感を覚えた。
そこからは、本当に盛り上がった。
奥野と宮部と妻は、同じ塾の講師のアルバイト仲間だったそうだ。学生時代はよく3人で飲みにいったり、山や海にも遊びにいったそうだ。
奥野は底抜けに明るく、なんでも笑い話にしてしまう。宮部は笑いながら楽しそうに突っ込みを入れていた。
そんな2人のやり取りを笑いながら聞いている妻の姿が目に浮かんだ。
私も負けじと、妻との思い出話や、学生時代の話をした。
奥野の妻は、5年前に乳ガンで亡くなったそうだ。 「由里ちゃんみたいに優しくなかったから、ケンカばかりでしたけど、俺を支えてくれた良い女でした」と少し寂しそうに笑ったりもして見せた。
奥野はお調子者に見えるが、実は誠実でいいやつだと思った。
そして、なぜ宮部がこの場に奥野を呼んだのか分かった。恐らく、宮部の優しさからだろう。懐の深い男だと感じた。妻が惚れていたのも納得がいった。
それから、奥野の誘いで3人でカラオケに行った。
奥野は1浪してるから、私より3つ上、宮部は妻と同じ年だ。
世代が近かったのもあって、高校や大学時代に流行った曲を誰の番は関係なく、3人で熱唱した。
久しぶりに私はたくさん笑った。笑い疲れるなんてどれぐらいぶりだろう。
1人逆方向の宮部を見送り、帰りのタクシーの中で、奥野は真面目なトーンになり「何かと大変だとお察しします、私にできる事があったら、いつでもご連絡ください」と名刺を渡してきた。
奥野の優しさが滲み涙が出そうになりながら「ありがとうございます」とだけ伝えた。
降りる間際には、明るい奥野に戻り、「今日は楽しかったです、また行きましょう」とマイクを持つそぶりをしてみせた。
家に帰ると、向き合わなければならない、向き合いたくない現実に押し潰されそうになったが、
今日は、今日くらいは何も考えずに眠りにつきたいと思い、着ていた服を脱ぎパン一でベッドに潜りこんだ。
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