第37話助けて欲しい



 水のナイフで、ディアナは自らの胸を突いた。


 倒れたディアナと流れ出る血に、パーティー会場は一気に恐慌状態になった。女子生徒の悲鳴が響き、何か起こっているのか分からない者からパニックに陥ってしまう。人間は、なにが起こっているのか分からないことが一番怖い。


「動くな!!」


 混乱する場を律するかのように、クリスの声が響いた。クリスの目に巻かれた布をほどき、瞳をさらしている。物心ついてから初めて見るかもしれないクリスの目は、虹色の虹彩を称えていた。


「お前たちに問う。ウィスタ王子に危害を加えようとするものはいるか!」


 クリスの目は、嘘を許さない。クリスの瞳はオーラを見て、その人間の嘘を付いているかどうかを判別できるからだ。


「ディアナ……?」


 クリスの唇から、その名が飛び出てきて俺はどきりとした。


 自分で胸を刺したディアナはぐったりとしていながら、未だにナイフの柄を握っている。そして、ナイフを引き抜こうとしていた。そんなことをすれば、出血多量で死ぬことは分かっているはずなのに。


 俺はディアナを抱きしめながら、彼にナイフを抜かせまいとしていた。温かい血と冷たくなっていく手の対比が、とても怖い。


「ディアナ嬢……。あなたは、ウィスタ王子の命を狙おうとしていたのか?」


 いつの間にか、俺の眼前にはクリスがいた。


 ディアナの命の灯が消えかけているのに、クリスはウィスタ王子の安全を確認する。それがクリスの生き様だと分かっていたが、それでも彼には憎しみが沸いた。


「私は王子を殺さないと……。だって、私はグエン様の足手まといで……。私と一緒に居たら、グエン様は幸せになれない」


 ディアナの言葉に、嘘はないと事を判断したのだろう。クリスは、大きく目を見開いた。


「グエン、退けろ。ディアナ嬢は、ウィスタ王子を害しようとしたようだ。自分で胸をさした理由までは分からないが、ウィスタ王子に仇なすものは許せない」


 俺は、首を横に振っていた。


「殺すな、クリス。ディアナは怨みや嫉みで王子を殺そうとしたわけじゃないんだ。こいつは兄に逆らえなくて、それに俺を巻き込みたくなかっただけなんだ。今は証拠はないし、もしかしたら証拠は見つからないかもしれない」


 ゲームでは、ディアナの兄であるファムズは罰せられずに逃げ延びる。だから、ディアナを操ろうとしていた証拠はすでに握りつぶされているのかもしれない。


「それでも、俺を信じてくれ。……お願いだ」


 俺は、ディアナを抱きしめながら泣いていた。


 クリスは、考えあぐねていたようだった。


 彼のオーラを見る目では、ディアナが嘘をついていない事も俺が嘘をついていない事も分かっていただろう。俺の頼みだから、クリスは迷っていたのだ。俺以外の頼みであれば、クリスはディアナを殺す判断をしていただろう。


「グエンとは長い付き合いだ。オーラを見なくとも、こんなときに嘘をつかない人間だとは知っている。だからこそ、証拠もないような不確かなこと言うとは思えない。僕は、その確信をはっきりさせないと安心はできない」


 さすがは、クリスだ。


 とても鋭い。


 しかし、はたしてクリスは前世の記憶が俺にあるということを信じてくれるだろうか。この世界はゲームという物語のなかで、俺たちは登場人物であるという馬鹿げた話を認めてくれるだろうか。


「クリス……」


 ウィスタ王子の静かな声が響く。


「今はディアナ嬢の命が優先だ。尋問は後にしろ」


 厳しい声で、ウィスタ王子はクリスに命じた。クリスは虹色の虹彩でウィスタ王子を見つめたが、首を横に振る。


「一番重要なのは、ウィスタ王子の安全です。ディアナ嬢が王子に仇をなそうとしたのは間違いないし、それが計られたならば警戒するのは当然のこと。僕の瞳は、こういうときのためにあるのです」


「だが、グエンはディアナ嬢には事情があると言った!!」


 ウィスタ王子の大声が響いた。


「私は、グエンを信じる。彼は嘘を付かないし、クリスと同じぐらいに私のことを考えてくれている。彼が、それでもディアナ嬢のことを庇っているならば……彼女は被害者だ。私は、クリスの瞳を可愛そうな令嬢の命を奪うために使って欲しくはない」


 ウィスタ王子の言葉に、クリスは目を見開いていた。そして、俺の方を見る。


「グエンとディアナに重ねて問う。お前たちはウィスタ王子に害を成す気はないんだな?」


 俺は、血で滑るディアナの手を握った。


 ディアナには、もうナイフの柄を握る力もなかった。


「わたしは……私はグエン様を愛していて。ウィスタ王子にはうらみは……ありません。兄が……兄がわたしを使って、ディアナ王子を暗殺して……」


 ディアナの意識が途切れそうになっている。


 俺は、クリスに噛み付いていた。


「クリス、もう駄目だ!手遅れになる!!お願いだ。ディアナを医者に!医者を呼んでくれ!!この世界の秘密を話すから!!」



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