第36話ハズレヒロインとのダンス



「グエン様」


 この場にいないはずのアナの声がした。


 振り返ってみれば、ドレスアップしたディアナの姿があった。ディアナの瞳と同色の藍色のドレス姿に、俺は唖然とする。


「きれいだ……」


 自然に出てしまった言葉に、ディアナが顔を伏せた。しかし、耳まで赤くなっている。


「いや、そうじゃなくて。いいや、綺麗なのは間違いではないんだけど」


 気配を絶っていたディアナは、俺では見つけられなかった。だというのに、どうしてアナがディアナを連れてこられたのか。


「女子寮に張り込みをして掴まえましたよ。どんな獲物でも寝床には帰ってくるものですから」


 主人の許嫁を獲物扱いするアナは、えっへんと胸を張った。


「部屋にお邪魔させてもらって、クローゼットにドレス一式があるのを確認。御着替えのお手伝いは断られましたが、お化粧と髪を整えることだけは許していただきました」


 押し売りよろしく、ディアナの部屋に入り込むアナの姿が想像できた。


 自分のメイドの強硬手段に、俺は苦笑いするしかない。


 それにしても、今日のディアナは綺麗だ。


 ドレスがディアナに似合っていることはもちろんだし、うっすらとした化粧と複雑に編み込まれた髪が十代のディアナを立派なレディにしていた。サクランボのような唇が艶々していて、視線が吸い寄せられてしまうのが恥ずかしくてたまらない。


「ディアナ様、どうか素直になってください。あなたもグエン様のことを想っているのでしょう」


 アナは、ディアナの手をぎゅっと握った。


「私は、御二人のことを応援しています。だから、幸せになってください」


 アナは、きっちりはっきりとものを言う。


 それは、メイドとしては良い気質とは言えない。メイドは、主人に絶対服従を求められるからだ。しかし、これぐらいに強気でなければディアナを連れてくることなかったであろう。


 ゲームでは共に海外逃亡するほど度胸があるアナは、胸を張れと言葉なくディアナに告げる。


「誰がなんと言おうとも、あなたはグエン様に相応しいです」


 アナの言葉に、ディアナは戸惑うことしか出来ていなかった。


 当たり前だ。


 ディアナはウィスタ王子の暗殺を企んでいて、俺との婚約も暗殺の足掛かりでしかない。なにより、ディアナは正体を偽っている。


 それでも、俺は——。


「幸せにしたい」


 無意識に出てしまった言葉に、今度は俺が赤くなった。不幸にしたくないとは思っていたが、幸せにしたいだなんて言うべきではなかった。


 これではまるで、結婚を誓うようなものではないか。幼い頃に婚約しているから、結婚を誓っているのだが。


「……その、ディアナ。せっかくだから、一緒に踊ってくれないか。ほら。綺麗にしてくれたアナに悪いし。婚約者がいるのに、壁の花になっているのは恥ずかしいだろ」


 俺は、ディアナの手を取った。


 本当は手を差し出して、相手が握り返すのを待つのがマナーだ。


 けれども、そんな簡単なマナーを忘れるぐらいに俺は緊張していた。マナーの授業だったら、確実に赤点を取っていただろう。


「グエン様……」


 演奏されている曲が、速いテンポのものに変わる。若い生徒たちは、待っていまいしたとばかりに自慢のステップをパートナーに見せつけていた。


「ダンスの名手ってわけではないけれども、人並みには踊れるから……。合わせてくれるか?」


 俺は、ディアナの腰に手を添わせる。ディアナが了承の意を告げるかのように、俺の上手くもなければ下手でもないステップに合わせてくれた。


 実家でもダンスを習ったし、学校でも女子生徒を相手にダンスの授業を受けた。けれども、ディアナと踊ったのは初めてのことだ。


 ディアナとのダンスは、驚くほど踊りやすいものだった。


 彼が、俺に合わせてくれているのだ。


 呼吸さえも合わせてくれるせいで、俺のダンスの技術は自分のものとは思えないほどに磨かれたものになる。相手一つで、ここまでダンスのステップが変わるものだとは思えなかった。


「曲が終わらなければいいのに……」


 ディアナは、ぼそりと呟いた。


 「俺も」とは、とても言えなかった。


 曲は、いつかは終わるものだ。


 鳴りやんだ音楽を名残惜しみながら、俺たちの足は止まった。踊る者と観客がいそいそと入れ替わるなかで、その場にディアナと俺だけがとどまっていた。


「イリナから告白された」


 ディアナが、顔を上げた。


 悲しそうな顔をしているくせに、口元だけは笑っていた。ちぐはぐな表情は、自分でも本当の気持ちが分からなくなってしまった人間の顔であった。


「でも、断った。俺は、ディアナを不幸にはしたくない」


 そして、イリナとのことを勘違いしていた。


 彼女のことをゲームのキャラクターと思い込んでいたのが間違いの始まりだった。ディアナとは、同じ間違いを犯したくない。ディアナをゲームのキャラクターだとは思いたくない。


「私は、あなたに不幸になって欲しくない……。グエン様は、私と一緒にいると不幸になります。だから——」


 ディアナの掌に、水が集まった。


 どこに水分があったのかと驚いたが、パーティー会場のあちこちにはドリンクがあった。ディアナは、その水分を掌に集めたのだ。


 ディアナの掌に集まった水は、彼の意思の力で一振りのナイフになった。美しいナイフに見惚れてしまいそうになったが、ディアナの運命を思い出す。


「クリス!ウィスタ王子を守れ!!」


 ディアナが、ウィスタ王子を刺す。


 俺は、そう思っていた。


「グエン様……。どうか、お幸せに」


 ディアナが、刺したのは自らの胸だった。



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