第35話王子の将来



 ファーストダンスの曲は短い。


 ウィスタ王子とクリスとの二人のダンスが終わってしまえば、後は生徒たちの自由だ。


 それぞれが、それぞれの相手にダンスを申し込む。その結果は成功したり、玉砕したり。第三者視点で見ている分には、十分に楽しい人間関係が繰り広げられていた。


 やがて、ウィスタ王子がクリスをエスコートして戻ってくる。


 慣れない事をしたクリスのために、俺は給仕をしていた使用人にドリンクをもらっていた。


 パーティー会場の隅には入学式の時よりのように軽食とドリンクが並んでいるが、美味しい軽食の方に手を伸ばしている者は少ない。


 俺のようにドリンクをもらっている者がほとんどで、彼らはこれからのダンスの供えているのだろう。運動の前の水分補給は大事だし、運動の後の水分補給も大事だ。



 ということで、俺はクリスにドリンクを手渡した。


 美しい色合いの果汁を水で薄めた飲み物——つまりはジュースをちびちびと飲みながら、クリスは息を吐く。


 ウィスタ王子は、本来ならば令嬢からの誘いがひっきりなしになっていただろう。しかし、いつも何よりもクリスのエスコートが優先されるから誰もがウィスタ王子を誘いにはこなかった。


 クリスは、生徒たちの動向に耳を傾けていた。彼らがウィスタ王子よりも自らのダンス相手を探すことに夢中であることを確認できたことで、クリスは安堵したようだ。


 学生時代の気まぐれとは言え、ウィスタ王子の醜聞が流れるのは許せないらしい。その元が自分ならば、なおさらに。


「ウィスタ王子は、醜聞だとは思わないと思うけどな……」


 小さな声で呟いたのに、クリスにはしっかり聞こえていた。


「そうだから困っているんです」


 はぁ、とクリスは大きなため息をつく。


 一方で、ウィスタ王子はご機嫌だ。クリスのエスコートが終わったこともあり、勇気ある令嬢たちがダンスに誘ってくるがウィスタ王子は全て断っている。


 クリスと躍ったのならばと男子生徒もアタックをかけてくるが、女子生徒よりもぞんざいに断られていた。


「僕を娶るとかいい加減なことは……もう言わないでください。ダンスに誘われるのもまっぴら御免ですから」


 クリスは、これからはダンスに誘うなときっぱりと断った。それは、自分に好意を向けるなと言うのと同異義語だ。


「ウィスタ王子には、しかるべき時期にしかるべき姫を迎えてもらいます。ウィスタ王子の足りない部分を補ってくれる女性が望ましいですね。賢くて思慮深く、そしてウィスタ王子の絶対の味方になってくれるような相手です」


 クリスは、うっとりと将来のウィスタ王子の相手を想像している。彼は気づいていないが、客観的に見ればウィスタ相手の理想の婚約者像はクリスと一致している。


 耳で聞いているだけだというのに、クリスの成績は俺たちのなかでは一番良い。武術は習ってないからからきしだろうが、それを補ってあまりある特殊な魔法の持ち主だ。そして、なによりもウィスタ王子に絶対の忠義を誓っている。


「クリス」


 ウィスタ王子は、はっきりとした声でクリスを呼んだ。


「先ほどダンスに誘ったのは、偽りない私の気持ちだ」


 歴史の中では、王が子をなさなかった事例もある。その時は、親族の中から次の王が選出された。もしも、ウィスタ王子がクリスを選んだら、同じような歴史を歩むだろう。


 よくある事だとも言えないが、ものすごく珍しいという事例でもない。しかし、いらない権力闘争を招くのは目に見えていた。


 クリスは、そんなことを望まないだろう。


 だから、ウィスタ王子の話をクリスはすぐに断ると思っていた。しかし、クリスは熟考する。それこそ、五分ほどはたっぷりと考えていた。


 王子の一大決心を聞いたのだから色々と考えたい気持ちも分かるが、本人を前にしてちょっと考える時間が長すぎるような気がする。ウィスタ王子など嫌な予想をしているらしく、冷や汗をかいていた。


「……では、王子。僕を娶るために、三つの条件を出しましょう。一つは、つつがなく王位を継ぐこと。二つ目は、後継者問題を解決すること。三つめは、ユーヤ姉さんとの婚約者の問題を権力を使ってでも解決することです。婚約を解消させても良し。姉さんが幸せだったら、全て良しです」


 三つ目の条件が、私情にまみれている。


 ウィスタ王子は最初こそ目を輝かせたが、やがて無理難題を言われていることに気がついた。王位を継ぐはともかく、後継者問題など今からどうにか出来る問題ではない。


「クリス……。ちょっとそれは、だいぶ無茶というか。私が次世代なのに、さらに次の世代というと父上たちから言えば孫世代というべきで……」


 クリスは、にっこりと笑った。


「東洋では、結納品というものを夫側が支払うそうです。僕の結納品は、それでいいですよ」


 なお、我が国では結納品という風習はない。


「それぐらいの王の資質を見せていただけなければ、ユーヤ姉さんを一人にするという選択はできませんからね。僕が嫁いでしまえば、家はユーヤ姉さんが継ぐことになるのだし」


 クリスの言う通りだ。


 今まではクリスが家を継ぐことになっていたが、ウィスタ王子が彼を娶ると言うのならばユーヤ姉さんの立場も大きく変わる。嫁として他家に行くのではなく、婿養子をもらって家を継ぐことになるのだ。


「たしかに……ユーヤ嬢のことを考えれば、生半可なことではクリスを得られないというわけか。私もユーヤ嬢には幸せになってもらいたい」


 ウィスタ王子は、両手を握りしめた。


「よし、クリスの条件を飲もう!手始めに、婿養子になってくれるような相手を探すぞ。そして、後継者に関しては派閥の力関係を考えながら——……」


 ウィスタ王子は、大真面目に将来の後継者について考え始めた。クリスだけが、ニコニコしている。


「将来の王は、ころころ転がされ続けるんだろうなぁ……」


 ウィスタ王子には聞こえないように、俺はひっそりと呟いた。



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