第22話婚約者との邂逅
「それなりに疲れたな……」
寮の部屋に戻って、俺はベッドにダイブした。スプリングが効いたとまでは言えないが、そこそこは上等なベッドは初めての空間で気疲れした俺を癒やしてくれた。
「お疲れならば、すぐにお湯をお持ちしますね」
メイドのアナが、俺のために忙しく風呂を用意してくれる。風呂は、熱湯と水を運んできて温度を調整するのでかなりの手間だ。
わざわざ準備させるのは申し訳ないが、主人の俺が手伝ったりするわけにもいかない。下手に手伝えば「主人の世話もできない駄目なメイド」というレッテルを貼られるのはアナの方である。
アナは、短く赤毛を整えたメガネっ子だ。新人ながらも優秀なために、俺専属メイドとなって共に学園にやってきた。
そして、彼女が最後のヒロインである。アナのルートは、別名が逃避行ルート。身分差故に結ばれない二人が、外国に逃亡するのだ。
なお、ウィスタ王子が暗殺事件で生き残っていた場合のみ、俺は呼び戻されてアナとの結婚が王子の権限で認められたりする。
「こうしてみるとディアナって……。どうして、こうも報われないんだろうな」
他のヒロインたちとは簡単に幸せになれるのに、ディアナだけが不幸になる。
いや、こんなことを考えてはいけない。決めたではないか。ディアナを不幸にしないために足掻くのだと。
「グエン様……大変です」
持って出ていったバケツも忘れて、アナが部屋に飛び込んできた。
「お湯をもらいに男子寮を出たのですが、そこにディアナ様を名乗る方がいらしゃって……。これをお預かりしました」
アナが持ってきたのは、ジェットでできた髪飾りだった。俺が婚約の際に、ディアナに渡したものだ。
「彼女が泣いていて……それで」
俺は、アナから髪飾り受け取ると上着を着るのも忘れて外に向かった。そして、夕暮れのなかで思い出の黒髪を探す。
「ディアナ、お前なんだろ。分かっているんだ!」
俺は、髪飾りを握りしめる。冷たい石が、俺の体温を受けて温くなっていた。
「どうして、今日は姿を表さなかったんだ。探したんだぞ!」
ディアナは、まだ側にいるはずだ。
そう信じて、俺は叫ぶ。
「ピンクの髪の方……可愛かったですね」
がさり、と音がした。
俺が振り返れば、茂みの中からディアナが現れた。
夜を先取りしたような長い黒髪が風になびき、令嬢あるまじき軽装のワンピースの裾と共に翻った。
その光景に、俺は呆然とする。
美しかったのだ。
俺が見てきた光景なかで一番と言えるほど、この瞬間が美しかった。
「ディアナ……」
ディアナは子供の頃から整った顔をしていたが、俺と離れていた数年の間に美しい一輪の花になっていた。
「ピンクの髪の方は、イリナ様ですよね。あの方と幸せになってください。私のことは忘れて……」
俺は、逃げようとするディアナの手を掴んだ。今ここでディアナを逃したら、
彼女は二度と俺と関わろうとしなくなるだろう。ゲームのシナリオではそのようなことはないが、今のディアナならば姿を消す。そんな確信があったのだ。
「なんで、そんな事を言うんだ。やっと再開できたのに」
ディアナが別荘に隔離されている間に、俺だって自分を鍛えたのだ。少しでも良いから頼って欲しかった。
「兄は……。兄は、恐ろしいことを考えているのです。私の側にいれば、それに巻き込んでしまう」
ディアナが言っているのは、ウィスタ王子の暗殺のことであろう。
「家同士が決めたことであるから、私達の一存では婚約の破棄は出来ません。けれども……私の側にいなければ……何も知らなかったと貫き通せば、王子の覚えもめでたいグエン様なら罪には問われないかもしれない」
ディアナは、俺の手を振り払った。
「さようなら……。どうか、お幸せにお過ごしください」
深く頭を下げたディアナは、その場から走り去ってしまった。残された俺は、渡された髪飾りを見て呟く。
「救われる気さえないのか……」
俺は、何を弱気になっているのだと自分を叱咤する。俺には、ギャルゲーの記憶があるのだ。普通の人間とは違うのである。
だから、俺はディアナを救える。
イリナとも幸せになれるはずだ。
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