第18話正ヒロインとの出会い(失敗)


 十五才になると貴族の師弟は使用人を一人ともなって、全寮制の学園に入学する。ここでは社交界に必要なしきたりを学び、貴族として必要な学問を修めることになるのだ。あくまで表向きは。


 大抵の貴族の子弟は自分の屋敷で基礎的な学問を学んでおり、学園で望まれるのは自立心を育てる事と人脈作りだ。


 研究職や宗教者になりたい人間はまた違った目的で学園に通っていたりするが、大雑把にいうならば学園に通うのは箔付けのためというところだろう。貴族社会において学園を卒業していないことは非常に恥ずかしく、相手に信用されないことも多いのだ。


「ついに、この日がやってきたな」


 たくましくなった体と精神を手に入れても、俺は緊張していた。学園の門を潜れば、何が起こるか分からない。


 ヘビが出るか蛇が出るか。


 しかし、ここで立ち止まってはいられない。俺は、ここでディアナと再開する。そして、運命の相手であるイリナとも出会うのだ。


 イリナと幸せになり、ディアナを救う。


 これこそが、転生者である俺の定め——


「おっはよー。今から入学式なのに表情が固いな」


 ウィスタ王子が、俺の背中を押した。


 俺にとっては特別な意味を持つ、学園の門。


 その門を前かがみになって、俺はくぐった。いや、どちらかと言えば転んだ言った方が正しい。


 人が決心を固めたというのに、ウィスタ王子がいらない横やりを入れてきたせいだ。このまま地面に激突すると思っていたら、俺の耳には悲鳴が聞こえてきた。


「きゃあ!」


 甲高い声と共に感じたのは、弾力がありながらも柔らかい感触。転んだ俺が急いで起き上がれば、俺の下にはピンク色の髪をツインテールにした少女がいた。


 すみれ色の可憐な瞳。


 豊満なバスト。


 ピンク色のツインテール。


 間違いない。


 俺の正ヒロインのイリナだ。


 待ちかねたイリナとの出会いなのに、俺は混乱していた。目の前に理想の女性がいるだけで緊張しているのに、油断していたところでの出会いである。頭が真っ白になっていた。


「なにか、トラブルがあったのか?」


 ウィスタ王子と共に登校していたクリスの声が聞こえてきて、俺は我に返る。俺がイリナを押し倒したような形になっているので、目立ってしまっていた。これは、紳士としても不味い。


 俺は急いで立ち上がって、イリナに手を伸ばした。これで自然に手に触れられるなんては思っていないからな。紳士的な心から、手を伸ばしたに過ぎないからな。


「申し訳ない。怪我はないか?」


 イリナは俺の手を取って、上品に立ち上がる。貴族の俺には見慣れた所作であったが、イリナだからこそ優雅に思えた。まるで物語に出てくる女神のような姿だ。


 彼女が、俺の初恋になる人である。


「はい、大丈夫です。私こそ余所見をしてしまって……」


 悪いのは、絶対的にこちらだというのに謝られてしまった。ゲームの通りだ。イリナは、とても良い子である。


「私は、イリナ・フォンテーヌと申します。普段は田舎の領地にこもっているので、王都には不慣れで……。よかったら、色々と教えていただけませんか?」


 イリナのルートに行くかどうかの最初のチェックポイントだ。ここで友達になれば、イリナと恋人のなる未来が待っている。


 俺は、迷わないはずだった。


 イリナは、前世の憧れの人だ。出会ったことがない初恋の人のはずだった。


 なのに、俺の頭にディアナの幼い顔が浮かぶのだ。


 彼女の父の葬儀の日に見た——泣きそうな顔のディアナの顔が。


「僕の姉が生徒会に入っているので、どうしても困った事があれば頼ってください。僕たちも微力ながら力になりますよ。あと、この馬鹿王子が申し訳ありません」


 俺が迷っている内に、クリスが話を進めていた。白杖代わりの杖で、ウィスタ王子をぽかぽかと叩き続けながら。


 毎回のことだが、クリスはウィスタ王子に遠慮がなさすぎる。今回のことは同情できないけれども。


 いや、それよりも……俺が友達になるイベントをクリスに取られたのではないだろうか。


「ありがとうございます。私は、まだお友達もいなくて……とっても心強いです」


 イリナは大輪の花が咲いたような笑顔を浮かべ、俺たち向かって一礼して去っていく。イリナは可愛かったけれども、俺には気がかりなことが出来てしまった。


「クリス、なんて事をしてくれたんだ!」


 俺は頭を抱えて叫んでいた。


 今のイリナの返答は、どのルートでも見たことがないものだ。おかげで、どんなルートに進んだのかも分からなかった。下手をすれば、クリスと結ばれるイリナを見るという未知のルートになるかもしれない。


「大声を出さなくても聞こえている。婚約者いる身で、他の人間に目移りしていると嫉妬されるぞ」


 いたずらに笑うクリスが恨めしい。


「余所見も何も、グエンはディアナ嬢のために血が滲むような努力を重ねていたのだぞ。今更、グエンが他の女に乗り換えるものか」


 ウィスタ王子は、一応は声をひそめてクリスに耳打ちする。しかし、地の声が大きい彼の言葉は、俺にもしっかり聞こえていた。


「それは、周囲に女がいなかったからだ。学園に入学したら美しい令嬢たちが選り取り見取りだ。目移するかものれない」


 クリスの言葉を真に受けたウィスタ王子が、俺のことを軽蔑した目で見ていた。どうして、起きてもいない事で軽蔑されるのだろうか。今の俺の心配事は、イリナとクリスルートを阻止することだというのに。


「お前、最低だな」


 ウィスタ王子の一言に、俺の堪忍袋の緒が切れた。



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