第15話別れたカフス
教会では故人を偲ぶために、喪服に身を包んだ沢山の人が集まっていた。
気の良いディアナの父親は友人に恵まれたらしく、中年男性の姿が多い。彼らは大黒柱を失った家族に、次々とお悔やみを言いにいく。
「グエン様。お越しいただき、ありがとうございます」
父を亡くしたばかりのディアナは、丁寧な礼をとった。泣くことを我慢しているのだろうディアナの目は死んでいて、俺の哀れさを誘った。
普通だったらディアナの友人も来てもいいのに、そういう少女の影は見えない。兄のファムズが、ディアナをあえて孤立させているのだろう。友人に慰めてもらえないディアナが、可哀そうでならない。
「皆様、本日はお集まりいただき有難うございます」
突然、中年女性の声が響いた。
彼女は教会の祭壇の前に置かれた棺桶を背にして、葬式参加者の全員の視線をさらってしまったのである。
成人女性は葬式の際には黒いベールを被るしきたりだが、それを通しても分かるぐらいに化粧が濃い女性であった。ここまで濃い化粧では、悲しみを表す場の雰囲気を壊しかねないだろう。
「お母さま……」
ディアナは、小さく呟いた。
「我が夫オルマンの葬式にお越しいただき有難うございます」
ディアナの母親だという中年女性は、きっぱりとした態度でそう言った。悲しみに耐えているというより、事務的な挨拶をしているような態度である。
「今後、我がユーゼス家の当主はフィムズとなります。息子は若輩者ですので、お引き立てのほどをお願いします」
ディアナの母親は、かつかつとヒールの足音を鳴らして去って行った。
葬式に訪れた人々は、突然の発表にポカンとしている。俺もどうすればいいのか分からなくて、視線だけで自分の父親を捜してしまっていた。
次の当主の発表は、普通ならば故人の埋葬が終了してから行われる。それも、日を改めて新当主の披露のためのパーティーで行われるのが普通だ。
だが、ユーゼス家の当主の発表は葬儀の場で行われて、すぐに終わってしまった。これでは、新当主の威厳も故人への鎮魂もない。
「なんだったんだよ……あれ」
気がついたら、ディアナの姿はなかった。
どこに行ったのだと思ったら、自分の母親の元に駆け寄っていた。母親に何かを訴えているようである。大方、先ほどの発表の仕方に対する抗議であろう。次期当主はディアナの義兄に内定していたはずだが、発表の仕方があまりに悪すぎた。
「どうやら、夫人はお疲れのようだな」
俺を見つけてくれた父が、そのように語った。
ディアナの母の場違いの発表にも関わらず、俺の父はさすがに落ち着いていた。それでもディアナの母親に対しては、眉をひそめている。
そういえば、俺たちがディアナの母親を見たのはこれが初めてだ。ディアナとの婚約のときも彼女は姿を現さなかった。
こちらが片親だから気を遣われたのかとも思っていたが、あの様子だと違った理由があってもおかしくはなさそうだ。精神的な問題を抱えているのかもしれない。あるいは、そのようになったのは夫の死が原因であるのか。
「あっ、ディアナが……」
彼女の母親は、ディアナを無言で押しのけた。それによってディアナは転んでしまったが、母親は娘を助けようともしない。
それを見ていた父は、俺に耳打ちをする。
「……ディアナと一緒に外にいなさい」
父は、ディアナの母と話をするつもりなのだろう。さきほどの当主発表のことやディアナをぞんざいに扱う態度。それらのことについて、話し合うつもりなのだ。
「父上、お願いがあります。もし……ディアナが実家で苦しい思いをしているならば、家で引き取ることはできませんか?」
無理なことは分かっていた。
婚約者同士と言え、未婚の男女が同じ屋根の下で暮らすなど俺の父もディアナの兄も許さないであろう。それでも、俺はディアナの境遇を考えれば放っては置けなかったのである。
「それは無理だが、彼女に心を砕くようには言っておこう」
俺は、そう言ってくれた父を見送った。
そして、母親に拒絶されてしまったディアナの方に向かう。母に拒絶された娘のことは、見ていた人間が大勢いた。
けれども、話しかけることが出来ずに全員が彼女を遠巻きに見ているだけだ。この場で、ディアナが孤立してしまっているようで可哀そうだった。
「ディアナ、こっちへ」
俺は、ディアナの小さな手を引っ張って外に出た。教会の外は風が冷たい。薄着のディアナは寒いだろうと思って、俺は彼女に自分の上着をかけた。
さっき気がついたのだが、ディアナの格好は寒そうだ。普通だったら冬用の喪服を着るべき季節なのに、ディアナは春用の喪服に身を包んでいた。長袖ではあるが生地が薄く、これでは室内であっても石作りの教会では冷えただろう。
ディアナの細い肩が俺の上着で隠れて、彼女は少しばかりほっと息を吐く。
貴族の娘だから身の回りの世話はきちんとされていると思ったのに、俺の予想は甘かった。ディアナは、完全に屋敷の中で孤立してしまっていたようだ。父親は死んでしまったし、母親があの様子ならば庇ってもらえなかったであろう。
「ありがとうございます。あの……さっきは、驚かせてすみません。お母様は前から優秀な兄が家を継ぐことを期待していて、先を急いでしまったのだと思います」
ディアナは、貴族社会では恥とも言える母の行動を詫びる。その姿は、悲しいほどに大人びていた。
「母は、我が家よりも親族が決めたことを優先しているだけなんです。それで……親族のなかでも評価が低い父を夫にしたことを普段から嘆いていて」
死んでくれて清々した、とばかりの態度の理由が分かった。夫の葬式が台無しにしたことは、ディアナの母が心から望んでやったことなのだろう。ディアナの言う通り、一刻も早く一族が決めた後継者を発表したいという気持ちもあったのだろうが。
「ディアナ……どうか気を落とさないでくれ」
こんな言葉に意味はない。
ディアナにとって、家族のなかで父だけが味方だったのだ。
「これから、グエン様とは……あまり会えなくなると思います。兄が、私を再教育すると言って別荘に閉じ込めると言っていますから」
今にも泣き出しそうになっているディアナを見て、俺は強い後悔に襲われた。ゲームのなかのディアナは、なにがあっても泣いたり笑ったりはしない無表情キャラだった。しかし、目の前のディアナは生きている。
生きて、傷ついて、それでも真っ直ぐに立っている。
今までの俺は、ディアナの父のことも彼女のことも物語登場人物の一人だとしか思っていなかった。自分が正ヒロインのイリナと幸せになるための通過地点でしかないと思っていた。
しかし、本当は違うのだ。
ディアナだって生きているのだ。ユーヤ姉さんやクリス、ウィスタ王子のように大事な人だっていた。そして、事情も抱えている。
俺は、無意識にディアナを抱きしめていた。
その時になって、俺は彼女がプレゼントの髪飾りを身に着けていないことに気がついた。俺の心が自分に向いていないと知っているから、ディアナは婚約の贈り物を身に着けてこなかったのだろうか。俺は、とても不誠実な自分を恥じた。
けれども、初恋の相手となるはずのイリナのことをあきらめられるはずもない。だからこそ、ディアナを不幸にだけはしないことを誓った。
王子を暗殺が成功しても失敗しても、ディアナを待つ運命は破滅である。ならば、その破滅の運命を迎えさせないように、俺は彼女を守ることを心に決めたのである。
「ディアナ、君を悲しませたくない。今更になって気がつくなんて、俺は馬鹿だ」
これは恋愛感情ではない。
俺の我儘で、ディアナを不幸にしたくはないだけだ。
「グエン様……。私は、そのようにグエン様に思われるだけで幸せです。別荘に行っても、それは変わりません」
ディアナは、察しているのだ。
別荘に行ったら、兄のフィムズによって逃げる事が許されなくなると。そして、自分は兄が思い描くような人形になるための教育を受けるのだと。
俺達は、子供だ。
前世の記憶があっても、社会のなかで気ままに生きていくことは出来ない。保護者の庇護のもとでしか、生きてはいられないのである。
「そうだ。お守り代わりに、これを持っていってくれ」
俺は、自分が付けていた銀のカフスを外した。
「カフスは二つ揃わないと使えない。だから、片方を君に。再開するまで、持っていてくれ」
お気に入りなんだとうそぶけば、ディアナは少しだけ笑う。どんよりと曇った空の隙間から、わずかに日が差し込んだような笑顔だった。
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