第9話クリスの誘拐



 今までの人生のなかで、俺は何をやってきたのだろうか。屋敷に帰った俺は、日記を眺めてため息をついた。


 俺にとってのディアナは、自分を殺す相手でしかなかった。正ヒロインとのイリナとの幸せを妨害する相手で、なんとか関係を切らなければならないとすら考えていたのだ。


「ディアナは、普通の女の子だったじゃないか。兄に虐げられて、守られることもなくて……」


 ゲーム開始時には、フィムズは当主になっていた。ということは、ディアナの父は本編開始前に亡くなるということだ。ディアナの味方は、近い内にいなくなってしまう。


「俺は、今までちゃんとディアナのことを考えていなかったんだ。可哀想な子だって分かっていたのに……」


 所詮は、前世の知識でディアナのことを知っていただけ。分かっていたと思っていただけ。本物のディアナのことを知らなかった。


「このまま放っておけるか!」


 俺は、拳を握りしめる。


 ディアナの婚約者でいれば、身の破滅だ。だから、学園入学後には速やかに他のヒロインと仲良くなる必要がある。けれども、その前ならばディアナと関わっても殺されないはずだ。


「学園入学までは、ディアナと出来るだけ関わる。ディアナを保護してもらえるような手を探して、あの暴力兄から引き離すんだ!」


 他人の家の事に口を出すのは難しいが、フィムズが養子であることを突けば何かしらの抜け道だってあるかもしれない。


 上手く行けばディアナも幸せになるし、俺も心置きなくイリナと幸せになれるというものだ。


「グエン様!グエン様、大変です!!」


 執事が、ノックもなしに俺の部屋に入ってくる。強盗が屋敷に入ってきたかの慌てぶりに、俺は目を丸くした。


「どうしたんだ?」


 いつも冷静な執事らしくないなと思ったら、次の瞬間に執事の姿が消えた。彼の後ろに居た人物が、執事を押し退けたのだ。


「力を貸せ。クリスが誘拐された!!」


 現れたのは、阿呆王子ことウィスタ王子だった。茶色の髪を振り乱し、ぎゃあぎゃあと叫んでいる。王子が館に乗り込んできたから、執事は取り乱していたのだろう。ウィスタ王子に慣れている俺と違って、俺の館の執事には生憎のところ免疫がない。


「ウィスタ王子、落ち着いて下さい。とりあえず、お茶でもどうですか?」


 そんな暇はあるか、と俺は怒鳴られた。


 理不尽だ。


「いいか、クリスがさらわれたんだ。これは国家的な危機だぞ。なぜ、そんなに落ち着いていられるんだ!」


 その国家危機に関しては、思うことが沢山あるのだ。


「ウィスタ王子様、クリスは国にとって有益な人物です。この事件は大人が……王が動いているのではないですか?神眼のことが周囲には知られないように、事は密裏に進められているはずです」


 考えれば考えるほどに、俺達が騒いだら迷惑になる事件だ。なのに、ウィスタ王子は話を理解していないらしい。


「ハトコの危機だぞ!もっと慌てろ!!」と騒いでいる。


 クリス救出作戦は、きっと大人たちによって秘密裏に行われているだろう。なのに、ウィスタ王子が騒ぐせいで屋敷のメイドが集まってきていた。


 秘密とは、一体なんなのだろうか。


 俺は遠い目をして、虚空を見つめていた。


「私は、これからクリスを救出するつもりだ。お前も来るがいい!」


 クリスがさらわれたことについては、手がかりなにもない状況下だ。これで、どこに行けというのだろうか。名探偵だってお手上げの時間だろう。


「王子、本当に落ち着いてください。クリスは、王に任せれば無事に帰ってきますから」


 クリスは、ゲーム本編に登場するキャラクターだ。


 つまり、何があっても今は無事ということだ。


 そもそもクリスの誘拐については、かねてから懸念されていたことだった。


 人の噂に戸口は立てられないし、神眼については何処かしらで情報が漏れると考えられていた。そのため、クリスに何かがあったのか時の対応策は十分に考えられていたはずである。


 子どもの俺達が動くのは、正直に言って邪魔だ。


 なの、ウィスタ王子はちっとも分かってくれない。クリスの誘拐騒ぎで大人は忙しいのだろうが、ウィスタ王子にも見張りをつけて欲しい。それができないならば、縛っておくべきだ。


「でも、心配だろう!あいつは、私の唯一の友なのだ!!」


 ならば、頼ってきた俺はなんだというのだろうか。


 別に友人だと言って欲しくもないが、俺の眼の前で他人を「唯一の友」と言うのはウィスタ王子の人心掌握が下手さを表しているのであろう。これは、未来の王として致命的ではないだろうか。


「あいつは、私を王族とは思えないほど馬鹿にする。それが……同等の関係になったようで嬉しくて。……お願いだ。力を貸してくれ!」


 生まれてからずっと崇められてきた王族のウィスタ王子にとって、クリスは何者にも代えがたい人間であったのだろう。クリスの態度は非礼極まりないが、それがウィスタ王子には嬉しかったのだ。


「私の名前を呼ばせるまで、私はあいつを死なせるわけにはいかない。お願いだ……。こんな事は、クリスの目のことを知っているお前ぐらいにしか頼めない」


 クリスの目が無事であることを知っているのは、かなり人数が限られている。身近な人間で言えば、クリスの家族とユーヤ姉さんと婚約していた俺ぐらいだろうか。


「分かりました。そこまで言うならば、俺も手伝います。ただし、俺の指示に従ってもらいますからね」



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