第7話最悪の義兄



 親を部屋に残して、俺とディアナは庭を探索していた。


 庭は狭いながらに小さな花を中心に植えられていて、家の内装と同じく可愛らしい雰囲気だ。


 荘厳な庭も見ごたえがあるが、このような可愛い庭の方が見ていて安心する。前世の庶民感覚が、そのように思わせているのかもしれない。


 興味深く庭を見ていれば、隣を歩くディアナは口を開く。


「私は、小さくて可愛いものが好きで……。父の許しを得て、庭は私が管理しているんです。そのせいで、グエン様にはつまらない庭になってしまっていると思いますが」


 ディアナの言葉に、俺は心の底から驚いた。


 ディアナが花に興味があるだなんて、ノートに記した記録になかにもない情報だ。そしてなにより、幼い少女が庭を完璧に管理するなんて難しいはずである。


 ディアナは、俺と同い年だ。ウィスタ王子のように騷いでいても仕方ないで許されてしまう年齢だと言うのに、とてもしっかりしていた。クリスを思い出してしまう。


「もしかして、屋敷の内装も?」


 庭と似た雰囲気の家のインテリアには、同一人物が関わった気配がしていた。俺の予想通り、ディアナは頷く。


「はい。庭は庭師に指示を出しながら、屋敷の内装は使用人と共にですが……。兄には、それしか脳がないと言われてしまっているんですけど」


 ディアナは、恥ずかしそうに頬を染めた。褒められて照れる様子は、年相応で可愛らしい。


 無論、異性としての感情ではない。微笑ましいという意味での可愛いだ。


「いや、すごいって。おれの屋敷は女主人公がいないから、そういうのはメイドたちに全部任せているし」


 家の切り盛りは女主人公の仕事だが、俺の母親は亡くなっている。そのため、館の内装はメイドに任せっきりだ。そのせいもあって、高価な調度品が並べられてもどこか無機質な印象を受ける。


 いかにもインテリアの見本帳を参考にしましたという内装なのだ。だから、柔らかい印象のディアナのセンスの屋敷は、少し羨ましかったりする。


「先程のプレゼントの髪飾り……。花の意匠でしたよね。それが、私は嬉しかったんです。私は、花が好きだから」


 ディアナの告白に、俺は唖然とした。


 花の模様なんてアクセサリーでは、ありふれている意匠だ。けれども、それをディアナは嬉しいと言った。


 良心が、とても痛む。


 将来のディアナは、とんでもない人間になるのかもしれない。けれども、今のディアナは普通の女の子だ。いや、普通よりも気弱な性格だった。


 それでも、初対面の俺と仲良くしようとしてくれている。彼女なりに、未来の夫と良い関係を築きたいと思っているのだろう。


 そんな彼女に嫌われようとしているなんて、端から見れば俺は滑稽だ。そして、ものすごい罪悪感に襲われる。


「おや、我が愚昧と婚約者様じゃないか」


 少年の声が聞こえてきた。


 現れたのは、ディアナと同じ黒髪の青年だ。蛇のような冷たい雰囲気を感じたせいなのだろうか。ディアナの身体が、緊張で強張る気配がした。


「始めまして、グエン様。私はフィムズ・ユーゼスと申します。そこの愚妹の兄をしています」


 俺の身分が高いからだろう。フィムズは、丁寧な礼をとった。それにすら嫌な印象しか受けないのは、俺の前世の記憶のせいである。


「わざわざ御挨拶をありがとうございます……」


 フィムズには、本当に嫌な印象しかない。


 ゲームではディアナを操っていた黒幕でありながら、ややこしい政治的な問題が出現して彼を捕まえることはできない。


 それは、どんなルートでも同じだ。


 俺達と歳が離れたフィムズは、本編では学園の生徒ではないので登場回数こそ少ない。だが、嫌な記憶しかないキャラクターなのである。プレイしていない番外編では知らないが。


「プレイをしていない……?」


 俺が引き継いだのは、朧気な前世の記憶だ。そのため、思い出せない記憶というのも多い。ゲームの番外編という知識も、今になって突然湧いて出た。


 前世の俺は、ゲームの大ファンだったはずだ。


 だというのに、番外編のシリーズはプレイをしなかったのだろうか。それとも、プレイした記憶を俺が覚えていないのか。


 ともかく、ファムズは嫌な男だ。ディアナを殺人鬼に仕立て上げた鬼畜な男は、ゲームのキャラクターであっても拒否感を覚える人物だった。彼が現実にいると思えば、嫌悪感すら覚える。


 しかし、感情を顔に出すわけにはいかない。今はあくまで、将来の義兄だと思って対応しなければならないのだ。


「妹は、どうにもデキが悪くて。まぁ、ご心配なく。グエン様にお渡しするまでには、しっかりと従順に仕上げて起きますので」


 フィムズの言葉に、俺はゲーム内での感情を殺したディアナのことを思い出す。暗殺の道具となって、王子を殺すためだけにディアナは生きていた。それ以外の生きる道など知らず、笑うこともせずに息をしているだけの存在だった。


 義兄のファムズに暗殺者に仕立て上げられ、暗殺が失敗しても成功しても最終的には命を落とすディアナのというキャラクター。


 彼女は、ゲーム開始当初から自分の運命を自覚していたのかもしれない。だからこそ無気力でいたのだろう。


 ゲーム内の最大の被害者と言えるのに、バットエンドばかりだと言って俺はディアナを嫌っていた。ゲームをプレイしていた俺は、ディアナのことを何一つ理解していなかったのかもしれない。


 ディアナがたどる運命は、子供一人が変えられるようなものではない。洗脳されていたディアナは、誰かに助けを求めることすら出来なかった。


「グエン様も、自分に従うような女が好きでしょう。いいや、淑女というものはそうでなければならない」


 フィムズは懐に手を入れて、小さな鞭を取り出す。


「ディアナ、手を出せ」


 兄の命令に従って、ディアナは両手を出す。ディアナの身体が小刻みに震えて、顔は恐怖で引きつっていた。


「なにかご期待に添えないようなことがあれば、このように躾けてください」


 フィムズはディアナの掌に向かって、強い力で鞭を振るった。ぱちん、と破裂音にも似た大きな音が響く。兄に手を打たれたディアナは、傷みに耐えるために唇を噛み締めていた。


「このようにすれば、何でも言うことを聞くように躾ました」


 素晴らしいでしょうとでも言いたげなフィムズの言葉に、俺は腹の底から怒りを感じた。


 ディアナの掌は、鞭の形で赤く腫れあがっている。しかも、よく見れば細かな傷だらけだ。鞭が日常的に行われているという証拠であった。


「妹に、なにをやっているんだ!お前の父親に言いつけるぞ!!」


 娘に愛情を持っているディアナの父ならば、フィムズの行いを許さないはずだ。


 しかし、フィムズは父を恐れたりはしなかった。それどころか不敵に笑うのだ。


「実は、私は養子なんです。あの無能な当主は、私の実家の言いなり。妹の教育だって、私に一任されているんですよ。立派な令嬢にするために」


 ディアナの父親は、彼女を守れるほど有能ではないらしい。そして、親族たちはディアナを有力貴族に嫁がせることしか考えていない。それによって、自分立場を押し上げようとしているのだ。


 貴族社会において、政略結婚は当たり前だ。


 多くの礼儀作法を求められるが故に、幼少期の厳しい躾も多い。けれども、何もやっていないのに暴力をふるったら虐待だ。


「それに、グエン様は私に感謝しますよ。女というのは、愚かなものです。ものを見る目もなければ、考える頭もない。毒婦が、家や一族を滅ぼしたのはよくある話です」


 フィムズは、自分のやったことは正しいとばかり語った。彼は、自分に従うお人形を作りたいだけだ。妹の将来など考えていない。


 ゲームのせいで嫌な印象しかなかったファムズだが、彼を現実でも嫌いになる。この兄から、ディアナを少しでも守らなければならないと思った。


「お喜び下さい。我が妹は、一人前の淑女にしてからお渡しするので」


 そう言って去っていくフィムズに、俺は何も言えなかった。


 ディアナへの扱いが躾だと言われてしまえば、婚約者の俺であっても口出しは出来ない。子供の養育は家の責任であり、他者が口を出すことは非常識とされるからだ。それでも、フィムズのことは許せない。


「見苦しいところをお見せしました。義兄は、私を……女性を憎んでいるのです」


 ディアナは、赤くなった両手をさり気なく隠した。


「兄の母は、実家の財産を持って愛人と逃げたらしくて……。それ以来……女性を愚かなものと考えるようになってしまったようで……」


 ディアナは、笑いながら泣いていた。


 家族から振るわれる暴力は辛いが、俺に失態を見せまいとしている。涙は、淑女に似合わないからだ。

 

 俺は、ディアナの涙を自分のハンカチで拭く。ディアナは驚いていたが、俺は彼女のことを慰めることも出来なかった。この可哀そうな女の子を守ってあげたいのに、俺には力がなかった。それが、とてもなさけない。


「ごめん……。何も出来なくて」



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