第12話 天使 ラー・ハーム(1)

 ユリ:「ボクの友達は、天使さ! たった1人の友達なんだ!!」


 少年は、目を輝かせて、そう言った。そこには、少年の天使に対する絶対的な信頼が見て取れた。ユリは自分の回想に皆んなを導いていく。


 ユリ:「あの頃は、まだボクには自分の体があった・・・。ボクは、お母様の言いつけでお母様のママ友達のシャロ様に新作の美顔クリームを届けることになったんだ・・・」


 そう話し始めた少年の話に、皆んな、聞き入った。場所はアーディアの天界上層、ヴァルハラ城の特別宮殿ニーベルング。『理想の中の理想』と称えられた王女エリアーデの座所だ。エリアーデを見る者は、まず、その美しさに目を奪われる。次に、その出で立ちは清楚にして可憐、そして、高貴。全てを兼ね備えたものだった。1度会話をして、その善に触れた物は、その心を蕩(とろ)かされると言われた。エリアーデは、文武両道であり、武術の道も確かだった。華麗な剣捌きは並の男など寄せ付けず、連勝に連勝を重ねた。連戦連勝は、いつの間にか、彼女を将軍の地位に就けていた。軍議においても、その才能は遺憾なく発揮され、彼女の作戦を取った作戦は多くの戦功を立てた。世の人々は、エリアーデを礼賛し、"善美賢巧(ぜんびけんこう)、全てを修めるはエリアーデ也(なり)と言い合った。


 或る時、天蓋神オルは、言った。


   オル:「好(よ)し」と。


 オルに、ただ1人、好しと、言われた人物である。これを以て、『勝利』の女神フィテは、祝福の接吻を施し、『情報』のフォルカスは、『宇宙の情報』を伝えたと言われている。エリアーデの一族は全てエリで始まる名前で始まっているのだか、エリの名前で使うのはエリアーデが多いこと、名前の全てを呼び捨てるのは敬意が感じられないなどの要件が重なり、エリアーデは、エリと呼ばれるのが通例となった。エリは今、自身が開発中の新しい美容液の最終段階に到達していた・・・。


 エリ:「これで完成するはず・・・」


 宮殿の地下の 1階が科学者・化学者・技術者の1面を持つエリアーデの実験室・作業場になっていた。エリアーデ、いや、エリは、親友のシャロが自身の老化を気にするようになったので、老いのカナンが嫌う成分と若さのフェアリ達の好む成分をベストバランスで配合した新しい美容液の最終チェックに余念がなかった。配合は微妙な物で老化は、それ自身は悪い物では無く、相手の敬意を呼び覚ます物だから。若さは、美しさには直結したが、幼さにも繋がり、そこには多くの侮りと誤解漏潜んでいた。幾人もの同業者が、それに挑戦し敗れて行った。エリは若かった。だが、それは自らが実験台となり、効果を確認していたからだった。それが今完成しようとしていた。エリは、自分の肌にそれを塗布して使い心地を確認する。爽やかなフローラル匂(しゅう)が薫(かお)る。


 エリ:「しっとりとした質感。それでいてベタ付かず、すべさらツヤ。完成よ! これぞ、ベストマッチ!! パピー、この試作品を 小瓶に詰めて頂戴。シャロに渡すことになっているの。学会には学会には私が持って行く。貴方も同行しなさい。シャロの肌荒れに効くと良いのだけれど。それは報告待ちね。そちらはユリに持たせて、お使いをさせましょう。もう大きくなったのだから、お使いを学ばせたい。マピィに監督させましょう。マピィ! こちらへ。手伝いをしては駄目ですよ。貴方の任務は、監視です。緊急事態のみ、手伝いなさい」


 エリは、手早く指示を済ますと、学会への身支度へと動く。


 パピーは、エリが学会への身支度に取り掛かっている時間を捉えて、ユリを探して動き出す。パピーは、マピィは何も告げない。言わずとも目線だけで会話が出来るからだ。マピィは、ユリの外出に備え、屋上に陣取る。対象の監視にはベストの位置だからだ。当然、高さについても考慮済み。この程度の高さなら無いも同じだった。マピィは、ユリの動き出すのを待つ。パピーは、ユリを難なく見つけた。エリに言われた心得の暗記に、取り掛かっていたのだ。


 ユリ:「エリ様は、恭(うやうや)しく、おっしゃられました。皆の権利は、平等であるべきだと。エリ様は、恭しく、おっしゃられました。義務は、果たされるべきだと。エリ様は、恭しく、おっしゃられました。犠牲は、幸福には似つかわしく無いと。エリ様は、恭しく、おっししゃられました。善行をほどこしまそょうと。エリ様は、恭しく、おっしゃられました。美しさを保ちましょうと」


 ユリは、時々詰まりながらも正確に文言を読んで行く。ユリの元気な声が聞こえたので、パピーには居場所の当てを付けるのは容易だった。しかし、それを盲信した訳では無い。レコーダーによるギミックでの偽りの存在証明。ユリがその気に成れば、それをやるのは知っていた。それをやるのか、やらないのかは、ユリの興味を惹く好奇心の蝶がユリの席の横の窓の外を、飛ぶか飛ば無いかに掛かっていた。パピーは、安心した。今回は、蝶は飛ばなかった様だからた。ゆっくりと引き戸を開け、教室に入ると、パピーに気がついたユリが、パピーに話し掛けてきた。


 ユリ:「あ、パピー。どうしたの? おやつでも、くれるの?」


 食い意地の張った様子を装ったユリが、茶化し加減に、おやつの催促をしてきた。


 パピー:「おかしはございませんが、坊ちゃんには、こちらを」


 そう言って、パピーは植物模様の色紙に丁寧に包まれた品物を取り出した。


 パピー:「化粧品でございます」


 ユリ:「化粧品なんて、いらないよー」


 ユリが、ぶーを垂れる。あからさまに落胆が見て取れる。


 パピー:「坊ちゃんには、お言葉付けがございまして、お使いをせよとのことであります。こちらの化粧品をシャロ様にお渡し下さいとのことです」

 ユリ:「えー!? ボクが行くのー? パピーが行って来てよー」

 パピー:「いいえ、わたくしは、こらから奥様に同伴し、化学学会への出向かねばなりません。どうされましたか? いつもはお外に出てみたいとおっしゃって、おられただはなおですか?」  

 ユリ:「パピーのいじわるー。だって、ボクはお外に出たこと無いんだよ? お外に出るのて怖いじゃん。なんか出る時って、せきゅりてぃちぇっくていうのがあるんでしょ? ボクは、ゴチャゴチャしたのが嫌いなんだよね。じゃあ、マピィは〜?」

 パピー:「妹は、別の仕事がございます」

 ユリ:「それって、重要な死後なの〜?」


 駄々を捏ねるユリの所へ、身支度を終えたエリが現れ、パピーの助けに入る。


 エリ:「ユリ、そんなことで、どうするのです。貴方はウルクの名を頂いて居るのですよ。他人の上に立つことが約束されているのです。地位は飾りでは無い。己が楽をする為に地位があるのではありません。皆を楽にさせる為にあるのです自らに尽くすな。他人に尽くすのです」


 そう言って、ユリの目をじっと見つめた。見つめられたユリは、やがて観念したように、コクリと頷いた。


 エリ:「これをシャロに届けてね。新作の化粧品よ。出来たのよ、ついに。使用期限は、3ヶ月。冷蔵庫に入れて保管して下さいと。これは貴方の外出用ID。南口の門番に忘れずに、お見せなさい。IDチェックで外出時間、帰宅時間が記録される。出る時も変える時も、ID が無ければ宮殿への出入りは、出来ませんよ。それから門番が用事の内容を聞いてくるから、シャロへの化粧品の配達だと伝えなさい。それとこれが央庁許可状。これも無ければ駄目なのよ。出ても良いですよ〜って、上の人の命令書だから。これが有るのと無いのでは、天と地の差なのよ。そんな天と地の差なのは、まだ知る必要は無いけれど、そんなことあったなー、程度には覚えて置いてね。許可状を見せたら、軽い身体検査があるはずです。変(へん)に抗(あらが)ったりしては駄目よ。話が難しくなるから。何もしないこと。この緊張を勉強して来てね。持ち物検査もされるから、変な物は持って行かないでね。シャロの居るお城は、御宮を南門から出て、マジデスカイナの森を左手に見る1本道を行った先よ。南門から見て、マジデスカイナの森の陰になっている部分に小高い丘があり、その丘がの頂上に有るのが、シャロのお城ナニミテンノヨ城が有るから、それを目指しなさい。南門から出たら、道に沿って歩きなさい。視覚では見え難(づら)いけれど、1本道だから迷わない。道を辿りなさい。用が終わったら、真っ直ぐ帰って来るのよ。私は学会へ出向きます。お昼は一緒に食べましょう。お使いが務まる様に成ってね」


 そう言って、エリはユリの頬にキスをした。ユリは重い気を背負いながら、しぶしぶ出掛ける準備をし、出掛けた。手持ちの荷物は、央庁許可状、外出用ID、化粧品、ホルス少々。これらを、背負いバックに詰める。宮殿の庭では、良く遊ぶが、外に出るのは稀だ。廊下に子供が居るのは明らかに異質で、皆ヒソヒソと何かを囁やき合うが、咎められることなく門番の待つ、南の門営にまで辿り着く。門番にIDを提示する。門番はこちらをチラチラ見ながら、IDを確認する。ユリは緊張した。


 門番:「御用は?」


 と、ぶっきら棒に聞く。


 ユリ:「もともと、お母様は化粧品の研究開発をしてたんだけど、シャロ様向けの新作の化粧品の試作品が出来たので持って行ってあげなさいと言われて、お使いで届けに行くところです」


 門番:「ふむ・・・。特に怪しいところは無いな。他に何かお持ちでは無いかな?」 


 門番は、執拗(しつよう)に顎を触りながら、聞いてくる。


 ユリ:「あ、そうだ!」


 と、央庁許可状を門番に渡す。門番は、央庁許可状を丁寧に受け取り、丁寧に開封する。


 門番:「こちらにどうぞ」


 門番は、許可状を机の所定の場所に置き、ユリを扉の前に招いた。


 門番:「最近は、外界も悪魔や怪物の動きが活発に成っておりまして、本日の閉門は早めにする様に、指示されております。御用は早めに御済ませに成るのが宜しいと御忠告を申し上げます」


 門番は、そう慇懃にユリを送り出した。門を出るとシャロの居るナニミテンノヨ城までは1本道だ。途中、自動販売機でジュースを買い、楽しみながら、お城を目指した。同じ天だが、宮殿から見える天とは違って、高く見えた。道路脇にある短い草の生えた丘も、丘の無い平原も、何処までも何処までも、広く見えた。ユリは楽しくなって、道路の小高い丘に登って、ごろんと横になった。日は、まだ高く風は穏やかだ。ユリは、始めて感じる開放感に心地好く成っていた。時折、爽やかな風がユリを撫でて行った。日差しは、まだユリを温かく見守っているほんの数瞬、眠ったかも知れない。ユリは寝転がる前に、潰すと悪いからと、新作の化粧品の袋を手に持っていたのだが、それが手から滑り落ちてしまったのだった。坂と草は、新作の化粧品の入った袋を、驚くべきスピードで下方へエスコートして行った。直ぐに止まるであろうと思って居たユリは、化粧品との距離がとても縮まらない距離になるのを見て、焦ってアトを追いかけたのだが、丘の逆手は草が深く、どこに行ったのか検討が付かない有り様だった。日は、まだ高かったが、ユリは不安で一杯だった。お昼は母親と食べる予定なのだ。いや、それよりも、今日は閉門が早いと言っていた。早く見つけなければ、何処にも行けなくなってしまう。叢(くさむら)の深みに踏み込み手当たり次第に探す。大きな草を掻き分けると、そこに誰かが寝転んでいた。いや、寝転んで居る訳ではなかった。倒れているのだ。ユリは、倒れている人に話しかる。


 ユリ:「大丈夫ですか? どうされたんですか? 体の調子が悪くなったんですか?」


 ユリは懸命に訴えたが、反応は無かった。いや、異変に気が付いたのはユリだった。ユリは、男が、人間、いや、リトルゴッドでは無いことに気が付いた。翼の有る人間。それが傷付き倒れていた。リトルゴッドも天使も血などは流れないが、酷く傷んでいた。懸命に反応を促すが、何の反応も示さなかった。しかし、生きてはいる。何とかしなければユリは、使命感のみで母親に助けを仰ごうとニーベルング宮の南門へ駆け出そうとした。その時、ユリに黒い影が舞い降りた。


 マピィ:「坊ちゃま、それではとても間に合いません。事は、1刻を争います。この男は、私が御宮(みぐう)へ連れて帰ります。坊ちゃまは、これを持って、早くシャロ様にお届けを。奥様にとの会食に間に合いませんよ」


 舞い降りた黒い影は、マピィであった。マピィは男をひょいと担ぎ上げると、韋駄天の速さで南門の方へ走り去った。


 ユリ:「マピィ・・・、ありがとう」


 マピィの速度なら、男は無事、家に辿り着くだろう。そして、何より、化粧品紙袋が無事だったのが嬉しかった。ユリは、急いで1本道へ戻り、教わったように、役目を果たす為に、ナニミテンノヨ城を赴いた。


 シャロ:「遅かったわね。もう少し早く来ると思って、待っていたのですよ。その分、時間を無駄に失いました」

 ユリ:「すいません・・・、落としちゃって、少し、汚れちゃったけど、包み紙が汚れてるだけだから、問題なく使えると思います。使用期限は、3ヶ月。冷蔵庫で保管して下さい」

 シャロ:「何!? 私に泥塗(まみ)れた化粧品を使えとおっしゃるの!! 返品します! 持って、お帰りなさい! 言われた仕事が出来ないようでは、大成はしません」


 シャロの怒りは、収まること無く、ユリは追い返された。トボトボと帰宅への道を行くが、悔しいやら、悲しいやら、複雑な気持ちになった。しかし、今の悲しい気持ちとは裏腹に、助けたあの男の様子が気になった。走って帰ることにした。南門の門番は、自分のことを心配してくれていたようで、予想外にホッとした感じを見せていたことに、ユリは嬉しくなくって、ニコニコと笑った。門番にマピィと男のことを聞こうかと思ったが、マピィなら上手くやって居るだろうと、まずは、信用することにした。


(第13話へ続く)

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