縁戸津不動産です! いい物件ありますよ?

青木桃子

ナツキ、不動産屋を見つける

 六月のまだ涼しい時期。中華街から外れた場所にある台湾茶カフェでテイクアウトした烏龍ウーロン茶ラテを持って歩いていたナツキは、古いビルが建ち並ぶ、昼間でも薄暗い雑居ビルの一階にその不動産屋を見かけた。


縁戸津えんとつ不動産……。あれ? この道よく通っていたけど、こんな不動産屋あったかしら」


 何十年もずっとそこで営業しているような、大きな窓ガラスに手書きの間取りと家賃が載ったセピア色の張り紙がたくさん並んでいた。まるで昭和にタイムスリップしたかのような雰囲気――。


「なんかあやしいな。でも、急いでアパート見つけたいし、地域密着型の不動産屋の方がネットにない掘り出し物件とか見つけてくれそう。ここでいいや!」


 ナツキは建付けの悪い扉を思い切って開ける。横開き扉はガラガラガラッと大きな音がした。


「ごめんください!」

「はい。いらっしゃいませ」


 最初に出てきたのは、小路こみちという受付の若い女性だった。モデルみたいに背が高く美しいのでなんでこんな古めかしい会社で働いているのか不思議だった。


「今月中に引っ越したいの。安くて日当たりよくて、運が向いてきそうな間取りの物件ありますか?」

「こちらにお座りください」


「初めまして。担当の路地ろじと申します。よろしくお願いいたします」

 店の奥から現れたその声は、顔はお月様のように丸く小太りの優しそうな中年男性だった。


 入り口にはシャム猫の陶器の置物がお出迎え。店内はヴィンテージっぽい鮮やかなオレンジ色の花柄の壁紙で、飾り棚には洋風の箱型オルゴール、熊の木彫り、黒電話が雑多に飾られていた。レトロなインテリアだが、カウンターに座ると液晶タブレットを見せてきた。


(急に令和!)


「では、こちらの画面でアンケートにお答えください。答えたくなければ次へ飛ばしてください」

「はい」


 受付の小路こみちが、甘辛いお煎餅と緑茶をだした。タブレットを見ながら担当の路地ろじは呟く。


「ふむふむ。できるだけ早く引っ越し希望――と。そうですか、来月お誕生日なんですね。おめでとうございます」

 アラサー女性に誕生日の話をするなんて失礼だ、と思ったが、まん丸顔の路地ろじはにこにこしている。穏やかな空気に思わず本音が漏れた。


「――は、はい。来月で三十三歳になります。その……私、お恥ずかしながら超絶オトコ運がなくって。今まで付き合った男はみんな、DV、モラハラ、金なし。なんですよ~!」

「ほうほう……。それは大変ですね。家族の方は心配しているでしょう」

「いいえ。しっかり長女と思われているので家族は知りません。私には二歳年下の妹がいるのですが、結婚して子ども生んで幸せそうで……。それなのに、私には今も働かない彼氏がいて。お金渡さないと暴力が酷くて……。もうそんな男に振り回されたくありません! 絶対いい男を見つけて幸せになってやる。そのためにまずは十年以上住んでいるアパートを引き払って生まれ変わりたいんです!」


「結婚して幸せになれるかどうか、人それぞれだとは思いますが……。それでも結婚を望まれるのであれば――。分かりました。ナツキさまに紹介したい、とっておきの物件がありますよ。内見しましょう。小路こみちさん、案内お願いしますね」


 ビユゥゥゥ。風が強かった。車に乗り込むと突然雨が降ってきた。


 一軒のアパートに着いた途端に雨がやんだ。案内されたアパートは、ごくごく普通の築十年で二階建てアパート。部屋に入ると、日当たりが良くて、ごくごく普通のワンルームなのに、心がポカポカするので、ナツキはすっごく気に入って即決した。


 南側の窓を開け、日が差し込む。モデルのように美しい受付の小路が縁切りのお札をナツキに渡して、ぽつりと言った。


「実はわたしも昔、悪い男に引っかかって、○○されたの。だから、特別な部屋を紹介しました。まあ、お菊さんというお節介なおばあちゃんが住んでいますが気にしないでください。ナツキさま、お幸せに!」


 ○○が聞き取れない……。なぜか聞き返せない雰囲気だった。


「……ありがとうございます」



 ***



 ナツキは彼と別れ引っ越した後、優しい彼に出会って結婚することになった。新居を紹介してもらおうと再び縁戸津えんとつ不動産屋のある雑居ビルに行ったが、そんな不動産屋はいくら探しても見つからなかった。




                 おしまい






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