竜と契約者

 マルレから竜と契約について説明を受けた。

 契約した者は契約者コラータと呼ばれる。契約者コラータは、竜の領域と屋敷のある区域のみで生きていくことになる。その外へ出ることは国王が禁止しており、領主家が管理しているのだそうだ。

 遠い昔には自由に外へ出ることもできたのだが、竜を蔑ろにした者のせいで国が滅びかけたことがあり、竜と契約した者は厳しく管理されることになった。

 紹介所トラシオからここに来るまでに見た城は東部エスター領主城で、その城と竜の領域は高い城壁で囲われている。良く言えば守られているのだろうけど、悪く言えば囚われているということだ。

 



「最近ですと、十二年前です。南部スール夏竜カルードさまと契約していた女性が屋敷に出入りしていた男性と逃げようとしましてね。次の契約者コラータが決まるまで随分と長く雨が続きました」

 この話はわたしもよく覚えている。なぜなら、わたしの両親が死んだのは長く続いた雨のせいだからだ。

 両親が亡くなる前、わたしは西部オスターに住んでいた。わたしが七歳の時、伯父の店を訪ねるために家族三人で王都セントラ行きの幌馬車に乗った。

 途中、長雨のせいでぬかるんだ道に車輪がとられ、横転した馬車は高い土手の下に落ちた。わたしは奇跡的に助かったが、両親は帰らぬ人となった。父はわたしを守るように抱いていたらしい。


「厳しく管理されているのに、逃げ出そうとなんてできるのですか?」

「それが、屋敷に出入りしていた男性というのが、南部スール領主の弟でして。領主家の人間ですから、屋敷に入ることができたようですね。そこで契約者コラータと恋に落ちた、と」

 マルレは眉間に皺を寄せ、領主家の人間として恥ずべき行為だと非難した。

「ですが、東部エスターの屋敷については、そういった心配はありませんのでご安心ください」

 現在の屋敷の責任者はマルレであり、わたしが契約者コラータに決まれば、屋敷の使用人を女性のみで構成し、男性の出入りはマルレが厳しく管理するという。

 食材や調理器具などの調達は屋敷を通しておこなわれる。必要な物がある時には、領域の門の近くにある鐘を鳴らして屋敷から人を呼び、用件を伝える。

 家族に会いに行くことはできないが、マルレの立ち会いのもと、屋敷内で会えるように手配してもらえるらしい。手紙についてもマルレによる内容の確認がなされる。徹底的な管理体制だ。


「わたくしが全力でお支えします。あなたが春竜セレーラさまに人生を捧げてくださるのですから、わたくしもあなたに人生を捧げる覚悟です。ご安心ください」

 マルレの真剣な眼差しに心がときめいてしまう。プロポーズの言葉みたいだと思った瞬間に頬が熱くなるのを感じた。しかし、領主家の責務だもの優しくしてくれるのは当たり前か、と現実的に考え直す。

 そうか、もう恋なんてできなくなるんだ。と、少し寂しい気持ちになった。

 わたしには夢があった。素敵な人と出会って、恋をして、いつか二人で小さな食堂を始める。そして、伯父と伯母のような家族を作りたい。

 契約者コラータにならないという選択もまだ残されている。しかし、このままでは不作が続き、その夢だって叶えることができないかもしれない。




「ええと、逃げようとした夏竜カルードさまの契約者コラータはどうなったのですか?」

 恋をした契約者コラータがどうなったのかまでは、まだ聞いていない。

「・・・・・・何も口にせず、衰弱して亡くなられたそうです」

 マルレの言葉にわたしは絶句した。

「恋した相手が処刑された悲しみに耐えられなかったのでしょう。契約者コラータに他者が傷をつけることはできません。また、契約者コラータが自身の体に傷をつけることもできません。領域に入れないのと同じように、竜の力によって守られています。それがなければ一緒に処刑されていたでしょうし、自害されたかもしれません」

 重たい空気に包まれたような気がした。


夏竜カルードさまの料理人はどのくらいの期間で見つかったのですか?」

 当時の記憶は事故の衝撃で曖昧になっている。あの雨はどれくらい続いたのだっただろうか。

「ああ、全ての契約者コラータが料理人ということではありませんよ。春竜セレーラさまの力は腹を満たすことで強まりますが、夏竜カルードさまの力の源は何だと思いますか?」

 マルレの問いに答えられなかった。王国が竜の加護を受けているという話は物語の中だけのことだと思っていたし、契約の話なんて聞いたこともなかった。

「知らないのも当然です。王族や領主家以外の人間が知る話ではありませんからね」

 マルレによると、夏竜カルードさまは舞手、冬竜ネベールさまは武闘家、秋竜フレーダさまは賢者を求めるのだという。

 現在の夏竜カルードさまの舞手は男性で、決まるまでに二か月ほどかかった。


「あの、契約者コラータが途中で変わることはないのでしょうか? 逃げ出す者と契約を続ける意味はあるのですか?」

「契約は死ぬまで続きます。契約者コラータが存在している限り、他の者は竜の領域に立ち入ることができません。今、春竜セレーラさまには契約者コラータがいませんので、候補者の立ち入りができているという状態です」

 先代の春竜セレーラさまの契約者コラータは、五十年以上も料理人を続けていたコリネという女性だった。マルレの祖父が屋敷の責任者を務めていた時に契約者コラータとなり、マルレの父も、マルレ自身も彼女のために力を尽くしてきた。

「次の料理人が早く見つかることを願っておられました。コリネさまから聞く春竜セレーラさまの話は愛に溢れていて、わたくしも春竜セレーラさまのために契約者コラータを支えようと、父を手伝い始めた十歳の頃より強く決意しております」

 春竜セレーラさまと会うことはできなくても、契約者コラータを支えることでその一端を担える。それが領主家の誇りなのだとマルレは得意気に話した。


「最初はコリネさんの料理に近いものを作るのがいいですね。レシピは残されていますか?」

「レシピは屋敷で保管しています。ですが、コリネさまの料理を再現する必要はありません」

 ずっと食べてきた味から始める必要がないとはどういうことなのだろう。

「竜は亡くなった契約者コラータを見送ると、その記憶を失うそうです」

 竜は契約者コラータが死ぬと、自身の心とともに魂を大地に還す。その時、契約者コラータへの思いや記憶を込めた風が王国全土に吹く。それが意味することを感じ取れるのは領主家の人間だけで、他の人間にはただの風でしかない。

「コリネさんの時はどのような風が?」

 わたしの質問に、マルレは幸せそうな笑みを浮かべた。

「思わず涙が溢れてしまうほどの、心が温まる感謝に満ちた風でした」

 なお、夏竜カルードさまの風は悲しみを含んだ冷たいものだったらしい。

春竜セレーラさまが忘れてしまう代わりに、エスター家が歴代の料理人のことを書き残しているのです」

 屋敷に多くの記録が残されていて、わたしも自由に読むことができる。コリネさんも春竜セレーラさまの昼寝中に屋敷を訪れ、記録を読んだり、暮らしについて話したそうだ。

 わたしが屋敷で目にした肖像画は、歴代の春竜セレーラさまの料理人たちを描いたものらしい。


「コリネさんが亡くなられてから、春竜セレーラさまはお食事をどうされているのでしょうか?」

 お腹を空かせた春竜セレーラさまの空虚な表情を思い出す。

「料理を振る舞った候補者は、あなたを含めて四名です。それ以外は召し上がっていないはずです」

「えっ? 一か月もの間に、それだけですか・・・・・・」

 これまでに百人ほどが訪れ、領域に入れた者は三十人、春竜さまが姿を見せたのは四人だという。そして、やっと契約に結びついたのがわたしだ。

「基本的に竜は大地のエネルギーを取り込んで生きることができるので、食べなくても死ぬことはありません。ですが、エネルギーを取られた大地は痩せていき、作物の収穫量が減ります。ですから、一刻も早く料理人が必要なのです」

「でも、中に入ることができた候補者に食べ物を運ばせるとか、そういうことはできなかったのですか?」

春竜セレーラさまは契約者コラータによって作られた料理でしか満たされることはありません」

 弱々しく細い体の春竜セレーラさまの姿が脳裏に浮かぶ。

「いけないっ! わたし、戻らなくちゃ! 早く何か食べさせてあげないと!」

 わたしは勢いよく立ち上がった。竜だとか、契約だとか、言っている場合ではなかった。早くあの少女にお腹いっぱい食べさせてあげたい。


「一度にこの量は持って行けませんよ」

 春竜セレーラさまの家に戻るわたしに、マルレは屋敷から運んだ多くの食材を持たせようとした。

「すみません。嬉しくって、つい」

 と、マルレは顔を綻ばせる。今日という日を待ち望んでいたことが伝わってきた。

「契約が終わって、春竜セレーラさまに食事を用意したら、ご報告に戻りますね」

 わたしの言葉にマルレは首を横に振る。

「いいえ、その必要はありません。祖父の話ですと、契約が完了すると王国全土に祝福の優しい風が吹くのだそうです」

 そして、マルレは「楽しみにしています」と言い、わたしを送り出した。




 急いで家に戻ると、春竜セレーラさまは外で待っていた。

「戻ってきてくれたのね! わあ、食べ物がいっぱい! 次は何を作ってくれるの?」

 春竜セレーラさまは嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねる。

「あの、その前に契約をしたいのですが」

「あっ、そうだった! 先に契約をしなくっちゃ!」

 春竜セレーラさまは目の前にわたしを跪かせ、聞いたことのない言葉で何かを唱えた。すると、柔らかくて暖かい風がふわりと周囲に広がる。これが祝福の風なのだと感じた。きっとマルレにも届いているはずだ。

 いつの間にか、わたしの服が春竜セレーラさまとお揃いの薄緑色のワンピースに変わっている。

「はい、これで契約完了。だから、早く次の料理を食べさせて」

 手を引いてわたしを急かす。

「そんなに焦らせないでくださいよ。これからいくらでも作ってさしあげます。だって、わたしは春竜セレーラさまの料理人なんですから!」


 こうして、わたしの新しい生活が幕を開けた。

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春竜さまの料理人 紗久間 馨 @sakuma_kaoru

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