家を見るという採用試験
赤いレンガで作られた大きな建物に圧倒されつつ、頑丈そうな木製の扉を開いて中に足を踏み入れる。広い通路が真っ直ぐに伸びていて、その両側に開きっぱなしになっている扉がいくつか見える。
「いらっしゃいませ。こちらでご用件をお伺いいたします」
入ってすぐ左の受付カウンターから、笑顔が爽やかな若い男性職員に声をかけられた。
「あの、領主さまの料理人募集の求人を見てきました。もう決まってしまったでしょうか?」
「いいえ。その件でしたら八番のお部屋にお進みください。右側一番奥のお部屋でございます」
「八番ですね。分かりました。ありがとうございます」
受付の男性にぺこりと頭を下げて目的の部屋へと歩き出す。
領主さまが直々に出した求人に応募する料理人はたくさんいるはず。なのに、まだ決まっていないなんて。応募する人が少ないのだろうか。採用の基準が厳しすぎるのだろうか。
八番の部屋の扉も開かれていた。そこから中を覗き込む。通り過ぎてきた他の部屋にはそれなりに人がいたが、この部屋には机に向かってそれぞれに仕事をする二人に職員の姿しかない。
一人は若い男性で、年齢は二十代前半のように見える。その端正な顔立ちの虜になる女性は少なくないだろう。黒い髪は整髪剤できっちりと固められている。
もう一人は四十歳前後だと思われる女性だ。上品な雰囲気が漂っていて、同性のわたしでも惚れてしまいそうなほどに美しい。ツヤのある髪は茶色で肩ほどの長さだ。わたしと同じ髪色なのに、全く違う。
「ご用ですか? でしたら、こちらへどうぞ」
女性がわたしに気づいて声をかける。
「は、はい。失礼します」
わたしは促されて、男性の机の正面に置かれた椅子に座る。
「わたくしは担当のマルレと申します。この部屋に来たということは料理のお仕事の件ですね」
マルレと名乗る男性は不機嫌そうな顔をして、冷たい口調で淡々と話す。彼の右後ろに立った女性は秘書のような存在なのかもしれない。
「そうです。わたしはヴェラと申します。
「ふむ。では、まず家を見ていただきます」
その言葉を聞いて、わたしは唖然とした。料理の腕前を披露するとかではなく、家を見るとはどういうことなのだろう。
「これは採用試験です。家を見に行っていただくことで、あなたの適性が判断されます」
家を見て料理人の適性を見るだなんて。ますます意味が分からなくなった。
「お荷物をお預かりしますね」
女性にそう言われ、トランクを渡す。そして、衣服の上から身体検査も受けた。わたしは持っていなかったが、危険物と判断される物は預ける必要があるらしい。
試験のある家まで案内するのはマルレだった。指示に従って後をついて行くと、
わたしは自分の着ている服を見て残念な気持ちになった。十九歳の誕生日に伯母から贈られた濃い緑色のワンピースはお気に入りの一着だが、高貴な馬車には似合わない。
向かいに座るマルレは相変わらず不機嫌そうな顔をしている。わたしを見るその目は、品定めをするかのようだと思った。
道沿いには馬車の中から上部を確認することができないほど高い石積みの壁が続く。馬車は大きな鉄製の門の前で停車した。警備する兵士にマルレが手で合図をすると、門はギイイと音を立てて開いた。再び走り出した馬車はその内部に進んでいく。
「うわあ、すごい」
わたしは思わず感嘆の声をあげた。門から続く長い道の先には大きな城がそびえている。道の両脇には美しく整えられた木々が植えられている。
馬車から降りたのは、城の隣にある立派な屋敷の前だ。こんな場所で働けたら光栄なことだ。そう思ったのも束の間、見る家というのはここではないらしい。
マルレは屋敷の正面の扉を開けて、ど真ん中をまっすぐに突き進んでいく。廊下の両側には肖像画が掛けられているが、その姿は平民のようだ。貴族ではない人間の肖像画なんて聞いたことがない。
屋敷の裏側に繋がる扉が開くと、そこには緑が広がる美しい庭園があった。ゆっくりと見る暇もなく、さらに奥へと歩き続ける。
庭園の奥に簡素な木製の門があった。それまでに見た立派な城や屋敷には似合わない。
「この先にはお一人でお進みください」
「ええと・・・・・・」
門の先には、森と奥に続く舗装されていない道が見える。
「進んで行きますと家があるかと思いますので、そちらの中を自由にご覧ください。わたくしはこちらでお待ちしております」
家があると断定しない言い方が気になった。しかし、この仕事を勝ち取るためにはやるしかない。門を押し開けて一歩踏み出す。
背後で「一つめは合格のようですね」とマルレが呟くのが聞こえた。不思議なことだらけで、頭がついていかない。
森の先の開けた場所では花が咲き乱れていて、その中央付近に小さな家がポツンと建っている。四角いレンガの家で、壁は白く、屋根は赤い。
「よし、あの家を見ればいいのね」
まっすぐに家へと向かい、木製の扉を開けた。南側にある窓から日光がたっぷりと入り込み、室内はとても明るい。
北側には立派な台所があり、すぐに目を奪われた。かまどや石窯、揃えられた多くの調理器具。近寄ってじっくりと眺める。年季が入っているが、しっかりと手入れをされて大切に使われてきたことがよく分かった。
家を見ることが試験だということを思い出し、他にも目を向ける。家具はどれも古めかしい。
隣接する二つの部屋の扉を開けると、どちらも寝室だった。窓は東側にあり、起床時には朝日を浴びて起きられることだろう。ベッド、タンス、鏡台があるのは共通している。片方はきれいに片付いていて使われていないようだ。もう片方は物が置いてあり、毛布の使用された形跡から今でもここには住人がいるのだという感じがした。
再び最初の部屋に戻る。二脚あるダイニングテーブルの椅子は、一つがテーブルの下に収まっており、もう一つは雑に出されたままになっている。保存の利くイモ類や穀物、乾燥ハーブなどが残されている。
しばらくの間、台所は使われていないようだ。でも、たぶん誰かいる。
「あたし、お腹が空いてるの。何か作ってくれる?」
急に声をかけられて驚いた。声のした方を向くと、十歳くらいに見える少女が家の入り口に立っている。桜色のまっすぐで長い髪がキラキラと輝き、まるで絹糸のようだと思った。亡くなった父が仕事で絹糸を扱っていたため、わたしも幼い頃にはよく目にしていた。
「あっ、ここに住んでいる方ですか? 勝手に入ってごめんなさい。
わたしは慌てて説明する。
「お腹、空いた」
淡々と話す少女の表情は感情を失い、空虚になっているように見えた。体が細く、いつから食べていないのだろうと心配になった。
「分かりました。とりあえず、ここにある材料でお作りしますね」
少女のお腹を早く満たしたいと思い、すぐに作業を始めた。生鮮食品がないという以外、ある程度の物は揃っている。かまどに薪を入れ、外の井戸から水を汲み、イモのスープを作った。
どうしてお腹を空かせているのだろう。どうして城や屋敷の人間はこの少女をひとりぼっちで離れた場所に住まわせているのだろう。この家を見るように言ったのだから、少なくともマルレは少女のことを知っているはずだ。
椅子に座って待つ少女の前にスープの入った器とスプーンを置くと、少女は無表情のままで勢いよく食べ始めた。
「おいしいっ!」
眩しいほどの笑顔で少女は言った。急な表情の変化に驚いてしまう。
「あなたに決まりね! 契約をしなくっちゃ」
少女の言っていることが理解できない。
「あの、話がよく分からないのですが・・・・・・」
「あたしのために料理を作ってくれるんじゃないの?」
少女は悲しそうな顔をして目を伏せる。
「すみません。わたしは仕事を探していて、
「あなたは合格だから大丈夫よ」
合格だと言われても、疑問ばかりが残っていて素直に喜べない。
「ええと、案内してくれた方が門の外で待っているので、話をしてきますね」
「うん、いいよ。でも早く戻ってきてね」
「はい。食器の片付けもありますし、必ず戻ります」
わたしはそう言って、家の外に出た。
来た道を走って戻る。門の向こうに、木陰の下で椅子に座って本を読むマルレの姿が見えた。そのすぐ前まで速度を上げて走った。
「あのっ、これってどういうことなんですか? 家に女の子がいて、お腹を空かせていて・・・・・・」
息を切らせながら、見たことを一気に話す。
「落ち着いてください。さあ、こちらへどうぞ」
と、マルレは隣に用意されたもう一脚の椅子を指し示した。
「あなたが選ばれたということです」
マルレは優しい微笑みを浮かべながら言った。それまでの冷たく不機嫌そうだった態度は何だったのかと疑ってしまうほどに柔らかな表情だ。
「わたくしは
「
どうしてここで物語に登場する竜の名前が出てくるのだろう。どうして
「あなたが会ったという女の子が
マルレは興奮気味に話した。
「どうしてわたしが選ばれたのでしょうか?」
「試験とお伝えしましたね。あなたはその試験に合格し、
試験は三段階だという。一つめは門の中に足を踏み入れられること。二つめは竜が姿を現すこと。三つめは竜に料理を認められること。これらはエスター家に伝え続けられている、歴代の料理人から聞いた話らしい。
門の中には領域に魂が選ばれた者だけが足を踏み入れられる。それでも、竜が気に入らないと判断すれば姿を現すことはない。さらに、満足させる料理を作ることができなければ、門の外へ追い出される。
領主さまでも領域内に入ることができない。マルレも試しに門に手を伸ばしたが、見えない壁に阻まれるように、少しもその領域に入ることができなかったという。
「
「もし、わたしが契約しなければどうなりますか?」
わたしの問いに、マルレは緊張感のある厳しい顔をした。
「現在の豊かさが失われます。実際、先代の料理人であるコリネさまが亡くなられてから一か月、作物の収穫量は減少傾向にあります」
この話を聞いて、手に入りにくくなった野菜が増えたてきたことを思い出す。レストランのメニューをいくつか変更しなければならなかった。
「では、この状態が続けば・・・・・・」
「人々は飢えに苦しむことになるでしょう。ですから、どうかお願いします」
マルレは深々と頭を下げた。領主家の人間が平民にここまでするのだから、断ることなんかできないに等しい。貴族の求婚を拒んで
それに、レストランで見てきた食事を楽しむ人々の光景が失われてしまうと考えると怖くなった。迷惑をかけまいと離れたはずの伯父たちに迷惑をかけることにもなる。
「分かりました。わたしが
わたしの料理を食べた少女の眩しすぎる笑顔が本当に嬉しかった。学んできた多くの料理で喜ばせてあげたいと思った。
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